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今までに生で見た「古賀春江」の絵を紹介するだけのnote




はじめに

古賀春江(こが・はるえ) 1895~1933

 古賀春江は、シュルレアリスムの代表的画家です。私が衝撃を受けた画家のひとり。シュルレアリスムの沼に引き入れてくれた恩人でもあります。

 彼の絵には、解題ともいえる詩がついています。それを楽しめるのが詩画集『牛を焚く』。

 今回は、
 ① 美術展などで実際に撮影した古賀春江の絵画
 ② 個人的な見どころポイントや感想
 ③ 古賀本人による解題の詩
 ④ ③を踏まえての感想
 という4点セットの形式を取りたいと思います。
 それではどうぞお楽しみください!


参考文献


・古賀春江(1974) 『古賀春江詩画集 牛を焚く』 東出版
大きいです。かなり大きな本です。見開きがA3サイズです。
内容として、彼の描いた絵と、その解題ともいえる詩がついています。

・古賀春江(1984)『写実と空想 古賀春江文集』 中央公論美術出版
こちらでも古賀春江の作品と詩を楽しむことができます。デジタルコレクションで読めます。



①「海」(1929)

 東京国立近代美術館で開催されていた、「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」で撮影したものです。彼の代表作といえる作品。
 様々な要素がコラージュのように埋め込まれています。それによって、ずっと眺めていると遠近感がわからなくなってきます。全てが同時並行的に展開しているような、それでいて不思議な統一感のある作品です。
個人的に、彼の描くメカっぽいもの(この絵でいうと中身の見える船など)が好きで、細かく描いてはあるのだけれどどこか抽象的というか、原理はよくわからないけれど巧妙に造られた、夢の中に出てくる創造物を思わせます。
実物は、写真で見るのより大きくて感動します。ずっと見ていると、吸い込まれてしまいそうです。

『牛を焚く』に収録された『海』の詩は、以下の通りです。

透明なる鋭い水色。藍。紫。
見透される現実。陸地は海の中にある。
辷る物体。海水。潜水艦。帆前船。
北緯五十度。

海水衣の女。物の凡てを海の魚族につなぐもの。
萌える新しい匂ひの海藻。

独逸最新式潜水艦の鋼鉄製室の中で、
艦長は鳩のやうな鳥を愛したかも知れない。
聴音器に突きあたる直線的な音。

モーターは廻る。廻る。
起重機の風の中の顔。
魚等は彼らの進路を図る――彼等は空虚の距離を充填するだらう――

双眼鏡を取り給へ。地球はぐるつと廻つて全景を見透される。

古賀春江(1974) 『古賀春江詩画集 牛を焚く』 東出版  p71


「透明なる鋭い水色。藍。紫。」 やはり、目を惹く水の色彩です。紫は魚の色でしょうか?

「陸地は海の中にある。」 右側の、灯台のある風景は、コラージュ的であるとともに、その風景との境界線が、水平線の役割を果たしているのが面白いところです。灯台のある風景と潜水艦のある風景、海水衣の女性はどちらに位置しているのでしょうか。その曖昧さも魅力だと思います。

「物の凡てを海の魚族につなぐもの。」 海水衣の女性は、自由の女神のようなポーズを取っていてポジティブな印象ですが、この詩を見るとどこか不穏さを感じさせます。「縛ぐ」という言い回しが用いられているからでしょうか。

「艦長は鳩のやうな鳥を愛したかも知れない。」 女性の手の近くを飛ぶ白い鳥のことでしょうか。

「魚等は彼らの進路を図る――彼等は空虚の距離を充填するだらう――」 充填、という響きに、絵の中に描かれたメカニックとの関連を感じさせます。生命の息吹と機械の硬質を感じさせるフレーズです。

「双眼鏡を取り給へ。地球はぐるつと廻つて全景を見透される。」 かっこいいフレーズだと思います。それとともに、超然とした視線のようなものを感じます。コラージュ的なこの作品はまるで、全景を容易に見透かせる神が、気まぐれに配置したのではないかと思わせるような……。




