「なりたい」を考える。20240518備忘録
2024/5/18に開催された、あきやさんのファッション講座1回目に参加させていただきました。
感想というより、話を聞いて自分が感じた事の記録用備忘録です。
がっつり自分語りしてます。
元々自分語りがあまり得意では無く、公開noteにする程でも無いかとも思っていますが、記憶の整理とあきやさんの講座で感銘を受けた人がここに一人いるんだよという意思表明みたいなモノです。
凄い結論を出したり面白いオチがある訳では無い、ただの備忘録です。
note初心者なので基本的な設定しかしてません。その辺はご容赦願います。
「なりたい」を探す出発点(前振り)
30後半に差し掛かった今でも探している、私の「なりたい」像。
昔からふんわり抱えているけれど確固たるものでは無いそれを、そろそろちゃんと具現化してみたいと思いつつも、その手段が分からずにずっと先送りにしていた。
そもそも私は服に興味が無い。
物心ついた頃から自分で服を選んだ記憶は無く、無難なものばかり選んできた。別にそれでも良かった。興味が無いから深くも考えないし、ファッションを語る人の言葉も理解出来ない。
20代まではそこそこのブランドバッグを持って小綺麗にしていれば、トータルプラスに見えるだろう、と信じていた。
30代に入ってから、バッグに見合わない自分自身は、果たしてプラスになるのだろうか、と疑惑が生じるようになった。
とはいえ服の探し方なんて分からないし、必要性も見出せない。
仕事はオフィスカジュアルであれば良いのでYシャツ+カーディガン、スラックスで事足りる。接客業でも無いのでおしゃれは必要無い。
年1回程度、趣味のアイドルオタク活動用に所謂「現場服」を購入するも、服の扱い方が不慣れで生地や洗濯表記を考慮せずに購入し、現場が終わったら手入れが面倒で着回しも出来ない服へと成り下がる。
私が服を買う基準は「無難で低コストなもの」で、それ以外の勢いで買った物は大抵失敗する。という残念な経験値を積み過ぎた故の引っ込み思案だ。
しかし30代半ばのある日。
興味が無くてしっくりも来ない予算以下の安くて無難な服探しに3日も某タウンアプリと睨めっこに疲弊しつつあった時に、ふと「定期的に発生する好きでも無い服を探すというタスクにこんなに労力をかけて良いのか?このまま自分が好きでも無い無難な服を定期的に探す人生で良いのか?」と自分自身に問いかけたら、「それは嫌だ」と即答した。
好きでもない安いだけの服は、扱いが雑になる。
好きではないから汚れても気にしないし、安いからダメになったら買い換えれば良いという発想になる。
だから2ヶ月着倒して毛玉が目立ってきたらすぐに捨てて新しい安い服をまた探す、というルーティンが成立してしまっていた。良くない、非常に良くない。
ここから一念発起して
「似合うを知らないままの服探しは非効率的でミスが多い。似合う服を知って労力を減らそう」
と考えた。ときめきとは掛け離れた理由ではあるが、ここから私らしい「なりたい」探しが始まった。
他にも色々と自分の身なりを見直す事があったものの、そう思って動き出せたのは、2023年夏頃にTLで見かけてフォローさせていただいていた某JJGの存在があったのも強かった。
服を見直して何かが変わるなら、私も変えてみたい。そう思った。
そこからあきやさんの存在を知り、noteを知り、御本を手にするというあれよあれよという流れ。
30代後半で気付くのは遅過ぎるのでは、と思ったけれど、こういう偶然が重なった今がきっと私にとって良いタイミングだったとも思う。思うようにしている。
「なりたい」を選べなかった過去
この辺から講習会を聞いての考え備忘録になっていきます。
「なりたいは隠れるのが上手、なりたいを選べなかった経験は自分の『なりたい』を否定する」
この言葉、赤べこのように頷きました。
ある。めっちゃある。否定された過去、ある。
人並みにあるのはあるけれど、まさかファッションに関する自分の「なりたい」探しをする為の講座に来て、自分の嫌だった過去を振り返る日が来るとは思わなかった。
そこに何かが隠れている、というお言葉を信じて嫌な過去を振り返ってみた。
