片想いのmusic(第1話)
あらすじ
同じ小学校で6年間、同じ中学校で3年間、ずっと同じクラスで過ごしてきた男女の"坂本"2人。
恋愛も友情も意識した事が無い、一緒にいる事が日常になってしまった2人の高校生活が、またも同じクラスで始まる。
本編
「 うん、そうなんだ…」
「そっか。ま、頑張れ。男なんて腐るほどいんだからよ。」
「またそれ?健吾いっつもそれじゃない。他にかける言葉ないの?」
「そうだなぁ…ま、頑張れ。」
「相変わらずね…ありがと。」
「おいおい、話聞いてやったのにその態度はなんだよ。」
「そーゆー話の聞き方する人に対しての、精一杯のお礼ですぅ。」
「あー、そうかい。そんなんだからフラれるんだよ。」
「あ…言ったな。…ヒドイ。」
「…悪い。」
「ふんだ。いいもん。」
「なに、それだけの美貌を持ってれば男なんて望まなくても寄って来るだろ。」
「なんか取って付けたような言い方ね。」
「ああ、そこに落ちてた。」
「…あっそ。」
「いいじゃねぇか。最後にいい思い出できたんだから。」
「良くない!」
「冗談だよ。馬鹿だな。」
「くぅ…!ふんだ!」
「お、その顔可愛いぞ?」
「うるさい!」
「本当だったのに。」
「またからかってるんでしょ?!」
「俺がいつ美沙子のような美しい人をからかいましたか?」
「もういい!」
1 入学式
城浜第一高等学校入学式。
約300名の生徒が体育館に詰められた。
どの生徒も、一様に緊張しているのが見てわかる。
一年二組の生徒が座っている中に、坂本健吾の姿があった。
そしてその隣には、美しい黒髪を肩に乗せ、整った顔立ちの女性が座っていた。
しかし、その表情は明らかに不機嫌そうだ。
「なんでおまえがここに座ってんだよ。」
健吾が小声でその女性に話しかけると、膨れっ面の答えが返ってきた。
「それはこっちのセリフでしょ?」
美女の膨れっ面は、男心をくすぐる。
ただ、健吾の心はくすぐられるどころか、刃物でつつかれたようだ。
その女性は坂本美沙子。
二人は苗字も同じなら、今までクラスもずっと同じ。
同じ小学校になってから、小学校六年間、中学校でも三年間、同じクラスだった。
「ここまで来ると気味悪いな。」
「それはどういう意味かしら?」
「さぁな。勝手に解釈しろ。それより、なんだよその顔。」
二人は椅子に座り、真っ直ぐ前を向いたまま小声で話す。
初めて美沙子の視線が横にずれた。
「あなたこそ何よ。その髪。」
「あ?」
「なんでいきなり色抜いてんの?」
部分的に茶色く脱色され、天に向けて固められた健吾の髪が横を向く。
二人の目が初めて合う。
「いいだろ、別に。」
「何狙ってんのよ。」
どちらも気後れする感じはない。
「じゃあおまえはなんだよ。その化粧は。」
健吾の口の右端がわずかに持ちあがる。
「いいじゃない。化粧くらい。」
「俺以上に狙ってんじゃねぇか。」
「あら、以上って事はやっぱり狙ってるのね?」
今度は美沙子が笑顔を作る。
「当たり前だろ。高校三年間を一人で過ごす気はさらさらねぇよ。」
「それはあたしも同じよ。あんたとのクサレ縁も早く切りたいしね。」
「俺のセリフを取るな。」
「あら、あたしみたいな女とずっと一緒で幸せじゃなくって?」
美沙子が自分の黒髪を右手で少し浮かせる。
「は?」とわずかに言葉にしながらも、その言葉もいらないほどの表情を見せる。
「うわ、冷たいリアクションね。」
「これ以上話しかけんな。また付き合ってると思われたらかなわねぇ。」
健吾は体ごと再び前に向ける。
「あら、それは私のセリフよ。」
美沙子もそれに習う。
「おまえはいいだろ。俺がそばにいれば女寄って来んだから。友達作りやすいだろ?」
「やーね、自惚れちゃって。」
二人とも誰に話しているのかわからないくらい、正面を向いたまま、表情無く口を開いている。
「ま、自分の事良く見えてないのは解るけどな。」
「相変わらずだこと。」
「お互いな。」
いつの間にか入学式が始まっていた。
校長の祝いの言葉。
在校生の校歌斉唱。
特に面白みのない式は退屈の中で幕を閉じた。
2 軽音楽部
