ゆっくりするということ
ゆっくりしている。
朝から溜め散らかったエレクトーンレッスンの録音を聴きながら演奏課題をまとめ、昼ごはんを食べ、
気づけばYouTubeを見ていた。
猫とこたつを3等分して本を読み、眠たくなったらこたつに潜り込んではこたつ布団の端っこを枕にしてうつらうつらする。
まるでお正月をおさらいするかのように穏やかな時間は過ぎていく。
気がつけば、そんな日々をここ最近は過ごしていなかった。
仕事と配信と、SNS
そんなことばかりしていた気がする。
もちろん仕事以外はやりたくてやっていることだ。
だけれど、元来私は人とのコミュニケーションで自分の思っている以上に疲弊する人間。
人と会うことが少なくなったここ一年だが、会わずともして人との関わりは続いていく。
それは少しずつ私の身体を知らず知らずのうちに疲弊させる。
人と会った後みたいな疲労感こそないが、人との関わりに疲れていたんだと、配信をせず、SNSも熱心に投稿せず、自分だけしか知らない時間を過ごして気がつく。
少し繋がりすぎたこの世界は、誰かの心を満たし、誰かの心を蝕んでゆくのかもしれない。
そう思いつつ、もうすぐ始まる仕事に憂鬱になりながら、誰かと繋がりを求めてこの記事を投稿するのだ。