嫌いな人に言われた悪意ある一言。
好きな人に言われた悪気無い一言。
名前も覚えていないどうでもいい人からの評価。
他者の視線が気になって選べなかった欲しかったもの。
いっぱいある。
しかし私は意地が悪いので、過去に言われて嫌だった事や選べなかった物を全部「じゃあそれは要らない」と捨ててきた。
欲しいと縋る事が格好悪いと思っていたので、欲していた事さえ無かった事にして忘れようとしてきた。
ずっとそう自分に言い聞かせてきたけれど、今回の舞台は『自問自島』で、自分主体で良いのだと開き直って、久々に切り捨てたものを覗き込んでみた。
これらが「なりたい」の裏返しになっているのか、と考えてみたけれど、頑固な私は「一度捨てたものを拾うなんて負けだ」との意識が染み付いているので、それらは全て『違和感』に変わってしまっている。これはもうどうしようもない。
自問自島に行っても、私は私だ。
重ねた体験は消えないし、培った意識も変わらない。
その単語を見て嫌だった思い出が過ぎるのを、今更切り離す事も出来ない。
なので言われて嫌だった事、欲しかったけど諦めた物は全部「違和感」行き。
一部の単語が「違和感」に分類されるという結果に変わりは無いけれど、でも「何故その単語でこんなにも気分が悪くなるのか」という疑問の答えは出たので、これも必要な一歩だと思う。
「なりたい」は哲学という一言
とても響いた。かっこいい。
私も何か「骨に刻みたい」と思えるワードに出会えるだろうか。
「骨に刻む」というワードを聞いた時、祖母の事を思い出していた。
数年前に病気で亡くなり、焼けて骨になった祖母を本人だと判別する事が出来ない状態になった時、足の骨に残っていた治療痕を見た瞬間「このお骨は確かに祖母だ」と実感した。
骨に刻んだなら、あの治療痕のように見る人が見れば私だと分かるだろう。
いつか私が死んで、火葬されて、土に埋められて。
その数百年後、偶然誰かが骨を見つけた時に「この人はこういう人だった」と何か一つ伝えられるものがあったなら、それは生きた証になるのでは?と思うと、何だか面白い。
遺品や資産という現物は残せるかどうか分からないけれど、骨ならうまくいけばちょっと先の未来まで残るかもしれない。
本当は何も残らなくても良いんだけれど、もし万が一、そうなったら、今世の私が頭蓋骨に刻んだ一言を見つけた未来人に「何だこれ?」と思わせられるかもしれない、と思うと面白い気がした。
死後どうなるか分からないし、すぐに消えてしまうかもしれないし、刻んだ文字さえ読めなくないくらい粉々にされるかもだけれど。公共の墓場に埋葬されたら私一人なんてその他大勢に埋もれてしまうだろうけれど。そこは顔も知らない未来人の科学力と探究心に期待したい。
本来の「骨に刻みたい」という意図と外れた気がするけれど、やけにワクワクするワードだった。
「なりたい」探しの二択テスト結果
あまり迷う問題は無かった。
一つのスタイルを貫きたい
少数精鋭
家はコンパクト
便利な都会派
バッグは頑丈でかっこいい物
時代に流されたくない派
曲げない信念を持ちたい
ファッション以外も真剣に趣味を持ちたい
自分らしさを作りたい
クールに生きたい
回答に迷いはしなかったけれど、かといってマインドはまだ確立していない。
一つ一つの深掘りが出来ていないからだと思うので、もう少し考えたいと思う。
四分割ワーク結果
これもあまり迷わなかった。
なりたい: 綺麗、かっこいい
好き : 聡明な
似合う : 詩的な、インパクト
違和感 : かわいい
欄外 : 奇妙な、奥ゆかしい
この話の流れで出た「違和感ともう一方の両方に入るワードについて」も考えてみたけれど、今の所私にはそういったワードが思い付かない。
だからだろうか、「目の前にボタンがあって、押したらもう一方のワードが手に入る。しかし押さなければ違う素敵なものが手に入る」という問いかけでは「押さない」の一択だった。
迷うのであれば「私にとってまだそこまで欲する物では無い」という事だし、「得た自分をイメージ出来ないワードより、思い描ける素敵な物」の方が欲しいからだ。