②「窓外の化粧」(1930)

神奈川県立近代美術館の展示「てあて・まもり・のこす」で見た絵です。
生前に親交のあった小説家・川端康成寄贈の作品です。展示につけられていた説明によると、ワニスの塗りムラの黄化を洗浄によって取り除いた際、この鮮やかな青空が現れて学芸員を驚かせたのだそう。華やかな踊り子によく合う空です。
個人的には、パラシュートの裏側(?)の質感の表現や立体感が好きです。建物はのっぺりしていて平面的なのですが、パラシュートは非常にリアルで目を引きます。
手前の、妙にリアルな手と顔のないのっぺりとした人体の対比もたまりません。描き分けの上手さを感じます。

晴天の爽快なる情感、蔭のない光。
過去の雲霧を切り破つて、
埃を払つた精神は活動する。
最高なるものへの最短距離。

溌溂として飛ぶ――急角度に一直線を。
計算機が手を挙げて合図する。

気体の中に溶ける魚。

世界精神の絲目を縫ふ新しい神話がはじまる。

古賀春江(1974) 『古賀春江詩画集 牛を焚く』 東出版  p107

「晴天の爽快なる情感、蔭のない光。/過去の雲霧を切り破つて、/埃を払つた精神は活動する。」「世界精神の絲目を縫ふ新しい神話がはじまる。」 力強さと新しいものへの希望に満ちていると感じます。「蔭」はなく、「過去の雲霧」は斬り破られ、精神の「埃」は払われています。それこそ、「新しい神話」の登場を示すファンファーレともいえるものでしょう。

「溌溂として飛ぶ――急角度に一直線を。」 パラシュートのことを示しているのでしょうか。直線的な動きを展開する白いパラシュートの動きが、脳内にイメージされます。

「気体の中に溶ける魚。」 絵の中に魚は見当たりません。溶けてしまったから? 「溶ける魚」というフレーズは、「シュルレアリスム宣言」で有名なアンドレ・ブルトンの作品を連想させます。

「計算機が手を挙げて合図する。」 個人的に面白いと思ったのが、左下のものの正体です。「計算機」なんですね。ある意味擬人的な表現技法であるように思います。



③「素朴な月夜」(1929)

アーティゾン美術館で現在開催されている「空間と作品」で見た作品です。まず目に入ってくる、黒い生き物の目力。一方で、その後ろの人間は顔がなく、体には水玉模様が入っており、非常に抽象的です。テーブルと建物の境界線は曖昧で、明らかに現実世界ではありえない形状をとっています。この形式は『海』でも用いられていましたが、こちらは『海』に比べて不気味さが強いというか、どこか西洋的でファンタジックな印象を持ちます。テーブルの上に乗った食事からの連想でしょうか?
個人的に、画面頭上の梟が好きです。浮遊感と、共通する不気味さを感じます。

彼の話――私はどうしてさういふ妙な所へ行つたのだらうと思ふ。
水の中の底の方へだんだん落ちるやうに歩いて行くのでした。息苦しくもないのを不思議に思ひながらそれでも落ちて行くのでした。
をかしくてもうやり切れなかつた。
遠い所に白いまん丸い月が出てゐたり、何か地上にも動いてゐた。
一匹の海豚がゐたがそいつは鉄張りで出来てゐるやうだつた。口が大きく開いたと思つたら、私はその中へ辷り込むやうになつて大きく膨れた腹の中へ入つて行つた。とてもをかしかつたよ。

古賀春江(1974) 『古賀春江詩画集 牛を焚く』 東出版  p79

「彼の話――私はどうしてさういふ妙な所へ行つたのだらうと思ふ。」 「さういふ妙な所に行つた」のは、彼なのか、それとも私なのか。

「水の中の底の方へだんだん落ちるやうに歩いて行くのでした。」 絵に描かされた世界は、水の中の底の方にあるのでしょうか? それか、これは比喩で、夢の中だったり……?

