永瀬担のひとりが映画「法廷遊戯」について思うこと(ネタバレあり)
映画「法廷遊戯」が本当によくて。
原作も好きで、主演の永瀬廉くんも好きで、深川監督もすき。共演陣も本当に豪華で魅力的な俳優さんばかり。
幸運にも完成披露試写会で一足先に観ることができ、それから公開までたくさんのインタビュー記事を読んだ。
公開初日に2度目の鑑賞。
パンフレットの中身がとても濃くてそれを読んでから観た3度目。
どうしてもこの映画について考え感じたことを記しておきたくて書き出してみたらとっても長文。
愛だけは重めの私が受け取った感想レビューですがよろしければぜひ。
はじめに原作のこと
まず前提として、私はこの映画を見る前に原作の小説を読み終えている。小説を読むときにはすでにメイン3人のキャストが発表になっていたのでふんわり頭に思い浮かべながら読了。
最初に読み終えた時、セイギと美鈴の関係性の、得も言われぬ切なさが強烈な余韻を残した。それと同時に印象的だったのかサクの存在。セイギとサクの関係性も互いにある種の信頼を置いていて、(というよりも裏切らない人と言った方が近いかもしれない)脛に傷を持ち、社会に同じような怒りを抱くふたりが社会の中で自立していく姿に、このまますべてがうまくいけばいいのにと思わされるものだった。
映画化が発表されてから、サクは出るのかな?と気になっていたけれど映画には登場せずセイギ、美鈴、馨にクローズアップした作品構成。
サクを出してしまうと話が広がりすぎてしまうのでこれは納得。それにより、3人の濃密な関係性が色濃く描かれていた。
セイギ、美鈴、馨がたどり着いた先 ~美鈴について
映画での物語終盤、セイギがたどり着いた真実。
美鈴の無実を証明する。それだけを信じ考え事件と向き合い続けたセイギは結果馨によって真実にたどり着く。
その真実を確信した時のセイギの胸の内を考えると苦しくて。
きっとその苦しさと押しつぶされそうな罪悪感を抱えて美鈴に会いに行ったんだろう。
この上ない覚悟を決めて会いに行ったはず。
揺るがないものを抱えて。
それでも接見室での清義はその瞳の奥にゆらゆら揺れ動くものが見えてたまらなく苦しかった。
美鈴と清義のラストシーン、廉くんも雑誌等のインタビューで言っていたけれど美鈴役の花ちゃんの演技がものすごい熱量で鬼気迫るもので。
小説を読んだときに感じた印象としては、廉くんや花ちゃんが語るようにもっと静かでウェットなシーンを想像していたのであの花ちゃんの芝居には驚かされたし、圧倒され、恐怖すら感じた。
廉くんが逃げ出したかった、というのも頷けるくらい、常軌を逸した美鈴がそこにいた。狂気が存在していた。
美鈴のセイギへの思いの強さの根底に流れるのは彼を自分の正義だと信じ込む美鈴の執着だったようにも思う。その異常なまでにセイギに固執するのは、社会や大人に幸せを取り上げられて助けてと声も上げられなかった美鈴を唯一救い、愛情をくれた存在がセイギだったからということが悲しく、切ない。
きっと美鈴にとってセイギは神様にも思えたんだろうな。
お互いへの共依存をも感じるふたりだけれど、そうならざるを得なかった環境に生きてきたふたりが悲しく悔しい。
それを守ってくれる大人も、止めてくれる大人も、ふたりにはいなかった。
奪われるだけ、置き去りにされるだけ。
そんなふたりにはじめて正面からNOを突きつけた大人が、佐久間悟だったのかもしれない。
佐久間悟役の筒井さんの存在感、説得力も素晴らしくて。
誠実実直、正義感溢れる存在という役どころがぴたりとハマっていて大好き。違う形で、清義と美鈴に出会っていたら、運命はまた違ったんだろうと空想してしまうくらいにつらい現実だった。
接見室~判決が言い渡されるシーンを通して、原作よりも美鈴の異質感が鋭く描かれているなと思ったけれど、ここはもう好みなのかなと。
美鈴のセイギへの執着の濃い部分をさらに煮詰めて抽出してあぶり出したような。
そんな、描かれ方だったように思う。
私が思っていた以上にラストは感情を爆発させてどうしようもないところまで美鈴がいってしまった(壊れてしまうんじゃないかと思う程に。いや壊れてしまったのかもしれない)けれど、それでもセイギは自分の決断を曲げなかった。
その理由が、馨だということが切なく痛い。
「……僕も、美鈴と一緒に生きたかった」※
これが現場で付け加えられていった台詞というのも胸にくるものがある。
(※原作にはある台詞)
セイギ、美鈴、馨がたどり着いた先 ~清義と馨について
廉くんが「清義の最後の決断が誰を思って下したものなのか。それを考えると、より揺さぶられる話だなと思います。」と語っていたように、この馨の存在こそが美鈴にとってきっと最大の誤算で、想定外だったんだろうなと思う。
馨がセイギの中でそこまで大事な存在になっているとは思わなかったんだろう。美鈴には清義しかいなかったし、きっと清義には自分しかいないと思っていたんだと思う。
映画のラストシーンを初見で観た時、何て事のない日常で、セイギと馨が仲良くふざけているシーン。そのあまりに普通なことがこの映画の中ではむしろ異質に映って、それがラストシーンだったことがあまりにしんどかった。
