【聴講】オブジェクト指向インターフェースデザイン講義【2/5】
記事の最初からものすごく余談だよ!
季節として暑くなってきた。MAU の学生は格好がギャングっぽい人もいるような気がしないではなく、ちょっとこわいのでいつも私は引き気味である。無秩序に VR ゴーグルが講義室のデスクに置いてあったりする。この前は2階に大阪の道頓堀ができていた。最近の衝撃的な出来事といえば、長谷川先生が建物の3階で完全武装でロードバイク様のものを押していた光景である。あれ、ロードバイクって3階にあるものだっけ? 私は異世界かなと思った。あるいはオープンワールドのバグかな、とも。その時、その場にいた私のほか数名はドレッシングの瓶を持っていた。「それは何の瓶?」みたいなこと聞かれたような気もするが、ヘンテコさ度合いでいけばツッコむ側が逆じゃないだろうか。いや我々も相当アレではあったが。冷静に考えていろいろ頭のおかしい状況である。ん、ここって大学院だったっけ?
そういうわけで、何がそういうわけでなのかわからないが、最近の私は、安納芋の着ぐるみを着た人物の画像をカフェの写真画像に合成したり、レゴブロックやプラレールや積み木で蝶をつくったりして遊……デザインのトレーニングや研究にとても真摯に取り組んでいる。読者諸兄姉においては、私が若干、何を言ってるかわからないと思うが、そういう場所だと感じてほしい。そう、こころで見なくっちゃ物事は見えないのだ。このあたりは色々な方々が何回か同じようなことを言っていた気がする。元ネタは『星の王子さま』。私は「ゾウを消化しているウワバミ」のぬいぐるみを持っているくらいには作品の大ファンだ。ちなみに、そのぬいぐるみはチャックを開けると中から「消化されているゾウ」がちゃんと出てくる。いいセンスだ。……何の話だっけ。そう、そうだった。決して言語化して理解しようとすると恥ずかしくなるとか、そういうことではない。まさかね。
そういう意味では、先日書いた記事について「言語化」という点で肯定してくださった方もいるかもしれないが、明瞭に言語化できるほどデザインの領域は甘い世界ではない。一見しただけでも秩序のある世界ではないことがわかってもらえると思う。今日の授業で上野先生は「デザインとは無秩序に形を与え無駄を省くこと」だとおっしゃられていたが、前提として無秩序である必要があるということだろうか。どうも私の前にはエントロピーが増大した宇宙が広がっているようだ。……うん、自分でも何を言ってるかわからない。いや、なんとなくはわかっている。みんな、クリエイティブ・リーダーシップ特論の整然としてキラキラした note 投稿に騙されるな! 実態は立ち上げたばかりのスタートアップ企業の比じゃなくカオスな世界なんだ! リゾームもセミラティスも万歳なのだ! そうだろ? な、ハム太郎?!
講義内容から考えたこと
前回は「GUI の歴史」で、今回は「GUI の原則とパターン1」ということで、いよいよ本格的に内容に入っていく。簡単にいえば、デザイン原則の解説回だ。といっても、総論レベルから上野先生ワールドが展開される。詳細は省くが、「記号学」(言語学者ソシュールの共時的言語学の応用領域。つまりポストモダン思想の元ネタ)の話は学部の時の一般教養科目以来で懐かしかった。プラグマティックなパースの記号論はよくわからない。英米系は好きじゃない。アブダクションの説明やエントロピー増大の法則を借用したデザインの説明——OOUIの講義で「宇宙ができて生き物が生まれて…」という話を聴くことになるとは――があり、熱効率の考え方を借用した情報理論的効率性の話やデータ・インク比の話があり、シャノンの情報理論があり、ジェフ・ラスキンの UI 効率性の話があり……というかんじである。私はもともと物理学方面の研究——といっても電気双極子モーメントの挙動とか高校生くらいのレベルだが——をしていたこともあり、それはそれで懐かしいかんじがした。これらが総論的位置づけだ。各論については質疑応答で出た「答えをみんな求めるんですよね。」というお言葉を引用することにとどめ、あえて書かないことにしたい。たぶん、こう、実際にやってみて反射で判断して対応できるレベルまで身体に叩き込まないといけないと思っている。メソッドさえわかれば、あとは物量…(つらみ
(執筆:平塚翔太)