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民報サロン:210524 「創造的な暮らしの提案」

津波被害の古民家を買い取り再生して活用しているが、この建物には一部が土蔵だった痕跡がある。敷地内に土蔵があるのではない、母屋の一部が土蔵なのだ。貴重品が多数揃った資産家のお屋敷に見られる「座敷蔵」のつくりだったのではないかと推測しているが、私が買い取った時には蔵の扉は無く、土蔵部分は台所と浴室に改装されあり、かつて自慢の調度品に囲まれた部屋で、家主が舶来物の洋酒を秘かに嗜んでいたであろう痕跡は残念ながらどこにもない。
修復工事に向けた調査で土蔵部分の内装材を剝がしてみると、1階の柱が白アリ被害を受けていて、構造補強のためには土蔵の土壁が邪魔になってしまった。古い建物が好きで修復しているのに、江戸時代の職人の手跡を消し去ることに躊躇いはあったが、建物を住み継ぐためやむを得ないと自分に言い聞かせた。
厚い土壁を壊すと、中から藁縄で編み込まれた丸い竹の格子が落ちずに建物にぶら下がった。しがみついていたと書いたほうがいいかもしれない。当時の職人の意地がそうさせているような気がして、このまま全てを産廃処分したら夢見が悪い。
古民家修復は「住民参加」という手法を用いて、たくさんの友人知人と一緒に作り上げたのだが、初めから込み入った作業にがんがん取り組んでいたわけではなかった。多くの作業はプロが行い、我々が関わったのは塗装や襖貼りなどの特殊な工具類が不要な一部の軽作業に限られていた。当然だが外注費の負担が大きく資金的にも苦労している状況で、「土蔵の土を供養する」と小さな小屋を建てる図面を描いてもスタッフは誰も関心を示さなかった。
私だけが「古い粘土」に執着していたのだ。そこで、粘土は焼かれて焼き物になるのだから、土蔵は焼かれて土器になるのを待っているのではないかと仮説を立て、古民家の庭先に「カマド小屋」を建て粘土に火を入れる計画を提案した。カマドは日干し煉瓦を積み上げる図面も描いた。スタッフは呆れた顔をしたが私の作った物語を受け入れてくれた。
この建物から、我々のモノづくりに対する姿勢が激変した。日干し煉瓦の正しい作り方を誰も知らない状況で、カマドをつくる企画を発表したら、ものづくりが好きな面白い仲間が集まってきた。そしてこの時から自分たちで出来そうな事の幅が飛躍的に広がったのだ。
カマド小屋が完成すると今度は丘の上のボロボロの住宅を改修してカフェにする事業が始まった。この建物は電気・給排水などの専門的な部分は業者に依頼したが、それ以外の工事はDIYで仕上げることを目指した。周囲の山を切り開き小さな農園を整備したり、DIYで使う電動工具や大工道具などの収納する物置小屋の建設も自分たちで行った。庭には実のなる木を植え、キウイを育てる木製の棚やベンチもつくった。こうして3年かけて完成したのが「海が見えるカフェと農園 月見亭」である。
カマド小屋は我々の活動の原点だと言える。あの時のスタッフの一人は、カマドで何をするのかと聞いてきたので、私は飄々と「餅でもつくか」と答えた。すると彼は知り合いの田んぼを借り、もち米づくりから始める段取りをつけてしまった。おかげで年末の餅つき大会までに小屋と米をつくらなければならない大変な年になってしまった。

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