本気で欲しいと思うようになったら、迷わず違和感以外に入れるんじゃ無いかと思う。…が、これはその立場にならないと分からないので、現状の考えはこういう方向性、くらいにしておこう。決めつけ良くない。
コンプレックスの話
私自身、コンプレックスが強くて服を選ぶのが苦手な人種だ。
幼少期からの体型に関するコンプレックスが邪魔をして、似合う色も良い服も流行も「正体不明の怖いもの」だった。
店員さんに「これが今の流行で」と言われても「私に合うものでは無い」と捻くれ、そもそも好みじゃなかったりもする。好みじゃ無いのに流行だからお勧めされる。だからと言って欲しい物が明確では無いので正しく伝えられない。と悩む事自体が苦痛だった。
苦手すぎるあまりにファッションに関する興味や努力を早々に放棄した。
「出来ない・似合わない」と落ち込むより「無難で良い、興味が無い」というマインドに切り替える事で、「どんな服も似合わない自分」を直視する事から目を逸らして生きてきた。
凝り固まった意識は、私の周りでは見ない服や色を「流行」と言われてもピンと来ないし、「色の組み合わせ」や「素材感」を言われても知識や経験値が無さすぎて理解が出来ず、ファッション誌から得られる物が何も無かった。こういうのを理解するには天性の素質が必要なんだろうな、と線引きしていた。
しかしあきやさんは言葉巧みに相手が既に持っている人生や性格を辿りながら「なりたい」「好き」「似合う」を導き出すよう促して、得られたワードを服に落とし込むよう誘導してくれる。
その深掘り作業をサラッと終わらせて服の話をメインにされていたら、きっと「それが出来たら苦労しない」と拗ねてこの講座に足を運ばなかっただろう。
言葉での説明があって手順を丁寧に踏んで貰えたからこそ、私でも理解出来たし素直に考える事が出来ている。とても有難い。
未だに「流行」や「色の相性」や「素材」とかは分からないままだけれど、それでも「なりたい」像があるのでどうにかなっている状態だ。
今の私は「なりたい」の一本重視
「なりたい」と「好き」の違いについて、これが理解出来ずにいたけれど、あきやさんの言葉を聞き、JJGさん方の話を読み、何と無く私の中でも分別が出来るようになった、気がする。
私にとっての「好き」は偶像崇拝に近い。
手にしたいのではなくて、少し遠くから愛でていたいもの。
出来れば誰の手にも渡って欲しくないし、それは私自身も含まれる。
手が届かない孤高の存在であってほしい。とはいえ売っている物であれば誰かの手に渡る訳で。「それを誰かが持っていたら嫉妬するか?」と自問すると「嫉妬はするけれど、やはり私の手には収めたく無い」が答えな気がする。
これがコンプレックスで培った諦める為の強がりなのか、それとも本心なのかは分からない。
しかし今のところ、そういう物が私の考える「好き」であり、「なりたい」とは別物だ。
「なりたい」も「好き」も「似合う」も全部持って良い、とのお話だったけれど、私は「なりたい」に主軸を置きつつ「似合う」物を服や物を取り入れたい。
「好き」は身につけなくて良いかな、と私は思っている。今の所。
ブランドのコンセプトを調べる
この講座に来るまでの数ヶ月後、御本に倣って自己分析はある程度出来ていても、服との出会い方が分からなくて詰んでいた。
雑誌やネットを見ても「流行」が優先された大量の情報から見つけるのが難しく、幾つか自分らしいワードを決められたとしても、それを服の形へ変換するイメージがまだ出来なくて、基本となる服さえ見つけられない状態では「ときめく服を見つける」事はかなりな難問だ。
あれこれと手探りをしつつ百貨店を練り歩き、フロア全部の店舗で店員さんと会話し、漸く「これだ」と思える服を買うのは、楽しいけれどかなりの労力を要すし、決める頃には疲れ切っていて若干勢いが先行している時もある。
せめて候補のブランドが幾つか絞られていれば全フロアを練り歩く事をしなくても良いのに。でもその絞り込みってどうやるんだ?と迷っていた時に、あきやさんの御本で「ブランドのコンセプトを調べてみる」という手段を見つけた。
元々服が好きな人であればそんな事当たり前かもしれないけれど、私には新発見だった。
ブランドに!コンセプトが!ある!?
