最近読んだ本の備忘録(24.06)4冊
①『夢をかなえるゾウ2』水野敬也
②『最後はなぜかうまくいくイタリア人』宮嶋勲
③『夢をかなえるゾウ3』水野敬也
④『詩人はすべて宿命である』萩原朔太郎
『夢をかなえるゾウ2』
水野敬也
「自分らは、たくさんの人を喜ばすことだけを『成功』て思てるみたいやけど、たった一人の人間をたくさん喜ばすんも『成功』なんやで」P257
たしかに、そうだ。
自分はあまり人に馴染まないタイプとあきらめているけど、
一人をたくさん笑わせることならできるかもしれない。
子どもの姿がちらりとよぎった。
なにが好きなのか、どういうことで喜ぶのか、いやなことを伝えるときは言い方を工夫したり、大事にしていることを毎日伝えたり。
大きくなると離れていくだろうと思っていたけど、一人の人をたくさん喜ばせるいい関係が、大人になって道を違えても続いていけばいいなと思う。
たくさんの人を喜ばせることも、結局はそこから始まるんじゃないかな。
また、自分のほしいものを口にだすことも大事だというのは、意外だったが納得した。
人を喜ばせるだけの貧乏タイプもある(この巻では貧乏神がいろんな貧乏のタイプを教えてくれる!)とのことで、確かにその通りだろう。
人を喜ばせ、自分の喜びも犠牲にしない。それが成功の秘訣なのかな。
『最後はなぜかうまくいくイタリア人』
宮嶋勲
イタリアへ卒業旅行に行ったとき、カフェのようなところ(選んでトレーに乗せていき、レジで頼むメニューもあるところ)でご飯を頼もうとしたが、店員さんがしゃべってばかりでいっこうに来てくれず、呼んでもおしゃべりに戻ってしまって(無視されるわけではないがなぜか働かない)、途方にくれていたが、大分経ってから仕事に戻ってくれ、なんとかランチを食べることができた、
という経験がある。
この本を読んで、
イタリアではおしゃべり優先で、イタリア人は店員がおしゃべりしてたら苦もなく待っている、それが普通、
ということを知った。
私はアジア人種だから差別だろうかとも少し思っていたが、この件に関しては全くの文化的違いだったみたいだとスッキリした。
それにしても、ストレスなくおしゃべりを待てるイタリア人はすごいなと思う。
育った文化の違いで、感じ方もずいぶん変わるんだな。
『夢をかなえるゾウ3』
水野敬也
「苦しみを楽しみに変えるにはな、苦しみを乗り越えたとき手に入れられる『楽しみ』を考え尽くさなあかん。そんで、苦しみを超える量の楽しみを見出だしたとき、苦しみは楽しみに変わんねんで」
すぐに変えたり、逃げたりできないことも、生きているとたくさんある。
やった方がいい、必要だとわかっていても、嫌々してしまうこともある。
嫌々→楽しみに変えられたら、それほど素晴らしいことはないと思う。
①目の前の苦しみを乗り越えたら手に入るものを、できるだけ多く紙に書き出す
②その欲しいものが手に入っていくストーリーを考える
③手に入れたいものを見えるかたちにして、いつでも見る
④自分流にアレンジする
よし、やってみよう。
『詩人はすべて宿命である』
萩原朔太郎
朔太郎氏いわく、明治後期に詩壇は完成され(文章語自由詩)、大正は冒険的な試作の時代の詩壇らしい。
それは、はじめ口語自由詩で、これは民謡の調子になるので韻律を断念し、結果、詩とよべない「行わけ散文」が主流となった、と。
確かに、現代も詩はあるが、その芸術性はあまりないように感じる。
それは、大正の試作の時代が現代へと繋がっていて、
朔太郎さんの言うように「日本現代の日常語といふものは~未だ芸術語としての使用に耐へ得るほど、充分に洗練されて居ない~」からかもしれない、と思った。
それにしても、そのことを強調するのに「流石大白秋氏の天才を以てしても」というところが、この人本当に好きなんだなと、微笑ましい。
好きな詩人をどんどん出して、好きを公言していくスタイル。いいと思う。
次、P54~