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過疎地の【未利用空間の活用】は面白い

日本の都市計画は「所有」と「成長」を前提に成長してきましたので、その価値観から抜け出せない老害と言いたくなるような所有者に悩まされる事例を度々耳にします。なんせ「所有」すれば一生安泰なわけですから、十分稼いだはずの建物が老朽化して空き家になっていても価値があることにしないと不安なのです。

そんな方々を相手に「空き家」「空き地」を共有財に読み替える新しい所有と共有のバランスを模索中です。

例えば成長を計る指標の一つ「活性化」を疑うべきだと考えています。
ただ美しい自然
港町の交流の歴史
おおらかな人々
穏やかな日常
この町で生きることを肯定し楽しむ暮らしには、右肩上がりの成長や活性化は馴染みません。
ある地域では派手なイベントを開催して、何百人の関係人口を築いたと言いますが、イベントの後には以前と同じ暮らししかなく、いつも決まった若者がまち再生をうたった団体の代表にこき使われてへとへとだったりします。過疎地域では小さなイベントすら簡単にオーバーツーリズムとなります。

チリの建築家 アレハンドロ・アラヴェナスが2016年にプリッカー賞を受賞しました。彼が建てたのは予算の範囲で建てられる「つくりかけの公営住宅」で 半分が余白の建物に低所得の入居者がDIYで必要な住まいを整備するという 新しい公営住宅づくりでした。引き渡し後半年で建物はすっかり様変わりしたとのこと。
https://architecturephoto.net/40217/
設計のデザインではなく、居住者がつくり続けるシステムの提案が建築の最高の栄誉である賞で評価されています。
家づくりをハウスメーカーや工務店の収益事業、更に不動産所有者の金の成る木として社会全体が成長していた時代は間もなく終わるでしょう。家づくりを素人側が取り戻す時代が始まる予感があります。

過疎地域の空き家を「半分の家」と考えると、チリの先進的な取り組みと同様に半分の負担をDIYで再生できれば、空き家を賃貸するための所有者の負担が減り、家賃も安価となります。所有者のリスクの一部を工務店も負担するような仕組みも必要で、例えば家賃の一部が支払われる工事契約を組んだ場合、長期的には単に改修工事を請け負った以上の収益が見込めるけど、入居者がいない場合は新たな入居者を探さないと損をするような工事契約があってもいいと思います。施工会社は自分のまちで仕事をす時ぐらいは施主と共にリスクを分散させてもいいのではないでしょうか。

このアイデアでも問題は「所有」です。十分消費された建物でもう一度利益を上げようとする所有者ばかりです。この土地に住まないから空き家であり、その建物にも地域の未来にも興味はないし、劣化対策もしないで「所有」だといいます。新しい価値観を彼らにどうやって伝えるかが難しい課題です。

そこで、地域の未利用空間に関わる取り組みを続けています。使われていない港や、周辺の県有地、無駄に2本並行している道路など、「所有」できない「公共」の空間を共有財(コモン)として地域住人が積極的にかかわることには、守銭奴のような所有者とぶつかる心配がありません。
もちろん公共空間ですので法律の壁とぶつかりますが、こちらの方が扱いやすいです。

パブリックスペースを地域が遠慮なく管理し活用すると子育て世代の暮らしは一気に豊かになります。過疎漁村には豊かな自然や未利用空間だらけなのです。

漁船の少ない港
路線バスがほとんど通らない生活道路
港湾施設端部の空き地
これらの活用を考えて、自分たちで豊かな暮らしを創造する取り組みを続けると、「空き家」も共有財(コモン)にならないか考えたくなるはずなのです。
ここまですることで、地域住民が【空き家は誰のものか?】という命題に辿り着けるのではないでしょうか。もちろん遠方にいる所有者の気持ちは変わりません。

港湾建設事務所(県の組織)が所有する空き地をヤギを使って草刈りしたり、自主的に花壇の手入れをしています。共有財の管理料をもらいたいぐらいです。

ヤギが草刈りをしている空き地は雑草なのにきれいに刈り揃えられて芝生の公園のように見えます。すぐ隣の空き地は草刈りが面倒で近隣の方が除草剤を撒きました。茶色に立ち枯れた空き地は遠目に砂漠のようにも見えて、非常に対照的です。地域のかかわり代(しろ)を大切に扱うことで、地域コミュニティが育まれます。最近は隣組の夕食会を定期的に開催しています。ヤギを飼い始めた頃から会話する機会が増え、世話を手伝ってもらったりして関係性が変わりました。草刈り作業中のヤギは近隣の住人にあたたかく見守られています。

空き地での都市農業や空き家での小さな起業の集積がこれからの過疎地域の生き残り戦略だと思っています。「創造的縮小」と言うそうです。ありあわせを手軽に料理するのですが、過疎地域は素材の宝庫だったりします。視点を変えると自慢できる豊かさが一項目増えました。

小学校の登校班が維持できる程度の子どもの数を維持するための子育て環境整備を「創造的過疎対策」といいます。数年ごとに小学生がいる家族の移住を受け入れることで登校班はギリギリ維持できます。これから大人になる子どもたちの大切なふるさとを地域みんなで守っていく手法です。

