書かなくなると書けなくなる。
しばらく書いていなかった。
note好きなんだけどなぁ。
3ヶ月前に高齢の伯母が入院した。ずっと付き添っているわけでもなく病院に通い続けるわけでもないのに、いつの間にか自分時間がコマ切れになってしまう。
病院の先生からの手術の可否連絡を待つ時間。
看護師さんからの伝言を両親に伝える時間。
医療従事者からの電話連絡は「その時」「そのタイミングしか電話をかけられない」と思うから、「待つ」時間をついつい増やすことになる。
待って、連絡がついた。
そして入院先の病院の医師の元へうかがって話を聞く。
この時期あたりから、脳内データの交通整理がむずかしくなってきたような気がする。仕事のことなら違うジャンルのものを同時進行でいくつか走らせることはよくある。というか、それが日常で、おそらく得意な方だと思う。
伯母の入院や手術、ケアマネさんへの連絡も負担ではない。義務感とは少し違う、家族だから当然、自然なおこないという認識もある。もっと言えば、自分の役割がここにあってよかったと思っている。
高齢者の骨折。たやすいものじゃないことを知る。
90歳を過ぎる高齢者の大腿骨骨折・・・いや。初めてじゃないんだよね、伯母の大腿骨骨折は。以前に折れた箇所がまた折れた。また手術ができると思い込んでいたわたしは最初、あたまの整理がすんなりとはできなかった。
骨自体がもろくなっているのは理解できる。そして、同じ箇所を手術するってことはものすごくリスクがあるらしい。わかりやすく言うと、以前の手術で使っているボルト(固定具)を取りのぞく工程が必要になるから、切開箇所が広範囲になってしまう、との医師の説明。
その他、手術に際しての出血や輸血の話。リスク大の手術は、心臓の弱い伯母にはハードルが高過ぎるらしい。もしも手術途中で心臓が止まるようなことがあっても、心肺蘇生はできないとか。高齢すぎて心臓マッサージすると肋骨が折れて、肺に刺さるらしい(危険なのでそもそもしないとのこと)
じゃあ、どうするか?
自然に大腿骨がくっつくのを待つ。
ただそれだけ。でもまぁ、若いひとと違って、時間はかかるよね。
ここで問題なのが、「伯母がベッドの上で、じっとしていられるか?」ってこと。動いてしまうと、くっつく骨もくっつかない。
その後、何度か看護師さんからの電話連絡があった。内容は想像した通り「勝手に動こうとする」
ああ、入院が長引く。骨がずれて変な形でくっついてしまうとあとあと大変になる・・・
・骨密度の問題
・長期入院の認知症へのリスク
・心臓ペースメーカーについて
・心臓弁に問題ありの件
・もしもの場合の「いろう」の話
・在籍入居している特養のこと
・食事の好き嫌いがはげしい件
・コロナ対策・面会等について
いろんなことを含めて、状況説明が必要になる。誰に説明するのかと言えば、わたしの両親です。伯母は父の姉。本来ならば、患者のキーパーソンは伯母の弟である父になる。しかし、これまた高齢で、医療従事者や介護職員さんからの連絡やりとりに時間がかかるので、わたしが中間フィルターとなっている。
考えてもどうにもならないことをただぼんやりと考える時間が増える。
伯母はいわば「独居高齢者」であり、子を持ったことがない。
伯母のマンションの定期点検やら郵便物の受け取りなんかもあるけど、そのあたりは両親が、こまめにイソイソとやってくれているのでとても助かっています。
しかし。なのである。
日常の中の、こんなに小さなことなのに、自分の時間軸がほんの少しずつバランスを崩す。
考えたからと言って、何か変わることでもないのに、ただぼんやりといろんなことを考えている時間が増える。気がつけば、中途半端になっている仕事の計画や企画のようなものも、いつの間にか断片がふわーっと消えていたりする謎。
はぁぁ。何やってんだろう?って感じになると、えいや!と離脱作戦。
「ああ!いったん休憩。憩いの時間。リフレッシュ!」となり、現実逃避。
アマゾンプライムに入り浸る。(苦笑)
=続きはこちら。3部くらいになるかなーと思っています=