1999の歌詞解釈にみる私のKP現在地
はじめに
作詞が海人くんだと知ってからずっとどんな歌詞だろう、どんな曲だろうとどこか緊張していたような気がする。
試聴がはじまり、公式さんがつけたハッシュタグも
#廉と海人の1999 で。
ふたりの曲なのかなと、漠然と期待が膨らみ試聴箇所の歌詞ももうそれだけで泣いてしまいそうな感覚になった。
そして発売フラゲ日。
真っ先に歌詞カードを開いたなんて経験、いつ以来だろう。そもそもそんな経験あったかな、なんて思いを馳せながら開いた歌詞カード。
「1999」作詞:海人
その先に飛び込んできた、言葉の群れ。
それは当初思い描いていた感覚とは違ったような気がする。
想像以上にひりひりして、そしてちり、とした痛みのような、そんなものすら感じたような。
歌詞を一読して音源を再生した。
ふたりの声で紡がれたその言葉とメロディはまた私の中の受け取り方を立体的に変える。
それくらいに、どこか多面性を感じる曲だったのかもしれない。
1999の歌詞解釈に関しては、たぶんたくさんの人がしている。きっと素敵な解釈もたくさんあるんだろうなと思う。
でもどうしてもこの曲の解釈は誰の解釈も見ないまま、自分の解釈として言葉にしたいなという思いになった。
──思ったのだが、それからもう何か月?という感じである。
どうしてもあるフレーズの解釈というのか、言語化しにくい部分があり、そこから先に進めなくなってしまったのだ。
自分の中でその部分をどうして言語化できないのか、
わかるようなわからないような。この解釈をしたくないけれど、でもきっとそうなんだろう。
…という思いからくる抵抗だったようにも思う。
でも、ようやく私なりの解釈を言葉にできたので、
記録としてここに記します。
これはいまの、わたしの解釈。
時が経てば、もしかしたら受け取り方が変わることもあるのかもしれない。それでも、いまこう感じたというものを残しておきたいなと。
※以下、1999の歌詞を引用しつつ、私なりの解釈文を記してみようと思う。
ふたりのあたらしい未来、あたらしい挑戦。
昨日=それまでの日々。青春そのもの。
彼らが駆け抜けたきらきらしたものたち。
それを段ボールなのか、宝箱なのか。
そこにぎゅっと詰め込んで、ふたを閉じる。
そうして前に進む。
わかっていたって、決めたことだとしたって。
寂しいとか、不安とか、胸に迫る思いはある。だからこの滲んで揺れる視界だって、足元のコンクリートが揺れるようにぼやけていたって、それは何もおかしなことじゃない。
それぞれの旅立ち。それぞれの行先。
進む道がここからは違うけれど。
個性のかたまりみたいな、そんなそれぞれが出会って、頑張ってきたことは間違いじゃない、嘘じゃない。
それぞれ意地っ張りなとこもあるけれど、それでも
それぞれがお互い同じ道を同じ歩幅になるように、そうして頑張ってきた。
これからもきっとその青春だった日々は心のどこかで生き続けている。
たとえ過去になっても、その記憶が薄れても、確かにあって、それは確かなもので。
この歌が、僕らにも、そして聴いてくれるあなたにも、残るように。信じてほしい。
朝が暗く感じても、僕らのこの名前はここにあるから。
あり続けるから。
ずっとそのまま、ここにあるから。
あなたにとって、特別でありつづけたいと思うから。
新しい体制で動き出したふたり。
まるで違う景色で、まるではじめてのことばかり。
すべてがまた一からのようで。
緊張か、それとも高揚感か。
不安にだって当然なるけれど、それでもいま、
やってやろうと決意して
新たなことをはじめるわくわく感だってある。
誰に期待されてなくても、ここでまたはじまる。
踊る。見せる。歌う。演じる。笑う。
ここからまた。
誰も見てなくても、誰かに届くように。
もう僕らは違う場所で 違う道で。
当たり前に隣だった日々はもうない。
もう触れられる距離ではなくなった僕らは、
当たり前だった日々からの変化にまだ慣れないこともあるけれど──それでも。
それぞれがそれぞれの場所で生きていくと、そう決めたから。
それぞれの場所で。
お互いに笑われないように、歩んでいく。
これから先は、違う歩幅で。
いまとなりにいるきみとそれぞれの歩幅で、同じ道を。
僕らはこれから先もまだまだ続くこの道を歩いていく。
心配いらないから。
泣いてしまいそうな夜の闇の中でも、
僕らの名前を呼んでほしい。
それくらいにあなたの人生の一部になりたいと思ってる。
どんな季節も
どんな天気の心の日も
僕らの軌跡は間違いなくあって、
僕らが歩んできたことに嘘はない。
ただここにいる。ここに立ち続けてきた。
そのことに特別な意味も、嘘だって、ないんだ。
僕らの軌跡。
一緒に歩いてきたこと。
それだけだ。それがすべてだ。
これからもきっとその青春だった日々は心のどこかで生き続けている。
たとえ過去になっても、その記憶が薄れても、確かにあって、それは確かなもので。
この歌が、僕らにも、そして聴いてくれるあなたにも、残るように。
信じてほしい。
朝が暗く感じても、僕らのこの名前はここにあるから。あり続けるから。
ずっとそのまま、ここにあるから。
あなたにとって、特別でありつづけたいと願うから。
おわりに
これは、いちオタクの、いち永瀬担でありれんかいが大好きな者の、ひとつの受け取り方。
1999、これは希望の歌だなと思う。
前に踏み出す希望の歌。
過去も未来もまるっと大事にしている。
聴く人が過去を思っても、今を思っても未来でも、どれも否定しない、なんて優しい歌なんだろう。
そんな風に思う。
この歌からは、廉と海人の青春と、これから先へとつづいていく新たな可能性を感じた。
そしてなにより、廉くんが「俺だから理解できることもある詩」という言葉を読んだとき、それがすべてだなと思った。
廉くんがわかっていればそれが一番なんじゃないかと。
メロディにふたりの声が乗って、歌詞がもっと立体的に浮かび上がって心ごともっていかれそうだった。
優しい声の中に強さがあって、まさにれんかいの曲。
1999の歌詞解釈は人によって違うだろうし、もしかしたらその時々で受け取り方が変わるかもしれない。
それでもとにかく伝わってきたのは、ふたりの決意と強い気持ちと優しさだった。
これはふたりがずっと伝えてきてくれたことそのまま。
あの日からずっとふたりが言葉で行動で示してきてくれたこと、それがそのまま歌になったような、泣けちゃうくらいに強くて優しい、そんなふたりの固く結ばれたまっすぐな意志と決意。
ふたりが切り開いていくであろう道を照らしてくれる。
ふたりが歩いていく先をファンにも照らしてくれるような、そんな希望の歌。
廉と海人の1999。
きっとライブで聴けたら泣いちゃうだろうな。
そんな大切な曲がまたひとつ増えて嬉しい。
ふたりをすきでよかったな、と心底思わせてくれることにありがとうでいっぱい。
これがいまの私のファンとしてのKP現在地だ。
※「1999」は上記リンク、初回限定盤Aに収録されています。