映画の中で、彼らは常に特殊な状況下に置かれていたけれど、本来セイギも馨もそして美鈴も、普通の大学生で、普通の人でありたかったはずだ。
普通のしあわせをなにより望んでいたのは彼らなのだから。
大学で出会ったセイギと馨は、本当ならば気の合う友人としてずっと一緒に切磋琢磨したふたりだっただろう。
きっと美鈴とふたりきりで生きてきた感覚のセイギにとって馨は、うまれてはじめてできた大事な友達だった。
そしてその友達を、美鈴と自分のせいで永遠に失った。
自分と美鈴が生きるためにと仕掛けた行動が、美鈴を助けたいとただそれだけを願い動いてしまった行動が、ひとりの人生を奪い、命を奪った。
友人の、ただひとりの父親を永遠に奪った。
命も、尊厳も。
その揺るがざる真実がそこに横たわっている。
彼の中の正義は、それを許さなかった。
自分だけが、美鈴と生きていくことを許せなかった。
最後の決断をさせたのは、馨の存在。
その事実がどうしようもなく悲しくて、やりきれない。
それでもそうする決断ができた彼の本質にある正義が唯一の救いなんだろうか。
馨にとってセイギは、憎むべき相手であったはずなのは間違いない。それでも、実際に出会い、語り合い、近くで接する中で生まれた別の感情も存在していた。馨にとってセイギは紛れもなく、特別な友人だったのだと思う。
だからこそ、赦そうとした。
同害報復は寛容の理論。相手を赦すためのもの。
その思想を持った馨にとって最後に仕掛けた無辜ゲームは、父親の尊厳を取り戻し、美鈴とセイギを赦すための方法だったのだと、私はそう受け取っている。
「愛し生きること」が与えてくれる光
ただの年相応の青年のセイギと馨を描いたラストシーンのあと流れるエンドロールと「愛し生きること」。
鑑賞中ずっと、静かな苦しさがお腹の底に溜まっていくような感覚だった。
淡々と見える形で物語が進んでいくことがより重さを感じさせて、それぞれの正義や抱えてきた痛みが静かに溜まっていく。
美鈴の慟哭も、馨の誓いも、清義の決断も。
すべてが苦しく、正解も答えもないという事実がもどかしくすらあった。
「愛し生きること」が流れた瞬間にそれらがぶわっとあふれる感覚。
映画の本編と、主題歌は作品としてひとつなんだと実感させてくれるものだった。それが大好きなふたりの声に彩られた楽曲だったことがたまらなく嬉しかった。
「愛し生きること」の音が響いた瞬間、溜まった思いが一気に溢れて、でもようやく息を吸えた気がした。
優しく響くふたりの声と歌詞とメロディーが、一筋の光のような、そんな僅かな希望に近い何かを感じさせてくれた。
セイギ、美鈴、馨がたどり着いた先 ~清義と永瀬廉について
事前に読んでいた雑誌のインタビューで監督が語っていた永瀬廉。
深川監督が語る言葉の選び方がとても好きで、すっと腑に落ちるものが多かった。
例えば声について。
倍音のよう、という表現にああ、そうだなとすごく納得した。廉くんは心情を吐露するナレーションがとても巧いと思っている。
その魅力を監督の言葉で聞けてとても嬉しい。
監督からの俳優・永瀬廉評。
これもとても嬉しい言葉ばかりが並んでいた。陰と陽なら間違いなく陰、太陽と月なら月、そんな廉くんが持ち合わせた雰囲気を闇夜に咲く花、と表現してくださったことがとても印象的。
そして最後に、パンフレットでとても踏み込んだ話がひとつあって印象的で考えさせられるものだったのでそれについて話して終わりにしたいと思う。
セイギは美鈴をいつか迎えに行く。
それはすごく救いにもなるもので、希望に感じる。
でも、清義が迎えに来るまでの美鈴はどうやって生きていくんだろう。
どんな思いで、何のために、生きる意味を見つけられるのだろうか。
最後の壊れてしまったような美鈴がこの先どう生き自立していくのか。
どうかこの決断をしたセイギの愛情に気づいてほしいし、どうかセイギを諦めないでほしい。
本当の意味で自由になったふたりなら、今度こそそこからしあわせになることができるはずだから。
きっと清義はどんな美鈴になっていたとしてももう迷うことはないと思うし、絶対に美鈴を諦めないし、ふたりでしあわせになる道を切り開いていく。
その覚悟をもって、美鈴の前に現れるんだろう。
「愛し生きること」の最後の歌詞、
これが全てなのかもしれない。
完成披露試写会で、監督が「(この作品に)答えはない」と言った時に廉くんが深く頷いていたのが印象的で。
それぞれの痛みや愛して信じているものが浮かび上がってくるようで苦しくも胸に迫る映画。
廉くんの受けの芝居の巧さ、細やかな息遣い、見るものに想像させる静の演技。
花ちゃんのミステリアスなのに潔白さを纏い精錬された雰囲気と、命を削るような演技。
北村くんのスクリーン上での佇まい、多くを語らずとも馨のその圧倒的な存在感を魅せる巧さ。
どこが欠けても成立しえない、そんな3人の素晴らしい共演。
とても久しぶりに没入できた映画体験で、特別な作品のひとつになった。
「法廷遊戯」という作品に感謝を込めて。