2DKが私の城だった
2020年4月、約10年間住んだ街から育った街に帰ってきた。第二の故郷と呼んでもいいほど愛着が沸いたその場所は、私が想像する大阪という地名に似つかわしくない街並みで、どことなく育った街のような穏やかな街だった。
私は駅から徒歩3分ほどの小さな家に住んでいた。
築25年ほどのその家はなぜか私の部屋だけリフォームされて和室は全て洋室に、押し入れはクローゼットになっていた。
南向きの窓からは1日中温かい日差しが差し込んで、風がカーテンを揺らす。私の曲の1節にも登場するその場所が私はとても好きだった。
一部屋は寝室、一部屋は趣味部屋と勝手に決め込んで、親元を離れた優雅な生活を送っていたわけだが、洗濯をしてくれる人もいなければ、お料理を作ってくれる人もいない。自分でやらなければ、何一つ部屋のものは形も居場所も変えない。
私は家事がとことん苦手で、特に整理整頓と掃除と料理と洗濯物を畳むこととお風呂の掃除が苦手だ。(ほとんどやんけ)
それでも必要最低限の生きていくうえでやらなければならないことはやっていたし、実際生きてこれた。調子のいい時なんかはキッチンの掃除をしながら私ってば丁寧な暮らししてる!と浮かれていた。(本当に丁寧な暮らしをしてる人に謝れと今は思う)
何よりも『何もかも自分でやらなければならない』は『なんでも自分の好きなようにできる』なのだ。
何を作ってもいいし、何を片付けなくてもいい、いい加減やらな…と限界を見た時にやることだってできる。
キッチンだって私が好きな場所に調味料を入れていいし、どこに何をしまってもいい。
だって私の城だから。
そんな城を大東建託に返却して約1年半。
朝、家族がみんな出払ったキッチンで朝食のお皿を洗いながらふと思った。
このキッチンは私だけの城ではない。
みんなの共有スペースであり、主導権は母にある。
別に主導権を握りたいとは微塵も思っていないのだけど、小さいながらも一度城主になった私はほんの少し、あの家を思い出してはきゅんと切なくなるのだ。
間違いなく、私は10年間あの小さな2DKの城主であり、小さな2DKは私の城だった。
きっと今は新しい城主がいて、あの部屋は汚部屋から解放されたと喜んでいるに違いない。
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