港の小さな花壇(ブロックで囲まれた港のスキマを許可なく活用)で育てたタマネギを近所に配りました。無法者の野菜をタダでもらうことに負い目を感じる真面目な隣人からは、大きな豚肉やカツオの刺身が返ってきました。物々交換には消費税が発生しないのが気持ちいいですね。

5月の連休には家族が大勢集まり地域外の子どもたちがお神輿を担ぎます。少数の地元の子どもたちはこの日のために祭りのお囃子を練習してトラックの上で演奏するのが自慢だったりします。今年も夏休みには港湾施設を借りる手続き(猛烈に面倒な作業)をし、地域の子どもを対象としたカヤック・SUP体験教室を開催します。震災で途絶えていた地域の盆踊りも再開しました。盆踊りの櫓の上で演奏するのを目標に篠笛を練習しました。過疎漁村で豊かな子育て環境を整備するために必要なのは予算ではなくやる気だったりします。

道路を封鎖して子どもたちの遊び場にする企画は、近所の高齢者と定期的に食事会を開いていて、その中で決まりました。大勢での食事は同意を得るのに非常にいいツールです。

流通せずに担保価値が無くなった不動産は、過疎地では固定資産税と維持管理費でマイナスになりつつあります。解体費を差し引くと売却価格が数十万円なんて話もよくあります。しかし土地の値段は景気が良くなれば必ず上がると信じている世代が今も「所有」にすがっています。土地の所有がそのまま幸せにつながる時代ではないことをこれから建物所有者に上手に伝えていくつもりです。その手法がこの後に話す「家守サービス」です。

価値観のパラダイムシフトは始まっています。特に土地や建物などの不動産については20世紀の価値観や手法は逆転しつつあります。過疎漁村は逆転現象の最先端地域となっています。
新卒の学生が大企業に就職せず中之作のシェアハウスに流れ着き、知り合った会社の偉い人から起業を勧められ面白そうだからと個人事業主として人生を楽しんでいます。
彼女はシェアハウスの入居者と過疎漁村の濃い人間関係に興味を持ち、地元の方と仲良くなるための地元の人向けのイベントを企画して喜ばれています。外部に発信しないから誰も知らない小さなイベントですが、おばあちゃんの友達が増えたと笑顔で教えてくれます。

ヒエラルキー型の社会構造がネットワーク型へ移行していると耳にしますが、目の前で若者たちが奔放に暮らしを楽しんでいる姿がまさにそれだと感じています。活性化は要らないとか言いながらSNSでイベント告知している自分がいかに時代に追いついていないか恥ずかしくなります。

同時に貨幣資本で測れない社会関係資本の見直しも始まっています。この件は「港は誰のものか」に話が戻ってしまいますので割愛。

古い価値観は簡単です。単純な物差しでしか測りません。通行量・居住者数・事業者数などなど、数を数えるだけの単純な物差しで活性化を測ります。県の予算でイベントをすると来場者数ばかり聞いてきます。
そんな指標は人口減少社会では通用しません。そもそも減少する未来を予想すらしていなかったわけですから、さっさと更新するべきですが、思考停止の方たちに新しい物差しは想像できないみたいなのです。

これからの街の魅力を計る新しい指標ですが、例えば「ロマンがある」とか「共同体に帰属できる」など、数値化しない形で表したいです。衰退の先の風景を創造するのに大きな予算をかけた駅前再開発などがありますが、人口減少が始まっている地方になる程、以前の駅前をコンパクトに集約しただけになると予想しています。唯一便利になるのは行政の支所や図書館などの公共施設が駅前にできること、最も喜んでいるのはそこのスタッフではないかと疑いたくなります。

敢えて活性化とは言いませんが地域の魅力を高める取り組みは、ありあわせの素材と関係者が少しずつ身銭を切って小さく始めるのが理想です。延長線上にある未来像を小さく視覚化する取り組みを続けることと、変化の意味をていねいに言語化することが重要になると思っています。

エリアリノベーションの必要性を市役所の補助金申請で訴えたとき、審査委員長が「漁村の再開発を民間ができるのか?」「道路も直せない予算で何をするつもりなのか?」と質問されました。エリアリノベーションという言葉から区画整理事業のようなものを連想したのかもしれません。「過疎地の未利用空間の活用方法を考えることで、新たな施設を必要としない地域づくりは可能ではないか」と答えました。

というわけで、11年住んだ町で次に取り組むべきは以下の2つ
①空き家の延命 劣化を防ぐ仕組みづくり 【家守サービス】
②建物の将来を生前に考えておく 相続人任せにしない建物を受け継ぐ仕組みづくり 【住まいの終末ノート】
この2つを実現するには地域の理解と協力が不可欠で、そこを目指す取り組みを始めるときに割と簡単に共感を得られるのが【未利用空間の活用】です。私は移住者ですが過疎地で奔放に振舞っても大抵は受け入れてもらえています。

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