大切な風景を魂に宿す人たち~しなやかに生きるひと③~
こんにちは。明日美です。
一雨ごとに春が近づいてきますね。
河岸の緑の存在感がジワジワと増している。身体の中は、毎年変わらず、少しザワザワ。春と共鳴中、調整中、そんな感じの今日この頃です。
さてさて、前回に続きまして、『しなやかに生きるひと』と題して、これまで出逢ったしなやかに生きる人たちのことについて書いてみたいと思います。
私が初めてそのしなやかさに出逢ったのは、茶の湯の師匠。しなやかな生き様から私が何を感じて、何を学んだのか。そして何を実践してきたか。
どんな展開になるのかわかりませんが、安心して、自分の人生を歩んでいきたかった過去の自分へのメッセージと、未来への備忘録になるのかもしれません。
それでは、はじまりはじまり。
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ある日の夕食後。
夫が、アメリカのミュージシャンのボン・イヴェールという人の話をしてくれた。私はとかく音楽に疎い。
彼が言うには、ボン・イヴェールの歌を聴いていると「山を感じる」のだそう。「へぇ~」と思いながら、彼がテレビでMVを見せてくれた。その時に私の中に拡がったのは、「真っ白で大きな雪山」だった。夫に「山といっても”雪山”な感じの人だね。」と伝えた。
音楽やMVの中に、雪山を感じさせてくれる人は、一体どんな人なんだろう。気になるとすぐに調べてしまう私。Wikipediaの情報が正しいならば、こうあった。(ジャスティン・ヴァーノンは、バンドのヴォーカリストさんのお名前)
この人は、雪の降る山々を自分に宿しているんだなと思った。
思い返すと、お茶の師匠も、戦時中に疎開した山梨の風景・自然が自分の中にあるのよとお話してくれたことがある。
大変な時や、苦しい時に、傍にあっま存在(山や海、自然)が魂の中にスッポリ入ってしまって、彼らの中にはいつでもそれがあるのではないか。そんなことを思った。だから、音楽や言葉から、そういったものが滲み出てくる。
画家の井田幸昌さんの動画を拝見した時にも、この人は日本海や大山を内に宿す人なんだなぁと思う一節があった。9:30くらいのところから、地元の鳥取でインタビューを受けているところ。
東京芸大を目指して受験勉強中に、何度も真っ暗な真夜中の日本海の前に座っていたという話が出てくる。そして、「上昇志向よりも、安心感とかが必要な時期だったんだと思う」といったことをお話されていた。
安心感て、もしかしたらこういうところから育てられるのかもしれないな。自然が共にあることを知っている。
そんな井田さんのお話を聴きながら、思い出したことがあった。
今年のお正月に、夫の地元の山形に帰省したときのこと。彼が小学校低学年の時に釣り竿を持って、1人通った最上川の岸辺に連れて行ってくれた。今年は、雪がほとんどなく、例年、雪で近寄ることのできない最上川の岸辺まで降りることができた。その日は、薄日の差す曇の多い日で、風は少しあるけれど、穏やかな日だった。
岸辺に立って、目を瞑ると、ゆったりとダイナミックに流れる水の存在を感じた。時折、何かとぶつかった水が、タポン・・・ダポン・・・と音を出す。風が鼻先を冷たくする。冬の匂いがして、お日様が笑いかけてくれているかのように優しかった。
あぁ、夫はこの景色を観て、感じて、育ったのだなぁと思った。
夫の中には、この最上川がいたのだなと思った。時折見せる優しい日向のような彼の存在感は、最上川の陽の当たる岸辺が彼の中から醸し出されていたからなのかもしれない。
最上川に感謝したことはいうまでもない。
人がそういった風景を魂に宿すと、ふとした時に、その存在が周囲に醸し出されることがあるのかもなぁと思う。それは、その人自身の安心感や大切な拠りであると同時に、誰かを包み込む雄大で、繊細な自然にもなりうる可能性を秘めているのかもしれないと思った。
しなやかさというのは、自分の中にある知識や言葉でだけ創られるわけではなく、言葉にできない存在たちを内に湛えることでまた滲み出てくることがあるのかもしれない。そんなことを思った。
今日も読んでくださってありがとう。
素敵な一日を🌈
明日美