学校の行事説明。
新クラスの友達作り。
部活の勧誘。
委員会決め。
新しい授業。
新しい季節には忙しくなる学生。
この軽音楽部でも、新しいメンバーが顔を出す。
「おーい、みんな、新入部員が来たぞ!」
「男?女?」
「男だ!」
軽音楽部の部室には、部員が20名ほど。
比率は男子の方が少し多いだろうか。
部長の掛け声と同時に、全ての楽器の音が止まった。
そして、部長が部室に新入部員を案内する。
「どうぞ。」
「ども。」
一部を茶色に染められ、天井に何か恨みでもあらんばかりに立ち上がる髪の男子生徒が
部室に入る。
「えー、新しく入部する事になりました、坂本健吾君だ。」
「よろしくお願いします。」
天井への恨みが部員に向いたようだ。しかし、すぐに戻る。よほど天井が恨めしいのか。
「え、ちょっと、カッコ良くない?!」
すかさず女子部員が駆け寄る。
比較的可愛いと評価される女性だからだろうか、健吾の顔が緩む。
「坂本?」
名前を聞き、ギターを抱えた部員の一人が部室の奥に目をやる。
「あ、やっぱりいやがった。」
その視線の先を見て、顕吾が明らかに「うんざり」という表情を浮かべる。
しかし、入学式や教室での表情よりは幾分柔らかい。
「遅いじゃない。」
「あれ?知り合い?」
部長が部室の奥でキーボードをいじっていたもう一人の坂本を呼ぶ。
「はい。一応。」
美沙子の表情も心なしか柔らかく見える。
「さすが、美男美女って感じね。」
「あ、一応言っておきますが、別に付き合ってるわけではありませんので。」
女子部員の一人が何かに反応したので、すかさず健吾が発言する。
「え?そうなんだ。」
「はい。」
「それならOKだ。」
ギターを片手に立っている男子部員が偉そうにうなずく。
部室のどこからか「何がだよ。」と、笑いを含んだ声が聞こえた。
「じゃあ…何で呼べばいいかな?」
部長が二人に尋ねる。
「「あ、」」
坂本二人の声が、美しくハモった。
一瞬睨み合った後、美沙子が話し出す。
「一応二人共下の名前で呼ばれてるので、それでお願いします。」
「えっと、美沙子と健吾だね。OK。みんな、いいかぁ?」
「はーい!」
主に女性陣から、元気な返事が返ってきた。
「おい健吾、おまえは何できる?」
男子部員の一人がたずねる。
「えっと、中学ん時はギターとボーカルやってました。」
特に笑顔を作るわけでもなく、淡々と答える。
「お?ようやくうちにもボーカルが入ったか?」
「おい、ようやくとはなんだ?」
男子部員の言葉に、横に立っていた部員が反応する。
「おまえの歌は聞けねぇからなぁ。」
部室が笑いのうずに巻きこまれる。
その隙に、健吾が美沙子の腕をつかんで、自分の方へ引き、小声で話す。
「美沙子は歌わねぇのかよ。」
「私はキーボでいいもん。」
「ふーん。」
言葉が終わると、すぐに腕を放す。さも「誤解されてはたまらん。」という感じだ。
「よし、じゃあさっそく健吾には歌ってもらおうかな。」
部長が健吾の背中を叩く。
「え、マジっすか?」
苦笑いを浮かべる健吾。
「曲は何がいい?」
「じゃあ…『STORM fall』で。」
「お?!いきなりガスか?!」
部長が大げさなリアクションをとる。
「なに、持ち歌?」
「まぁ、一番歌ってる曲っス。」
「マジ?すげぇな。期待しちゃおうかな。」
「じゃあ、キーボは美沙子、できるか?」
「はい。」
美沙子が先ほどまでイジっていたキーボードの所へ駆け戻る。
「ほれ、マイク。」
部長にマイクを渡される健吾。
「ども。」
受けとって、慣れた手つきでコードを引っ張る。
「じゃあギターはおまえで、ベースはおまえな。」
部長が楽器ごとに指名する。
「部長、ドラムどうします?」
「そうだな…貴志、できる?」
ドラムの練習をしていた鋭い目つきの貴志と呼ばれた男が首をかしげる。
「多分…できると思います。楽譜ありますか?」
「ああ、あるよ。じゃあやってみな。」
「わかりました。」
貴志が楽譜に目を通し、軽く練習している間に、他のメンバーも準備をする。
「っしゃ!いってみようか!健吾よろしく!」
握り拳を健吾に投げる。
