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仕事が続かない障害者の末路

昨日は家の近くのメンタルクリニックへ初めて行った。これまで7年通院したクリニックは、先生が東京へ転勤されるので、これを機会に転院することにした。

7年前はぼろぼろだった。職場で左大腿骨頸部骨折という大けがをして、精神的にも大きなダメージを受けた。だるく疲れやすくうつになる日が続いた。わたしはクリスチャンなので、早く天国に帰らせてくださいと祈りたくなる心境だった。

パートの仕事もいろいろ変わった。就労継続支援A型、B型事業所という障害者のサービスもいくつも利用した。平たく言うと社会勉強になった。でも、神さまの栄光のために生きたいというわたしの願いは、まるで神さまに聞かれていないように思われた。

とうとう神さまは今の位置にわたしを置かれた。平日noteに文章を投稿するという仕事だ。これが神さまがわたしに望むことなら、もっと早くそうおっしゃってくださればいいのにとも思った。だが神さまのベストタイミングというものが存在する。

昨年は9月までB型というところに1年3か月いた。毎日1時間以上通所して軽作業をして、工賃をもらう。わたしの場合、利用料が月18600円かかるので大幅に工賃は目減りする。がんばって月23日通所しても、せいぜい2万円弱しかもらえなかった。

それで同じグループ会社で10月から一般就労をした。時給1100円もらえて利用料も差し引かれない。何時間働くかも自由に決められる。障害者ならラッキーな労働条件ではないか。仕事はちょっと細かい軽作業だった。

とんとん拍子に道が開かれたので神さまのみこころだと信じた。一般就労に必要だったので、医師の意見書を5500円払って書いていただいた。読んでみると、日常生活能力の程度の欄は「家庭内での日常生活は普通にできるが、社会生活上困難がある。」に〇がついていた。まさに自分のことだ。

実際に一般就労してみると、週5日1時間働こうと思ったのに、疲れてしまい、結局よく働いて4日が限界だった。ひどい週は2日しか仕事に行けなかった。普通に考えればこんな楽な仕事で時給1100円ももらえる。仕事は丁寧に教えてもらえ、失敗してもきつい言い方は一切されない。うらやましくない?

だが、わたしは最初の月から音を上げ始めた。ストレスがたまってどうしたかというと、140字のおはなしをXに投稿し始めた。11月に入ったら週3日行くのがやっとになった。本気でやめることを考え始めた。そしてついに12月中旬で行くのをやめた。

当初はやめた後、もう一度B型に戻ろうと思った。しかし会社からは待てど暮らせど、何の連絡もない。最初はいらいらした。でもkindle書籍が誰でもただで出版できることがわかったので、わたしも140字のおはなしで出してみたいという願いを持つようになった。

それでだんだんとB型へ戻ることはどうでもよくなった。そもそも執筆をしながらB型にも通所するというなどという体力は、到底自分にはないことは明白だった。1月に入り会社と話し合いをしてB型利用はしないことにした。

これで引きこもりがわたしの天職だと決定した。長い道のりだった。若いときからいろいろ仕事をしてみたが、人間関係で疲れるしうまくいかなかった。60近くなり、障害者向けのB型ですら続かないのでほとほとまいった。自分の居場所は外にはなかった。

神さまは、わたしが納得するよういろいろな仕事をさせてくださったのだと思う。わたしの書く文章を通して、少しでも人に励ましやなぐさめを与えることができれば、とてもうれしい。当面収入にはならないが、わずかでも収入が発生することがあれば、なおよい。細く長く書いていきたい。


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