人狼ゲームで一番楽しいのは村人!死んで良いことなんて何もない。
今回は村人について書いていきます。
そもそも人狼ゲームでの人狼陣営と村人陣営では役割が違います。
人狼陣営はゲームを作り上げます。推理小説で例えるなら犯人役。
犯人は巧妙なトリックで読者や探偵を欺きながらストーリーを盛り上げますよね。
村人陣営はそのストーリーの真実を暴く探偵側、読者側とも言うべきでしょうか。
推理をさせる側か、推理を楽しむ側か、皆さんはどちらが好きですか?
私は推理を楽しむ方が好きです。当たった時の快・感。爽・快・感。
というわけで今回はより推理を楽しむために、人狼ゲーム中、村人はどう考えるべきかということを紹介していきます。
人狼の世界観
と、本題に入る前に人狼の世界観をご存知でしょうか。
1930年ごろのヨーロッパでプレイされていた伝統的ゲームが元になっているそうです。
そしてその世界観を舞台に持ち込んだのが人狼TLPT
西洋の村に住んでいる人たちの中に人狼が3匹紛れ込んでしまい、村長が無残な遺体で発見された。その人狼を呼び寄せたのは、村の魔除けを壊した狂陣。
そう、慣れ親しんだ家族や恋人、友人、古くから付き合いのあるご近所さんまで人狼に成り代わっているかもしれないのだ。
村の言い伝えを元に占い師、霊媒師、狩人の能力を授かった者たちを交え、昼の議論で人狼だと疑わしき者を一人決め、夜を迎える。
翌日には一人、また一人とどんどん村の人数が減っていく。
昨日まで仲の良かった友人が居なくなり、恋人を疑い、悲しみに耐えながらも議論を行う。そして命からがら人狼を倒し、村に平和をもたらす。
TLPTの舞台の中でも「VILLAGE」の公演はざっくりこんな世界観です。
役者が舞台の上でアドリブで人狼ゲームを行い、様々なドラマが生まれ、恋人役の処刑時には涙し、本当に死と隣り合わせかのような迫力の演技が見られます。
村人は重要な役職
さて、TLPTをご紹介したのは、今回村人が生存することの重要性を訴えたいのです。
オンラインの人狼ではよく「村柱しまーす♪」とか「村だと思うけど、邪魔だから吊りてーなー」とか「素村COしてるくせに生存意欲強いから人外」とか言っちゃう人がたまに居ます。
でももしこのTLPTの世界観の中で人狼をしているとしたら、「村柱しまーす♪」なんて軽く言うの無理じゃないですか?素村だろうとなんだろうと、生存意欲をばりばり出さないですか?
命かかってんだよ!愛する人に会えるのは今日で最後かもしれねぇんだよ!って私なら思います。
霊媒の1指定、回避なしなら即吊りの進行はオンラインだけにしておきましょう。
対面人狼で同じことはあまりやらない方が良いです。
オンラインでは情報が少ないため「村柱」も仕方がない部分もあります。ただし少なくとも対面人狼ではほとんど意味がないことです。
次はこの村柱が無意味だということを解説していきたいと思います。
TLPTの舞台ほど毎回毎回命をかけた戦いとして人狼ゲームに臨むのは、さすがにしんどいと思いますが、「素村」と呼ばれる村人だって出来るだけ生き残った方が良い。非常に重要な役職なのです。
縄の数
人狼ゲーム中に処刑出来る回数のことを縄数と呼びます。
一般的なレギュレーションでは、9人村だと3人外で4縄。13人村だと4人外で6縄あります。
ここでは13人村を取り上げますが、4人外、すなわち3人狼と1狂人を追放するチャンスはたったの6回しかありません。村人陣営は3回ミスしたらゲームオーバー、人狼陣営の勝利となってしまいます。
さて、ここで初日の議論中に「村柱をしまーす♪」と言い出した村人が居たとします。疑われて耐えられなくなったようです。もちろんこれは一つの情報にはなりますが、周りの村人目線では人狼が「村柱する」と言っている可能性も捨てきれないため、縄を1回使って処刑するしかなくなります。人狼はその村人に喜んで投票するでしょう。