『じゃあいきましょう。ガスパニックで、STORM fall。』
健吾の声がマイクを通して聞こえた後、部室にキーボードの音が響いた。
約10秒の前奏の後、ギター、ベース、ドラムが入り、部屋のテンションが上がる。
健吾も身体をリズムに乗せ出す。
そして、ハードビートに乗せて健吾の声が入る。
『昨日おまえが聞いた
「あなたの大切な人は誰?」
答えなんてわからなかった
昨日おまえが言った
「私じゃないのね」
そんな事今の俺にはわからねぇ
言葉で言う事ができるなら
俺は今ごろ映画でも作って
アメリカ暮らしだ
俺にできる事と言えば
こんな歌を歌う事だけ
さぁ
この音聞いてみろ
俺の魂感じてみろよ
さぁ
この声聞いてくれ
おまえの胸に届くまで
俺の中に嵐が降って
心臓なんてぶち壊す
俺の中に嵐が降って
おまえなんてつぶしてやる
この嵐感じてみろ
この風の中で
俺の言葉をつかんでみろ
この言葉は俺のもんじゃねぇが
おまえのためにくれてやる
I Love You
Maybe only You』
約4分、健吾の熱唱が続いた。
終わったと同時に部室が拍手と歓声に包まれた。
「すげぇ!」
「カッコイイ!」
座ってられずに立ってノっていた部員達から大声援が飛んだ。
一緒に演奏した人からも声をかけられる。
部長がマイクを取る。
『おいおい、今年の一年上手いんじゃねぇのか?』
部室が「イエーイ!」という声に包まれる。
「おまえも何か言え。」
部長が健吾にマイクを渡す。
「え…」
部屋を見渡すと、期待の目で部員が健吾を見ている。
『えっと…これからお願いします。』
「イエーイ!!」
(なんなんだ、この部活は…)
言葉に出す勇気はなかったが、健吾は表情で言った。
3 新クラス
「おはよう。」
「え?」
朝の昇降口。
下駄箱には大勢の生徒が靴を履き替えている。
1年2組の下駄箱にも数人の生徒がいる。
その中の一人の女子生徒が、坂本健吾に声をかける。
「あ、ごめんなさい…」
顔を少し赤らめて、健吾の後ろを通り過ぎようとする。
「あ、ごめん。おはよう。」
「うんっ。」
振り向いた女子生徒の顔が明るくなる。
肩にかかるくらいの髪を綺麗に栗色に染め、目の大きな女の子だ。
「ねぇ、坂本君ってどこに住んでるの?」
健吾が履き終えるのを見計らって、女子生徒が聞く。
「んーとね、ここからチャリで10分くらいんトコ。」
「あ、自転車で来てるんだ。」
女子生徒の表情がさらに明るくなる。
自転車の事よりも、彼が答えてくれた事が嬉しいらしい。
「そう。片岡さんは?」
「え?」
片岡と呼ばれた女子生徒が、肩を一つ揺らせて、その場で固まった。
「・・・あれ?片岡さん・・・じゃなかったっけ?ごめん・・・」
「あ、ううん!ごめんね!名前、覚えてくれてると思わなくて・・・うん、私、片岡冬未。」
片岡の顔が嬉しさで埋まっていく。
「しゃべったの初めてなのに、よく憶えてくれたね。」
キラキラした瞳で、健吾を見上げる。
「俺、人の名前とか顔とか覚えんの、わりと得意なんだ。」
「へぇ!そうなんだ!いいなぁ。私なんか、全然覚えられなくて・・・」
「そっか。」
「坂本君の名前はすぐ、覚えたんだ。」
「美沙子が居るからな・・・今までもけっこう有名人で通ってきてたから。」
「あ、そうなんだ。でも、美沙子がいなくても、きっと有名人だったと思うよ。」
「そお?」
「うん。」
片岡が、この学校に入ってから一番の笑顔を見せる。
「私の家はね、城浜駅の近く。ここからだと歩いて20分くらいかな。」
「けっこう大変そうだね。」
「ううん。そんな事ないよ。もう慣れたから。」
「へぇ。」
二人が教室に着く。
ドアを開けて、それぞれの机に向かって別々に歩いて行く。
「ちょっと!」
片岡の所へ、二人の女子生徒が駆け寄る。
「なぁに?」
その二人を、待ってました、と言わんばかりの笑みで迎える片岡。
「何で一緒に来てんのよ。」
含み笑いなのか、嫉妬なのか、複雑な表情で彼女の肩をつつく。
「下駄箱で会ったんだもん。」
「いいなぁ。あたしももう少し遅く来ればよかった。」
「これであたしが一歩リードね。」
