憧れに近づきたい愚者の小さな一歩。
どうして朝、起きられないのだろう。
いや、起きられる。起きてはいるんだ。
ただ、布団から出られない。
寒さを言い訳にしてはいるけど、結局は意志薄弱ということになるのだろうね。
そう、少し前までは6時前には子どもが起き出してきて、否応なしに活動していたわけだから、
自分のために動けないだけなんだろう。
だから、意志薄弱。
とはいえ、
意思の力というのはもともと弱いものらしい。
自分の欲、無意識とシンクロしてからこそ強い威力を発揮するようになるとか。
つまりは、意思より欲が強いのは自然なこと。
そんなことを、最近読んだ本で知った。
欲を満たして、自分の理想を欲とをシンクロさせて、無意識に理想を自分の欲として染み込ませていって、
そうしたら、そのことを続けられるよってこと、
自分はそう解釈した。
しかし、これが難しい。
他の本にあったアドバイスで、憧れの人や場所の写真を毎日見るってのがあって、
こちらの本には自分の憧れの人を真似ろってのがあるんだけど、
自分にないものを持っているから憧れるわけであって、その天性の性質は真似ようがない。
けどまあ、服とか、口癖とか、その人の大切にしている考え方とか、できるところから真似たらいいんだろう。
しかし、
よく知らないんだよな。
人でも本でもそうだけど、
この一説が好き、この人のこの場面のこの姿が好き、このシーンのこのセリフが好き、みたいなね、
人間の一部を切り取って、そこに妄想をくっつけて、盲目的に好きってことがほとんどだ。
小さなところを真似ようとすると、別にそこは好きってわけじゃないなってなってきて、理想や憧れが実は虚像だったのだと気がついてしまう。
要は、つくられたものばかり愛し、現実の部分をそれほど好きではない、ということだ。
つまり、憧れが遠すぎる。
形のない曖昧に憧れている。
だから、真似るをどうすればいいのかわからない。
近くの人で憧れる人?尊敬する人?
ごめん、いないや。
いたけど、みんな手の届かないところへ行ってしまった。
もう繋がりは思い出しかない。
そういう人たちの好きなところは、
判断が早かったり、特殊な環境で我慢強かったり、いざという時、後輩を守ってくれたり優しかったり、
とても簡単には真似できそうにないよ。
私にはないものを持っている人たちだったんだ。
だから、惹かれたんだ。
私は、たぶん、自己肯定感が低い。
これも、厄介。
自己肯定感が高い方が続けられるらしい。
うーむ。
とにかくまあ、時間もないので、憧れの人を知るところからはじめよう。
そして、好きじゃない部分も、それが自分の憧れたあの一部の下になっているということを知れるようになろう。
そのくらいの抵抗は押していけるだろう、たぶん。
まずは、ここから。
知ることから。
好きな人の知りたくないところも知るところから。
小さな一歩を重ねよう。