この村柱によって人狼を処刑するチャンスが1回減ってしまいました。
ちゃんと議論をしていれば、もしかしたら人狼を処刑できたかもしれません。
霊媒師の指定進行はくそくらえ
もう一つ、オンラインでありがちな進行、それは1人で確定した霊媒師の指定進行。
これは他の参加者にとって全く時間の無駄な人狼ゲームとなります。
1確霊媒師の指定進行の意味として、要は「確実に村人陣営だから信じられる、だから処刑の権限を与えて進行を任せよう」というものです。
はい、ではこの1確霊媒進行をTLPTの世界観に合わせてやってみたらどうなるでしょうか。
昨日まで親友だったあいつが霊媒師の能力を授かっていた。今日の議論で、素村である自分が村の皆から「怪しい」と疑われた。昔パン屋で万引きを働いたことが、今になってツケとなったのだろうか。パン屋の主人が妙に怪しみを向けてくる。
そんな民意もあり、霊媒師の指定を受けた。「お前が処刑されろ。異論は認めない」と。
周りも「自分は死にたくない」その一心で、そして人狼の思惑通りに自分は処刑への時間をただ過ごすしかなかった。
その間、親友は最期まで目を合わせてくれない。罪悪感があったのだろう。でも村の決まりだ。私は死を受け入れるしかないのだ。でも親友を通して村の皆に「自身の潔白を証明できること」が唯一の救い・・・
そう思って死んでいった私はバカだった。狩人は親友を護衛せず、占い師を護衛した。ただただ無念さだけが残り、村は滅びの一途を辿るのだった。
といったまぁ雑な妄想ストーリーですが、世界観的にはこんな感じでしょうか。
悲しすぎません?
この指定進行というのは、多役職のレギュで有効になるときがありますが、少なくとも対面人狼の通常のレギュではやらない方が良いです。無駄です。
例のように霊媒師や確白が指定してしまうと、襲撃された時にほとんど情報が残らず、基本的には人狼有利でしかないからです。
13人だと3回しかミスれないのに、縄がもったいないだけです。
村柱が有効な場面
と、これだけ「可哀想だ」「無駄だ」と言ってきましたが、人狼ゲームの戦術として村柱が有効な場合もあります。
・13人村7人盤面で人狼2匹が確実に落ちていることを分かっている場合
⇒例えば偽占い師(狂人)から黒を出されていれば、その黒を処刑して終わらなければ、翌日偽占い師を処刑して絶対に最終日を迎えられる進行となる。
・霊媒師が確実に本物で1人で確定しており、狩人の生存も確認。パンダになっている人を処刑すれば、確実に占い師の本物がわかる場合
⇒パンダとは2人の占い師から白黒両方出されている人のこと。この場合、占い師が襲撃されやすいですが、投票など残る情報も多い。
・初日から3-2陣形であなたは真霊媒師。9人の段階で占いと霊媒に出ていた人狼を2人処刑出来ている場合
⇒村目線は霊媒師の真贋がつけにくいので、霊媒師の処刑が安定進行。自視点もレアケを追わない限りほぼほぼ残った占い師が真狂なので、変に真占い師を対抗に挙げて処刑してしまうよりは、確実に本物が居る占い師を残した方が、村に残る情報も多い。
これらはもちろん村柱となる該当者が議論で信用を得られれば一番いいことですが、議論の時間は限られています。
人狼ゲームの後半は人数が減るに連れ「そこに時間を割くよりは確実な情報を残せるなら柱になってもらって・・・」となる場合もあるのです。
村柱という犠牲を払いつつも、人狼を倒せるよう、残った村人たちは推理を頑張らないといけませんね。村柱の命を決して無駄にしないためにも。
以上、今回は人狼の世界観から、村人は生き残った方が良いんだよ。ということをご紹介しました。
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