二人の女子生徒に、小さくピースを見せる。
「何言ってんの。朝一回会ったくらいで。」
「馬鹿ね、最初が肝心なのよ。こういうのは。」
「ちぇー。」
「おっはよう。」
三人の女子生徒の後ろに、もう一人の坂本がやってきた。
相変わらず綺麗な笑顔だ。
「あ、おはよー、美沙子。」
「何盛りあがってんの?」
「冬未がね、坂本君と一緒に来たの!」
「…あ、そ。」
一瞬にして、綺麗な笑顔がつまらなそうな顔に変わった。
「ダメよ、この娘は昔から一緒なんだから。それくらいじゃ…」
「ちょっと、その言い方何よ。」
「私達からすれば褒めてるつもりよ。」
「ふーん…」
全く関心な無くカバンを机に置き、「そんな事よりさぁ」と言いながら、昨日発売されたファッション雑誌を取り出す。
4 中村貴志
放課後。
軽音学部室の中央に立つ部長。
「えー、我が城浜高校軽音学部のライブもまもなくです。皆さん、気合い入れていきましょう。」
「おー!」
部長の挨拶が終わると各自個人練習に入る。
「おい、美沙子、ちょっと付き合え。」
坂本健吾が、準備を進める美沙子に声をかける。
「なに?またガス?」
「いいや。」
「あら、珍しいじゃない。」
「今日は石井で。」
「うわっ、石井和雅?」
「そう。」
自信に満ちた表情でうなずく健吾。
「『君のために』以外ならいいわよ。」
「じゃあいい。」
そっぽを向く。
「あはは!って、こんなところであんなの歌わないでよ!」
「仕方ねぇだろ、好きなんだから。」
「嫌。絶対弾かない。」
「ちっ。じゃあいいや。『call』でも弾いてくれ。」
「だから、石井は嫌だってば。」
「うるせぇ、ボーカルが歌いたいもんを歌うのが、バンドとして一番いいんだよ。」
「うわぁ、ジャイアニズム反対~。」
「いいから、やってくれよ。頼むよ。今日は石井さんの気分なんだよ。」
「わかったわよ。ギターとドラムはどーする?」
「サンキュ。誰かつかまえてくるから、用意しとけ。」
「中村君に頼もうよ。」
「何で?」
「彼上手いじゃない。」
「そうだな。んじゃあ頼んどけ。俺ベース探すから。」
「OK。」
それから数分後、部室にバラード調の重低音が流れ出した。
『聞いてくれこの苦しみ
聞いてくれこの切なさを
おまえにも聞こえるだろ
俺がこんなに叫んでいるんだ
おまえに聞いて欲しい
あの日おまえが言った言葉が
今の俺を苦しめる
「私にはあなたしかいない」
そんな言葉俺には必要ない
そうだろ?
あの時あの場所で聞いたおまえの言葉が今の俺を壊す
壊れた俺を直せるのはおまえだけだったのにどうしてそれに気付かない
どうしてあの時俺を直さなかったどうして俺を捨てたんだ
遥かカナタに俺を投げ捨ておまえは笑って言った
「あなたしかいない」
俺には聞こえねぇよそんな言葉
もっと早く言ってほしかった
もっと早く言ってくれれば
俺もおまえだけで済んだのに』
音が止むと、部室が一気に静まりかえる。
間もなくすると、他のメンバーが演奏を始めた。
さすがに本番が近いためか、拍手もなく、他のメンバーが練習に入る。
その大音量の中、並んで座る坂本二人。
「ホントあんたよく歌えるわよね。」
正座の足を横に崩した格好ですわり、短いスカートに手をそえて座る美沙子。
「まぁな、石井さんは死ぬほど歌ってっから。」
左足を伸ばし、右足はまげて、そのひざの上に腕を乗せる健吾。
「あたしはこの歌サビ入った瞬間終了だもん。」
「ああ、俺もたまに歌えない時ある。あの早さはなかなか…」
「坂本。」
ドラムから立ち上がり、中村が健吾に声をかける。
「ん?」
「悪いがもう一曲歌ってくれ。」
「おう、いいぜ。」
健吾が立ち上がる。
「坂本さんも良いか?」
「あ、うん。いいよ。てか、中村君も美沙子って呼んでよ。こいつと同じ呼び方しないで。」
「ああ、悪い。気を付ける。」
美沙子もゆっくりと立ち上がり、スカートをはたく。
「何を歌えば?」
健吾が手近にあったマイクを手にとる。
「おまえの好きなのでいい。」
「そうか。んじゃあ…『サターン』でも歌うか?」
「ああ。」
中村は坂本に目線を向ける事なくドラムへ座る。