各ブラントのwebサイトにある言葉は、ただのキャッチコピーだと思っていた。
キャッチコピーの裏を読めず、言葉をそのまま受け取ってしまうタイプなので、そこに込められた意味まで理解出来なかったし、汲んだとしても「素材が良くデザインが良くこだわったものは良い」くらいの当たり前の事を綺麗に意味深に言ってるだけのものだと思っていた。今思えば大変失礼な短絡的思考だ。
でも調べてみたら各ブラントごとに色々なポリシーがあって、文章があった。
webサイトのSEO対策で詰め込まれた関連ワード箇条書きのものを想像していたのに、ちゃんと丁寧に端的に文章化されたコンセプトがあった。
すごい。これなら私でも「私の求めているものと合うかどうか」が分かる。
誰目線で何を思って作っているのかを知ると、それまで「自分に合うか・合わないか」の二択でしか見れなかった服が、「あのコンセプトからこれが作られた」という違う目線で見れるようになった。
この意識改革は結構大きかった。
百貨店巡りの効率化・最適化をしたかったのに、適度に時間を短縮しつつも百貨店巡りを楽しむ為の思考が持てた。
びっくり試着、をするつもりだった
「びっくり試着」、正直御本で読んでもピンと来ていなかった。
「なりたい」像はある、欲しいものも朧げではあるがイメージがある。
それなのに「そうではない物」を試着する意味はあるのか、本を読んでも納得が出来なかった。
しかし試着は経験値なのでそう構える物では無いし、「あの人が好きそうだから」くらいの軽い気持ちで試してみる。という心構えで良いのだと講座で聞いて、「なるほどそれくらいで良いのか」と思えた。試着をするからには真剣に向き合うべきだと思っていたけれど、その考えから取っ払って良いのか。
じゃあ折角だし、今日(5/18)の講座に来ているあきやさんやJJGで「素敵」と思える服や小物で考えてみよう。人となりは知らないけれど、びっくり試着の参考にさせてもらおう。くらいの気持ちで参加者さんの服装をチラチラと盗み見ておいた。(怪しい者ではありませんよ!と心の中で謝罪しながら)
皆さん持ち物もお召し物も素敵で、とても目の保養になるし参考にもなる。
が、残念な事にそれが何処で買われたかの判断が私には出来ない。
完全なる知識不足による敗北だ。
しかし服は無理でも、靴とバッグは比較的ブランドが特定出来る物が多かった。
あきやさんの教えもあってか、皆さん靴とバッグが綺麗で素晴らしい。
実は私は運命の靴とやらに出会えておらず、試着旅に疲弊した結果、可も不可もなく無難なちょっと良い靴を買っていた。
元々服以上に靴にも興味が無く、これは消耗品だと割り切って適当な物を履いていたせいか「良い靴」に対するアンテナが弱かったのかもしれない。
もしくは「良い靴を買うなら絶対革のブーツ!」という強いこだわりがあったせいで、視野が極端に狭まっていたのかもしれない。
洋服でのびっくり試着は度胸が足りないけれど、靴ならいけるかもしれない。
線の細いブーツが最強だと思っていたけれど、今日のJJGさん達の靴を見たらブーツじゃ無くてもかっこいい。素敵。
ブーツにこだわらなければ選択肢がグッと広がるし、もしかしたら運命の靴に出会えるかもしれない。
自己紹介バッグで候補に上がったけれど選ばなかったブランドを靴で選ぶというのもありかもしれない。と思い始めた。
思い始めたのは講座の真っ只中で、良いよね!と結論付けたのは講座が終了するとほぼ同時。
面白い話を聞けて、自己分析の宿題を得て、新たな観点を得て、ブランドの探す方法の取っ掛かりも教わった。
素敵なものも沢山見たし、もう一回靴探しの試着旅を再開しよう!と会場を後にしたその足で百貨店へと繰り出した。