「をかしくてもうやり切れなかつた。」 矛盾をはらんでいながら成立するフレーズが好きです。

「遠い所に白いまん丸い月が出てゐたり、何か地上にも動いてゐた。」 確かに月は出ていますが、この絵を非常に抽象的に表したフレーズです。

「一匹の海豚がゐたがそいつは鉄張りで出来てゐるやうだつた。」 右下にいるのが海豚でしょうか。そう言われてみると心なしか、いるか座で描かれるような海豚に似ているような……。



④「遊園地」(1926)

同じくアーティゾン美術館の展示で見た作品です。初期の作品であるからか、後年の作品に比べると結構印象が異なっています。
この作品にも独特の不気味さがあると思います。どこか頽廃的な雰囲気をまとっているというのに、タイトルは「遊園地」。確かに、舟の端には旗が舞っていますし、カラフルな屋根の建物もあります。しかし、一度入ったら戻って来れなさそうな、この幻想的でありながらそこはかとない恐ろしさ。ただ、それが癖になってしまうのです。

 こちらの絵には、解題詩がついていないようです。



⑤「美しき展覧会」(1926)

アーティゾン美術館で見た、「遊園地」と同年の作品です。個人的には、こちらの作品は幻想的という印象があります。上半分を大胆に黒く陰らせているからでしょうか。
人が描かれてはいるのですが、棒人間であるため彼らは無機物的に見えます。むしろ、赤い魚の方が目を引きます。魚を描く、独特の線に得も言われぬ魅力を感じます。また、画面右上に描かれた黒い星も印象的です。空の黒と星の黒。ふたつの黒、その濃淡の差が面白いですね。

薔薇色のガラスの踊り子は三角形のガラスの上に立つてゐる
頭の上の青い林檎は軽気球で
遠い水平線の上から銀の箭が空へ飛びます

大きな芍薬の紫色の中で
南洋の黒ん坊は憂鬱な踊りを踊ります
モノクルをかけたシルクハットの紳士
彼は仲々上等のアイスクリームで出来てゐます

若夏色の水が流れて
硝子の踊り子が沈みます
それは水中の赤い金魚です

白い文明的な空間に華やかなドームが浮き
黄金の向日葵が揺れる

楽隊の音も明るい月夜
柔らかに膨らんで夢は陞る
脚の長い酒の罎

美しい展覧会は魔術師の光る花束です。

古賀春江(1974) 『古賀春江詩画集 牛を焚く』 東出版  p31

※この詩には、今日では不適切とされる語句や表現がありますが、
作品が書かれた時代背景を考慮し、そのまま掲載しております。ご了承ください。


「薔薇色のガラスの踊り子は三角形のガラスの上に立つてゐる」 踊り子が建造物の上に立っているのは、『窓外の化粧』を思わせますね。

「頭の上の青い林檎は軽気球で/遠い水平線の上から銀の箭が空へ飛びます」 華やかな景色が頭に浮かびます。軽やかさや勢いを感じる光景です。

「モノクルをかけたシルクハットの紳士/彼は仲々上等のアイスクリームで出来てゐます」 シルクハットとアイスクリームの色(なんとなく、私はバニラアイスクリームを想像しています)がモノトーンな印象で、シックです。それでいて、アイスクリームというアイテムが特別感を演出しています。

「若夏色の水が流れて/硝子の踊り子が沈みます/それは水中の赤い金魚です」 画面下方に描かれていた魚は、踊り子だったのですね。なんとなく、浮かぶ色彩イメージから、青木月斗の俳句「鯉がゐる 泉にラムネ 沈めけり」を想起しました。