軽くドラムのリズムが響く。
そのあまりの高速な動きを見て、健吾の目が輝いた。
「なぁなぁ!」
「ん?」
中村の元へ駆け寄り、ハイテンションで話しかける。
「おまえもしかして『ウルフ』できない?」
「ウルフ?」
「ああ。クラッシャーの曲なんだけどさ。」
「クラッシャーって言うと…」
中村がスティックを手に取り、ドラムを叩き出す。
1分間に一体何百回打てるんだろうかというような早さでドラムの張り詰めた皮が揺れる。
「こんなところか?」
「すげぇ…おまえ何年やってんだ?」
「ドラムは去年からだ。」
「それまでは?」
「空手。」
「…マジ?」
「嘘をついてどうする。」
表情も声のトーンも全く変えずにツッコミを入れる中村。
「今のリズムのちょっと変則なんだけどな。」
「楽譜あるか?」
「あ、そうだな。楽譜見せりゃ早いか。」
部室の棚にある分厚い本を坂本が持って来て、中村に見せる。
中村は一言「なるほど」とつぶやき、スティックを持った。
嬉しそうな顔を見せる健吾を尻目に黙々と腕を動かす。
美沙子が近くにいた先輩に声をかける。
「マジ?」と言うような表情をして中村を見た後、笑顔になっていた。
健吾が部長に駆け寄り、何かを嬉しそうに報告する。
部長も喜んでいるように見える。
そしてしばらくの間、部室に激しいドラムの音が鳴り響いた…
5 六月、第二金曜
六月。
軽音楽部恒例となっているライブが高校の体育館を借りて行われる。
授業の後、第二金曜の放課後に、夜まで行われるもので、城浜高等学校の人気行事の一つでもある。
多少の休憩はあるものの、軽音楽部にとっては数時間演奏しっぱなしのため、ハードな行事ではあるが、どの部員も
「やりがいがある。」と言う。
六月に入って、軽音楽部の練習は厳しさを増していく。
「健吾。」
汗だくになって休んでいる健吾に声をかける部長。
「はい。」
「今度のライブのメンバーなんだけどな。」
「あ、はい。」
「おまえと、美沙子と、中村のドラムと、そこにベースで俺も入っていいか?」
「…え?でも部長は…」
「いや、一回そのメンバーでやってみてくれないか、ってみんなに言われちまってな…」
「いや、俺は全然OKですよ。」
「悪いな。」と言って、部長は回れ右をするが、健吾が「あ、」と言うと、足を止めた。
「ん?」
「そうなると、ギターはどうするんです?」
「あぁ、おまえがやってくれ。」
「え?でもボーカルが…」
「美沙子にやってもらう。」
「あ、なるほど。」
「別におまえの歌がどうってんじゃなくて、一回聞いてみたいんだよ。」
「それなら全然イイっスよ。」
「悪いな。」
「でもそうすると曲も変えなきゃいけないですね。」
「そうだな。まぁ、NAかなんか考えてるけどな。」
「NAっすか、いいっスね。あいつなら完璧に歌いますよ。」
「なんだ、歌った事あんのか。」
「中学ん時そればっか歌ってましたから。」
「そうか、それならちょうどいい。」
部長に向かって軽く笑った後、美沙子の方へ目線を移す。
キーボードの端に両肘をつき、前かがみで楽譜をめくる。
その楽譜の奥に立って話している男子部員の目線が、美沙子の緩んだ制服の隙間ではなく、ちゃんと顔に向けられているかは疑問だ。
「じゃあ、美沙子には俺から言っておくから、中村に言っておいてくれ。」
「わかりました。」
翌日、坂本健吾、坂本美沙子、中村貴志、部長の四人でメンバーを組み、演奏をした。
予想以上に上手くいって驚いていたのは部長だけで、中村は特に何の感動もない表情をし、坂本二人は懐かしい顔をしているだけだった。
そして時は六月、第二金曜の朝。
朝練を終え、教室に戻る坂本健吾に、必然的に人が集まる。
「おいおい、今日だな。」
「ああ。」
かまってられないくらいの疲れと、いよいよという興奮が入り混じった表情で友人を迎える。
それと対照的なのは、美沙子。
明らかに表情が暗い。
集まった友人達も、心配の色を隠せない。
「大丈夫?」
友人が声をかけても、美沙子は声には出さず、「心配しないで」と言うような微笑を見せるだけだ。
「なんか疲れてない?」