丁度その頃、X(旧Twitter)でJJGさん達がお気に入りの靴を紹介するポストをよく見かけたので、移動中タグ検索して片っ端から靴をチェックした。
前回探した時は「革のブーツ」以外は視界に入らなかったので、それ以外も意識して拾い、素敵だと思う靴の形状やブランドをチェックして、百貨店で片っ端から試着して回った。
勿論まるっきり同じものがあるわけでは無いけれど、同ブランドで似たようなものや全く別の素敵な靴を沢山見れた。
気になっていたタビブーツなんて2回店舗に行って4回くらい履かせてもらった。しかしやっぱり何か違う。
そうして3時間ほどぐるぐる巡り、気力体力共にそろそろ限界値……と疲弊してきた頃。
辿り着いたのはPRADAでした。
財布やバッグ探しでもPRADAに入った事はあるけれど、小物やバッグはあまり好みでは無いかな。と早々に候補から外してしまったブランドだ。
しかし靴であれば話は変わる。
人気と知名度が高いアレがある…しかも大好き革製品。これはワンチャンあるかもしれない。
前回の試着旅では「ブーツでは無いから」と目を逸らしていたけれど、気温も上がり、ブーツで無くても良いと思える今なら試せるかもしれない。
PRADAのローファー
学生時代はスニーカーで過ごしていたので、初ローファー。
漫画オタクの血故か、ローファーというだけでテンションが上がる。
学園モノ漫画では定番の!あの!青春コーデの代表格みたいな!ローファーを!私が!?という気持ちで内心お祭り騒ぎ。
しかしそれは顔には出さず、「ちょっと気になって〜」くらいのラフさで店舗フロアに入り、試着させていただいた。
「あ、これ好きだ」
履いた瞬間、その一言が溢れた。
あの!PRADAの!ローファーを!私が!という浮かれ気分によるものだと言われたら否定出来ないが、履いた瞬間確かに「好きな靴」だと思った。
しかし浮かれたのも束の間。
買うかどうか検討するのに履き心地や歩きやすさを確認し、改めて履いた姿を全身鏡で見た時は、「この靴が似合うようになりたい」に気持ちがシフトした。
最初の爆発するような「好き」の気持ちはものの3分で落ち着いてしまったのだ。
「好き」は偶像崇拝で手が届かなくて良いと思っていたのに、実際試して手が届くかもと現実味を帯びた瞬間「なりたい」に気持ちが変わってしまった……。
いやいやそんな事ある???
そんな混乱と浮かれ気分で落ち着かないまま、気付けばお買い上げしていた。
幾つかデザイン違いを見せていただいて履き比べはしたけれど、手入れしやすくて定番の形にしたのは、ちょっとまだ本当の意味での「びっくり」を試す勇気がないからかもしれない。
そんなこんなで。
初めてJJGっぽい講座体験が出来た記念も兼ねて購入した靴には大満足していて、頻繁に履いては毎回手入れしている。
普段出不精の引き籠りだけれど、靴を履きたい為だけに土日用も無く外へ出る事が増えた。
欲しい服が増えて、出費も増えた。
鞄と靴と一セットの服が揃ったら、次はアクセサリーが欲しくなってきた。
ここ何年も「興味が無い」と目を背けていたのに、突然のあふれんばかりの物欲に正直自分自身が驚いている。服の力って凄い。
こんな実用的で面白い趣味に目覚めさせてくれたあきやさんの教えには感謝してもしきれない。
最後に
前述通りまとまりの無い文章になってしまって申し訳無い……。
取り敢えず私にとっての大きな第一歩を踏んだ日である事を忘れない為の備忘録でした。感情ジェットコースター楽しい。
次回の講座はチケット戦争に間に合わずオンライン組ですが、とても楽しみにしています。
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