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「お母さん食堂」署名のとほほ

ファミマのブランド、「お母さん食堂」の名前をめぐり署名活動が行われているようです。「お母さん」というネームが「食堂に立ち料理をする人がお母さんであると捉えられる、ということを論拠にブランド名変更の署名をしているという内容です。

もともとはツイートから始まった1件らしく、ネタツイの可能性もある旨、考慮したうえで…

個人的には「お母さん食堂」何も思わないですね。というかこういう系の問題ってたまに話題になりますが、問題にしたい側の攻め方が下手くそなんですよね。得てして「女性の社会進出」とか「女性の平等性」とかを訴えかける論調に落とし込むんですが、その本質に近づくための問題の昇華ができていない。目的と行動、気にしてる対象が実はズレてると言うことがある気がする。

今回の理屈を見ても「なぜお母さん食堂が良くないのか」というのはわかる(結構個人的好き嫌いじゃんと思うものも多いですが)のですが、それが「女性の社会進出」とかに繋がる理屈が不透明。

理屈を「本来、性的区別の必要ない部分に対し性的区別を行うことで誤解させる恐れがある」という論理なら分からなくもないですが、それが「お母さん食堂」に性的区別意図があるかという部分は疑問です。もう少し言えば、この署名運動をすることで「社会全体は良くなるのか」というのも疑問です。本質は社会を良くしたい、それが「お母さん食堂」という言葉を変えるべきなのかどうなのか。

個人的には「やりたいけどできない理由が性差別にあるケースは変えるべき」というのがモットーです。例えば、めちゃくちゃ相撲をしたい女性がいて、その人が土俵に上がりたいけど女人禁制だから無理です、変えたいです、というなら分かりますが、食堂は現状男女平等だと思うので、問題なしです。

こういう理屈のように
①本質こうだよね
②それってこういうことだよね
③現実に即すとこうだよね
って言う論理にしないと結局何が言いたいか分からなくなるので注意が必要です。

理屈を展開するときはその本質に立ち返る必要がありますよね。

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