「白い文明的な空間に華やかなドームが浮き/黄金の向日葵が揺れる」 画面下中央にそびえているのが、向日葵でしょうか。前向きなイメージです。

「楽隊の音も明るい月夜/柔らかに膨らんで夢は陞る/脚の長い酒の罎/美しい展覧会は魔術師の光る花束です。」 個人的に好きなフレーズです。夢が膨らんで上っていくのは、軽気球のようで心が踊ります。「脚の長い酒の罎」は酒混じりの陽気さを連想させつつ、どこか色気があります。そして、最後のフレーズを口ずさめば、まるで気分は展覧会の入口で観客を迎えるためにお辞儀をして見せる支配人。勝手なイメージですが……。



⑥「鳥籠」(1929)

最後にご紹介するのは、これまたアーティゾン美術館の展示で見た「鳥籠」です。
鳥籠の膨らみのリアルさといったら。しかし、平面の中にそれがくっきりと浮かび上がっているのがどこか不気味です。中にいる女性が「閉じ込められている」という生々しさを感じさせるからでしょうか。
個人的に、その下にある階段と、回転しているプロペラらしきものが好きです。階段の、薄っぺらな質感とねじれの立体感。プロペラの勢い。描き分けが巧みだと思います。
また、白鳥も非常に面白いと感じます。何の脈絡もないといえばそうなのですが、「鳥籠」というモチーフやタイトルを考えると、あながち無意味ではないのかもしれないと思えたり。

厚い丸いガラス戸を開いて実験室に書かれた数字の記録を見給へ。
幾百万の下を持つた電気がそこでお饒舌をしてゐるであらう。

機械は機嫌のよい時みんな歌を唄ふのです。
貝殻の歌や花や風の歌を。

光線のリズムでスリッパの少女が脚をあげる。
それは花束と機械との、とてもすばらしい結婚式を語るのです。
少女はすべて透明なるレンズで、正確に万象を映します――その記録を私たちは読めばいいのです――。

永遠の花。透明なる忘却。
何と美麗なる女王ではないか。

古賀春江(1974) 『古賀春江詩画集 牛を焚く』 東出版  p75


「厚い丸いガラス戸を開いて実験室に書かれた数字の記録を見給へ。/幾百万の下を持つた電気がそこでお饒舌をしてゐるであらう。」 「ガラス戸」「実験室」「数字の記録」「電気」という、理知的な単語の後に、「お饒舌」というワードを持ってくる面白さ。

「機械は機嫌のよい時みんな歌を唄ふのです。/貝殻の歌や花や風の歌を。」 ここにも、上記と同様の面白さがありますね。

「それは花束と機械との、とてもすばらしい結婚式を語るのです。」 自然と人工、感性と理性の融合。もしくは合体。

「少女はすべて透明なるレンズで、正確に万象を映します――その記録を私たちは読めばいいのです――。」 少女とは、鳥籠に閉じ込められている女性のことなのでしょうか。それとも、また別の存在なのでしょうか。

「永遠の花。透明なる忘却。/何と美麗なる女王ではないか。」 前言撤回して、女王とは鳥籠の中の女性だろうか、と思ってみたり。永遠と忘却という対比も印象的です。そして、「透明なる忘却」という、シンプルながら真実の味の強いフレーズ。忘却は消滅ではなく、透明になって見えなくなるのと似ているのだと思います。


おまけ① 「詩神」と古賀春江

・冨士原清一の詩が載っていたこともある雑誌「詩神」の表紙を、古賀春江が担当しています。
 例えばこちら。



おまけ② 古賀春江作品コレクションズ

〇Webサイト

・アーティゾン美術館のコレクションハイライト


・東京国立近代美術館のコレクション


・文化遺産オンライン


・福岡県立美術館 収蔵品検索


〇本

・古賀春江(1974)『古賀春江詩画集 牛を焚く』 東出版
・古賀春江(1984)『写実と空想 古賀春江文集』 中央公論美術出版



ご覧くださり、ありがとうございました!

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