ちゃんと気持ちを伝えて、1人で抱えすぎず、しょいこみすぎず。
理由がわからず涙が流れてくるとき、
その涙はどんなものなのだろう。
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大切な誰かに会いたい寂し涙、
「しあわせー!」と叫びたくなるような嬉し涙、
思い通りにならなかった時の悔し涙、
何かを失った悲し涙、
いろんな涙の種類があるなあと思う。
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この町に来るまでは、涙を流すことが怖くて、
涙を流すことがあまりなくて、
たまに、学校がつらくて一人で枕に向かって
涙を流すくらい。
毎日同じ道を早く目的地に築きたい一心で登下校して、
部活して、家に帰って、お風呂入って、ご飯食べて、
勉強して、寝る。
ルーティン化した変わり映えのない日々を過ごしていた。
でも地元にいた頃は、当たり前だったし、
変わり映えの無い日々の中だからこそ、
今、感じているしあわせとか、考え方とか、
感情もある。だから一概に変化のない日々が
悪い、というわけでもないし、時は、
強く固く繋がっているんだなあと強く感じる。
何も変化しなかった日々。何も変化できなかった日々。
この場所で変化するのは無理なんだろうなと
諦めてしまっていた。
だから、場所を変えて変わるしかない、
そう強く思った。
一冊だけ実家から持ってきていた
中学3年生の時の日記の中に、
「一日の中に昨日とは違う何かをひとつ、
たったひとつ取り入れるだけで、
小さなひとつがいつか大きなひとつになり、
自分が変わることができるのではないかと思う」と
つぶやいていた。
見つけたときに自分のことなのにびっくりした。
私こんなこと思っていたんだ。って。
同時に嬉しくもなった。この町に来てから、
ちゃんと実感できているから。
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幼稚園、それより前のころから本を読むのは
大好きだったし、気に入った本を、気になるページを
何回も繰り返し読む子だった。
この町に来てから、「本」という存在が
遠く離れてしまった。
本の内容やドラマ・映画の内容の長期記憶が
できなくなってしまった。
この日にどこかへお出かけしたとか、こんなことしたなあ、っていう記憶は鮮明に覚えているのに、
会話の内容も、言ってもらえて嬉しかった言葉も、
覚えているのに、なぜか思い出せなくなってしまった。
覚えることができなくなった。
なぜなのかは自分でもわからない。
だから本が好きというのを伝えることをやめた。
おすすめを聞いてくれたり、
どこが好きなのかを聞いてくれることもある。
でも覚えていないの。思い出せないの。
期待に応えることができないのが怖くて。
ドラマや映画を見ることも無くなった。
感想を聞かれたり、特定のシーンの話になったり、
でも応えることができなかったらどうしようと
怖くなって、自発的に見ることは無くなったし、
少しドキュメンタリーを見るくらい、だった。
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それもあって、自分の気持ちを伝えることが、
話すことが、知られることが怖くなった。
伝えたらどう思うのだろうのかなあ、
この伝え方で傷つけたりしてないかなあ、
知ったらどんなふうに思うのだろう、
何かこぼれ落ちたりしないかなあ、
って不安が頭の中を埋め尽くしている感じ。
日々、いろんな気持ちを抱いて、
さまざまな考えを繰り返している。
でも伝えることが怖くて、誰にも話せなかったし、
話さなかった。
自分の今感じている気持ちとか、
あの時感じた気持ちとか、
たくさん感じているのに、
誰かに自分の想いを発信するのが怖くて、
自分の世界の中に、心の中に、閉じ込めていた。
閉じ込めているばかりだと、良いことも悪いことも
落ち着かなかったから、
文字にして残していた。今も、ずっと、。
ほんとに細かなことも、些細な気持ちも、
書き残していた。
文字に残すことで心を落ち着かせることができる。
でもあるとき、共有するからこそ分かり合えることが
あることに気がついた。
想いを話すこと、話したい時に話したい人に
話せばいいんだって。
みんなに話さなくても、常に話さなくても、
自分のタイミングで、心と相談して、
話していいんだって。
想いを閉じ込めておくことが辛いこともある。
でも心に閉まっておきたいものもある。
閉まっておきたいものは閉まっておいたらいいし、
閉じ込めておくのが辛い時はちゃんと「つらい」って
伝えていいんだ、って。
話し出すと、自分が思っている以上に、抱えていて、
溢れ出てくる想い。
伝え始めると止まらなくて、涙も出てきて、
泣きながら喋り続けて、過呼吸になることもあった。
「辛い」とか「こんなことが嫌だった」とか
「この時はこうで」ってマイナスな気持ちを目の前で
受け止めてくれる人に吐き出して、
その人の心まで苦しい気持ちにさせていないかなって。不安と、ごめんなさいで気持ちでいっぱいになる。
でもほんとに優しくて、あたたかくて、
包み込まれるような感じ。安心する。
こんな自分のそばにいてくれて、寄り添ってくれて、
倍以上の「ありがとう」の気持ちを感じて、
何回も伝える。
伝えてくれてありがとう。
聞いてくださってありがとうございます。
泣いてしまってごめんなさい。
そんなことないよ、泣くことは悪くないからね。
そのまんまでだいじょうぶ。
思い出すといつも泣いてしまう。
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ここ1ヶ月間くらい、ふと流す涙はこれ。
やっぱり、「卒業」という二文字が常に頭の中に
あって、この場所で「高校生」という肩書きで
居られるのもあと少しなんだって。
急に寂しくなって、急に1人で涙を流して、
急に別れを感じている。
まだまだあるってわかっているのに、そう思いながらも一日、そしてまた一日が過ぎていって、
気づけば一週間が、一か月が、半年が終わっている。
そんなときのながれとら
自分の気持ちが追いついていなくて、涙を流す日々。
片道20分のお家までの道のりで、
お家のえんがわで夜空を見上げて、
夕方の川辺で、
何度ひとりで涙を流したのか、
数えきれない。
涙を流した数だけ、
思い出したい過去の日々があるんだなあと思う。
この町に来た初期の頃は、過去を振り帰っては自分への後悔や、取り柄のない自分を、
責めては、悔し涙を流してた。
悔し涙を流すことは今も、あるけれど、
それだけではないのだなあと。
今、私の流している涙は、きらきらした日々の記憶や、わくわくしたあの日の、
どきどきしたあの日の、そんな眩しすぎるくらいの日々の幸せの涙なのだなと思う。
だから涙を流していることの恥ずかしさみたいなのも減って自ら、涙を流してます。って
誰かに報告できてしまうくらいに、
誇らしくなっています。笑
チャレンジをさせてくれて、
一人の人として私と接してくれて、
経験を積み重ねた先のものを見せてくれて、
人と巡り会えて繋がれて、
等身大を全て受け入れてくれるような気がして、
私にとって、心のオアシスのような場所。
だいすきで手離したくなくて、
ここから離れるのが怖くてふわふわしてる。
言葉にできて、ひと安心、してしまっている。
ひと安心してもいいのだろうか。
こぼれ落ちてしまっているものはないだろうか、
不安もあるけれどこれが、
わたしの今の気持ちのまんま。今を生きる。
読んでくださってありがとうございます。
一日一日に彩りができますように、そう願っています。
おやすみなさい。少しだけ眠りにつこうかな。
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