移住の話① ライフワーク
ニュータウンが苦手です。資産価値の高い団地になるほど敷地境界線への意識が高くなり、住人が自分の権利として「パブリック」と「プライベート」を明確に分断したくなることが、コミュニティーを希薄にしている原因ではないかと疑っています。
ニュータウンが苦手なことにはもう一つあります。神社、お寺、教会、墓地などの祈りの場が非常に少ないことです。公共事業が宗教性を排除しようとしてるので仕方がないことなのでしょうが、地域の自治団体はお神輿を収納する神社もないのにお祭りを続けようとします。お役所は祈りが嫌いなはずなのに公共建築の着工時には(安全祈願祭と名前を変えて)地鎮祭を行ったりするのも不思議です。
団地の効率を優先すると祈りの場は無駄だと言えますが、団地がひと世代で消費され新しい団地が駅から徐々に遠くに造成される現象は「町を受け継ぐ意思の希薄さ」が原因で、それは祈りの場の少なさに問題があると仮説を立てます。
例えば「いわき駅」をスタートして「明治団地」「自由が丘」「若葉台」「郷ケ丘」「いわきニュータウン」と団地を眺めると、駅に近いほど建物の老朽化と住人の高齢化が進んでいるように見えることと、それらの団地内には結婚式場の教会がある程度で、神社も墓地もありません。これらの団地からは「先祖から続く歴史」や「未来へと受け継ぐ文化」を意識して排除されたように見えるのです。
その一方で、濃密な近隣関係を楽しむように過ごす過疎集落が存在します。集落には歴史もあり神社、お寺、墓地などが複数存在し、季節ごとの祭りには子供も参加して放課後に笛や踊りの練習をしています。残念なのは徐々に人口が減っていることです。
人口減少社会が始まってますが、行政が考えるのはたいていコンパクトシティーです。小規模に分散してる過疎集落のための電気、水道、道路、防犯、防災などのライフラインを維持する費用は非効率だというのが彼らの言い分で、暮らしを集約することのメリットを声高に訴えます。
2011年の震災後に、ボクは津波被害のあった小さな港町に移住しました。海が見える自宅兼事務所(建築設計事務所です)で地域に関わって生活するのが目標だったので、かなり理想に近い暮らしです。地元の方から獲れたてのカツオやヒラメをいただき、近所のおじいちゃんにその捌き方を教えてもらったり、家庭菜園のネギや白菜をいただいたり。新しい住人として地域に可愛がっていただいております。
神社のお祭りでは近所の方が笛を吹いていて、盆踊りに行くと櫓の上で歌ってる区長さんが大音量で私たち家族の名前を呼んでくれたりします。こんな集落がずっと残ってほしいと思い、街づくり協議会に参加させていただくことにしました。
建築士の視点でこの集落をよりよく次の世代に受け継ぐ仕組みを考えることが、ボクのライフワークとなりました。コンパクト化という都市計画にあらがう取り組みです。