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母はむかし福助の縫い子さんで、祖父は和菓子職人だった話をちゃんと聞いておかねば。

I have to listen to my mother's story when she was young.

昨日は家にいて足袋の整理をしていました。

そう言えば、実家の母はむかし「福助足袋」の会社の縫い子さんをしていたそうです。福助は現在、東京に本社を置く会社ですが、たしか以前は大阪堺市が本社だったんですよ。

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​母が父と結婚して兄が生まれたのが昭和38年。当時、最先端のミシン技術の工場のなかで母は仕事していたんだろうな。足袋の他にもカッターシャツ(ワイシャツ)の部署もあったらしい。母は数年間どっちにいたんだろう?

思えば。母の話をもっとちゃんと聞いておかないといけないのではないか?
毎日工場で縫い物をして、それが結構得意だったって話は聞くけど深く掘り下げずにいるわたし。

縫い子さんの仕事を真面目にやっていて、そろそろ飽きてきたころにお見合いしてすぐに父と結婚した話を聞いたような気がする。

それとは別に、母方の祖父(わたしのおじいちゃん)はその昔、和菓子職人だったそうです。戦争でお砂糖がなくなって和菓子を作り続けることが難しくなって若かった祖父は別の仕事に就いたみたい。

母が幼い頃、家には和菓子の型や道具がたくさんあったらしいです。年末、お餅つきの季節になると餅米を蒸して餅をついて、その餅を丸める祖父の手が他の誰よりもものすごくきれいに動いて、どんどん美しい形のお餅が丸まっていったことを覚えているそうです。

どこの家にも和菓子の型があると思っていた幼い母。その情景は今でも母のこころにくっきりと残っているんだろうと思います。母は今年80歳になりました。

母が80歳になることなんて、娘のわたしは想像すらしたことなかったっていうか・・・自分の感覚で言うと、わたしの母は58歳くらいのときからあまり変わっていないような気がします。

母は最近になって「もう80歳になったんやで」「もう80!」って頻繁に口にするので、おそらく自分でもその年齢に驚いているって感じなんだろうな。腰が弱いのであまり長い距離が歩けないけど家の用事はまあまあなんでも出来ているし。

母が若かりしころ、わたしたち兄弟が病気や怪我をしたときの話、交通事故にあって入院したときの親の気持ちを「もうほんまに、びっっくりした。もうあかんと覚悟決めたけど大丈夫やった!」とか、人生そんなことの繰り返しだったんだろうな。だってわたしたち4人兄弟だから、その分びっくりする回数も多いはず。

でも母のすごいところは、今まで誰のことも悪く言わないところ。
「ひとにはそれぞれの立場がある」「そうやねんおかげさんで助かった」みたいなことを、いつも話している。

わたしは。母に何度もなんども助けてもらっています。誰のことも責めない母に育ててもらえたことに今更ながら深く感謝をしています。それに、いまだにわたしの仕事の話を興味深く根気よく聞いてくれる母。すごいな。

そんな母の話を、もっとちゃんと聞かないといけないな。取材するみたいな気持ちで聞き手にならないと、と思った平日のおやすみ最終日。



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