#10 私がミサトっ子を履く理由
私はオーストラリアに来てからミサトっ子を履くようになった。
「ミサトっ子」というのはい草でできたMade in Japan の草履。
履いていると足の指の力が鍛えられていいという理由から、保育園に入ると同時に親が私に履かせた。同級生のプリキュアや戦隊もののサンダルや踏み込むとプーとかピーとか音が鳴るサンダルが並ぶ中、1つ赤い鼻緒のわらじはかなり目立った。当時の私はけっこう気に入って履いていた。履いてると珍しがられて褒められるし、たくさんのサンダルの中で1番目立って一瞬で見つけられる。なにより、自分でクールだと思っていた。
でも、小学生になると上履きを履くようになり、履く機会が少なくなった。そして、年を重ねるにつれ、履かなくなっていった。
でも、今、オーストラリアで使っている。日本でもそうたいして履いてなかったのに、こっちでは毎日のように履いている。理由は至って単純で「機能的に最高で、履き心地が良い」と改めて気づいたから。
でも、それだけじゃない。それだけだったら日本でも履いていたはずだ。
でも、履いてなかった。だって、かっこよくないと思っていたから。
毎月のように「コレがかっこいい」「この着こなしが正解!」と言う雑誌。
インスタを開けば流行のファッションで、流行の飲み物を手にして、流行の映えスポットで撮られた写真が当たり前にそこら中にある。
そんなものを毎日見ていると、その感覚が自分のものになっていく。
流行のファッションがかわいいと思うし、流行のカフェに行きたいと思う。
そうすれば”ちゃんとしてる”、”かわいい”自分でいられると思える。
ミサトっ子はその基準に反している。
だから、かわいくない。
そう思っていた。
オーストラリアに来るときに父が何気なく「ミサトっ子もってきなよ」と突然勧めてきた。なぜ今。と思ったがなんとなく断りづらくて、大して荷物にもならないし、と自分を言いくるめて持ってきた。
こっちに来て数日、周りの人々のファッションが本当に多様だと言うことに驚いた。スポーティーな格好をしてる人、自国のトラディショナルな衣服を着ている人、ダウンジャケットを着ている人、肩もへそも足も出してる人。ファッションのテイストだけじゃなくてもはや季節が違う。一度にこんな違う格好の人がナチュラルに共生している空間は初めてだった。
「自分が良いなと思うものを身につける」
うん。なんかいいな。と思った。
そんなときにこのミサトっ子を持ってきていたことを思い出した。
部屋に帰って履いてみたらなんかしっくりきた。「うん。これは好きだ。」そう思った。
だから今履いている。それに、このミサトっ子を履いていることが私には「自分の良いなを選んだ」という証明になる。
自分のいいなを選ぶのって難しいときもあるんだけど、結局は自分が選ぶんだよな。
そんなことを考えながら、また今日もミサトっ子と一緒に出かける。
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