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本日の公演|オペラ、その賑やかしたち|前編

本日はこれから、結婚式がございます。
何せ我々は伝統を重んじる由緒正しい家柄の者どもでございますから、式はそれこそ典礼に則って厳粛に、それでいて華やかに行わねばなりません。
そうそう、宴たけなわには、荒くれどもの乱入もきちんと予定されてございます。
無頼漢らしく棍棒を振り回しながらのご入場となりますので、皆様方はお立ちになっているその場で構いません、抵抗虚しく、こうナヨナヨと薙ぎ倒されていただく感じで、どうかひとつよろしくお願いいたします。

と申しますのはもちろん、舞台上での演技の話であります。
今夜はそんな一場面を含むオペラの演目に、同僚の複数名のダンサーともども、賑やかしとして駆り出されることと相成りましたので、ご報告がてら、以下ではその舞台裏の模様を、順を追ってお伝えしたく思います

🎻楽屋入り

ふと気がつきますと、すっかり日も落ちて、平生であれば街の路地の絵を飾っておる額縁の窓には、器を逆さにしたような室内灯が、月の代わりにしんみり浮かんでいるばかりであります。
本日は朝方から雲などもございませんで、大変日和の良い穏やかな一日を過ごせましたけれども、その分夜になって大層な冷え込みようでございます。

うっかり油断しますと、服の裾から潜り込んだ風がしんしんと身に堪える冴え渡った夜気の中を、私(わたくし)はダウンジャケットと、毛糸で編んだニット帽という出立ちで、大魚の鱗を思わせるような不揃いの石畳を踏み踏み、劇場を指して旧市街広場を横切ってゆきます。
右手には、日中あれだけ威勢よく尖塔を晴天にそびやかしておったゴシック式の市庁舎が、今はひっそりと石材の重みを自覚して、地下深く根を張ったように厳かであります。

とはいえ、口をぽっかりと開けて感心している場合ではございません。
私はこれから公演を控えているのでした。
十五分置きに鳴り渡る、かの市庁舎の鐘の深々とした呼吸を背に受けながら、やけに縦に長い、大きな楽屋口の扉を開けて、劇場に入ります。

四人部屋の楽屋には、ダンサーごとに割り当てられた机と椅子が、それぞれ壁に沿って置かれた鏡に向けてしつらえられております。
荷を下ろしますと、すでに開演までに三十分もございません。
根が怠惰で不精者の私には、ついついこのように無用な緊張感を暮らしの端々に張り渡してしまうという、ほとほと呆れた悪癖があるのですが、そこは私も犬馬の齢とは言いながら、伊達に二十数年間、この性分と連れ添ってはおりませんで、多少の遅れがなんのその、廊下にハンガーとともに掛かっておる衣装を両手に颯爽とかき集め、悠揚迫らぬ動作で着替えを済ませると、すみやかにメイク室へと足を運んだのでした。

メイク室では、専門の方々に軽いメイクを施していただけます。
この日は万事がはかばかしく、準備万端、身なりが整いましても、まだ開演までには十分ほど残されておりました。
楽屋の椅子にどっかと腰を下ろし、鼻息ひとつ、吐き出した後、執筆を続けます。

🎻一幕一場|黒ずくめ達に幸運を

屋根屋根が畳んで造る山脈の上、それほど高くない位置に、今宵は満月が掛かっております。
見えますでしょうか?

もちろんあれも偽物でございまして、あばら屋に近い木組みの家々、その一番奥の物陰には、楽屋に通じている放送によって出番を知らされた黒ずくめの男どもが、一人また一人と、今し続々と寄り集まって、さながら悪党どもの集会の様相を呈しているところであります。
出番が間近になりますと、それがさらに一つところへ密集し、ひしめき合い、黒光りのする生地がまるで生き物のように月影を砕いて息を殺すのであります。
しかし耳をそば立てたなら、確かにささやき交わす声が聴こえることでしょう。

「ToiToiToi(トイトイトイ)」

幸運を祈るおまじないであります。
それがまるで、酸欠に喘ぐ鯉の群れような男どもの口から、皮肉まじりに発せられては、ぷつぷつと失笑のあぶくを言下に弾けさせておるのです。

それと申しますのも、冒頭でこそ私はまるでこの度が初演であるかのごとき物言いをいたしましたが、その実、昨日こそ丸一日閑暇をいただきましたものの、一昨日にあたる日曜日、さらに遡ること土曜日、金曜日、木曜日と、すでに連日同じ公演を飽きるほど繰り返しておったためなのです。
かてて加えて、今宵の彼らが所詮、歌手の方々を引き立てるための賑やかしに過ぎざることを思い出していただけるのなら、決して一回ごとの演技や踊りを等閑に付すのではないにもせよ、なるほど殊更に互いの幸運を祈るというのは、いささか大仰であったと納得していただけましょう。
果たして私たちは、悪しき緊張に身体を強張らせることもなく、月明かりないし照明の降り注ぐ下へとその黒漆の姿を曝したのでした。

当の踊りと言いますものも、物語の導入に相応しいような、軽快で簡単な振り付けでございましたので、私どもは楽しむ余裕を残しつつ、オーケストラの楽音に合わせて難なくこなします。
円形に広がり、回転し、一列に並び、あっという間に下手(客席から見て左側)の袖にはけますと、まるで舞台の延長線上であるかのごとく、おのおの歩度を緩めることなく、そそくさと楽屋へ帰ってゆきます。

(後編に続く)

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