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。」
「頑張ってね、楽しみにしてるよ。」
一瞬、沈黙が流れたが、すぐに笑顔で「まかせて。」と友人の顔にピースを見せる。
しかし彼女は、今日一日楽譜を手放す事はなかった。
授業中も常に指先が動いている。
唯一救われたのが、今日は一度も指名されなかった事。
先生には男性が多く、どうしても綺麗な女子生徒を指名したくなってしまうようで、ひどい日には6時間の授業で、10回の指名を受けた事があり、友人から「うちの店のNO.1だね」などと言われた事もある。
そんな普段放っている色香が、今日はあまり放たれていなかったようだ。
六時間目が終わると、皆思い思いに教室を出る。
始まるのは5時。それまでは部活をする者もいれば、話に夢中になる人もいる。
しかし、軽音楽部の面々はそんな事は言ってられない。
当然、全員練習。
軽音のNo.1バンドとなった坂本達も練習に励む。
NAメドレーは完璧にうまくいく。
しかし…
「ごめんなさい…」
美沙子のこの言葉を聞くのは、今週で何回目だろう。
どうしてもうまくいかない。
健吾ボーカルの時に、美沙子はギターを担当する。
しかし、ギターは中学2年の時までやっていたが、それ以来触ってもいない。
元々ピアノを得意としてたため、彼女はずっとキーボードをやっていた。
それを、これを機にギターにしようと試みている。
最初、健吾が反対をした。
「付け焼きで感が戻るわけねぇだろ。」と。
その言葉は真実でもあり、美沙子に対しての“ハッパ”でもある事は解っていた。
しかし、「任せてよ。本番までに完璧にやってあげるわ。」などと言ってしまった手前、今更引き下がれない。
部活中も、家でもたえず練習を重ねてきたが、どうしても楽譜が身体に入らない。
健吾は何度も「やっぱりキーボやれ。」と言っている。
部長もそれには同意してるが、彼女はかなり頑固者だ。それは健吾も解っていた。
だが、どう考えても間に合わない段階まで来てしまった。
「ここまできたら今更キーボでも無理だ。ギターでいくしかない。」というのが部長の意見だ。
それを承知した美沙子だが…
「どうして…?」
最近は目を潤ませる事もある。
それを、本番直前まで引きずってしまった。
「やっぱり…NAメドレーだけでいこうか。」
「いえ、やらせてください。ここまでやったんだから…」
「でもなぁ…」
部長も苦笑いしかできない。
「いいですよ。やりましょう。こいつ本番には強いから。」
健吾の提案にうなずくしかなかった。
「ま、できなかったら他のでも歌えばいいんだしな。」
そんな美沙子をよそに、時間はいつも通り過ぎていく。
時刻はまもなく17時。
日が伸びてきているのに加え、今日は晴天という事もあり、外はまだ夕日にさしかかったばかりの頃。
会場となる体育館では、多くの生徒が入場して時を待っている。
軽音楽部が待機する舞台裏にもそのざわめきが届いた。
最初のグループはすでにステージに楽器を置き、音合わせをしている。
どん帳も下りているし、音もかなり小さめだから、外には聞こえていない。
ステージ裏にいる面々の中で、美沙子は奥でギター片手に座っている。
目を閉じてピックを動かす。
そのピックが突然動かなくなり、目を開く。
「今更あがくなよ。おまえらしくねぇな。」
隣で座っている健吾の手が、美沙子のピックを握っている手をつかんでいる。
とたんに怒りの表情を見せる美沙子。
「うるさいわね。失敗したくないのよ。」
「そうやって思い込むから余計に失敗すんだよ。あん時みたいに。」
「あの時は練習不足だったの。今回とは違う。」
「やれやれ」と顔で言い、健吾がゆっくり腰を上げる。
「俺らも楽しまなきゃな。」
そろそろ始まる時間だ。
体育館のフロアーでは、時計を見る人が増えている。
そして、ギター、ベース、ドラムの爆音と、生徒の歓声のパワーで、どん帳が押し上がった。
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