オリ曲への想い

前回の投稿で自枠について悩んでいましたが、私なりに答えと覚悟を持つ事が出来ました。


経緯をお話したいのですが、今回はオリ曲への想いを記したいと思います。


私は学生時代、目立つような事が嫌いで、音楽とは無縁でした。今だからこそ、沢山の音楽に触れたいと思っていますが、当時は色んな事に覚めていました。


そんな私を変えてくれたのは、亡きバンドメンバーの1人でもあり、心友のおかげです


傍からみたら素敵な家族に見えるかもしれない


でも、私の父は精神病を患い、更に買い物中毒、激しいマザコン愛、そして言葉の暴力が絶えない人です。


そんな父から受ける精神的なストレスは言葉には現す事が出来ず、初めて私が直面したのは中学生でした。


初めて父の病を知り、目の当たりにして、勇気もない癖に人生のピリオドを打とうとしていました


友達はいましたが、心の底から心友と呼べる存在ではなく、父の病を知ったら学校中で噂になり居心地が悪くなり、絶対に誰も来ない場所で、祖母の影響で聞いていた、美空ひばりさんの楽曲を口ずさんでいました。


心友は、密かに聞いていて、彼女もその場所でドラムの練習をしていました。その場所は体育館の倉庫のような場所で、物が溢れていたのでお互いに分かりませんでした。


そんなある日、私がその場所でポツリと「消えたい」と話していたら、心友から声をかけられました。


【あのさ。消える前にバンド一緒にやらへん?】


まるでドラマのような一言に、私は「歌なんて好きじゃないし目立ちたくない。音楽そんなに好きじゃない」って話す中


心友は、またしても「自分はロックは好きやけどヘビメタは好きじゃない」だから大丈夫と、強引に言われ続け、そこで言われたのが、【歌聞いたんやけどさ。アカペラは勿体ない。結構、良い声してるもん、コレ貸すから聞いてみ?】


渡されたのは1枚のCDでした。


多分、このCDを聴いていなければ、私はバンド活動、音楽バカにはなっていなかった


マイケル・ジャクソンの「Man in the Mirror」


私を変えたのはこの曲でした。


貸してくれた時は、英語だしわからなくて、でもメロディーは耳に残り、気付いたらマイケル・ジャクソンという名前を検索し、楽曲についても調べていました。


その時に、歌詞の和訳を知り、静かに涙を流したのを覚えています。


それで心友に後日、CDの感想を話したら、次から次へと洋楽や色んなCDを貸してくれては話し、彼女が叩くドラマを聞いて、2人だけの静かな音楽を楽しむという時間に。


そんな時に彼女から「コレ歌えるよね?」って、美空ひばりさんの楽曲を歌うように言われ、何故か、彼女の前では歌うことが出来ました。


その時に、音に乗せて歌う楽しさとか、気持ち良さとか初めての想いを経験しました。


心友から言われました。【音楽は心のサプリメント】だと。


だから、もしも人の言葉に傷付いたとしても音楽を聴けば良いと。そして、もう一度、バンド活動に誘われ、その時は一緒にやると返事をしました。


でも、彼女はもうこの世にいません。


私が大好きな推しの音楽も、オススメしたい歌手も楽曲も伝える事が出来ないのです。


だけど、天国で聞いてくれてると信じ、母校の記念館に行き、推しのCDを置いて、毎年追悼ライブをしてます。


そんな音楽の入口を導いてくれたからこそ、配信アプリで推しの音楽を拡めたいという想いになり、自らが配信をし、今では自慢の4人のシンガー、シンガーソングライターと出会う事が出来ました。


人生を捨てようとし、飽き性な私が長く続けて来られた配信。その配信で自分の強みは歌でした。


もちろん、素人です。上手くはないです


いつだって音楽は自分の心のお守りとして、今も生きています。


オリ曲に出る時、名前が載るとか、称号とかではなく、自分の人生を変えてくれた音楽で、ポコチャという場所で形に残し想いを形にしたい。


その事を思い出させてくれたのは前々回に投稿した、ママライバーのさわちさんでした。


9日〜15日のイベント期間中、彼女の想いと覚悟、勇気に心が痺れました。


オリ曲を勝ち取った姿を見た時、自分も掴み取りたいと覚悟する事が出来ました。


彼女から、「次は私の番だ」と言われた時、私も彼女のようになりたいと思いました。


きっと、彼女と出会っていなければ、オリ曲の夢を夢のままにしていました。


覚悟を決めれたのは、振り返る中で、覚悟を決める為に必要な勇気と覚悟を見たから。


今度は私の番。もう迷いません。


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