男女の友情は成立するかどうかなんて世界で1番どうでもいい話題
もはや、
結構前の話になってしまった2023年の冬クールのことなんだけど
「1番好きな花」というドラマがやっていて
Threadsでは
ちょくちょく話題が上がっていたのですね
このドラマは
一般的な人気としては社会現象になるまでのものではなかったように思うんだけど
SnowManの目黒くんがバズるきっかけになった「silent」というドラマの監督さんと
脚本家がタッグを組んだということで
かなり
注目もされていたし
根強いファンがいて
あと、やっぱり
silentを生み出したコンビだけあって
文学的なところがあるドラマだったみたいで
SNSで見かける考察に熱量があって
いろいろ考えさせらる作りになってるんだなぁー
って見てないくせに
そして
これからも見るつもりもないくせに
夢中になってる人の感想レポを見ては
ふむふむと思っていた
で、ここからは
ドラマを見てないわたしの、ドラマを見てないゆえにドラマとはまったく関係ない私見になることを承知のうえで読んでいただきたいのですが
その「1番好きな花」の大きなテーマに
「男女の友情は成立するのか?」
ってことがあったらしいんだけど
ショージキなところ
いちあきは男女の友情が成立するか
どうかなんて
世界で1番どうでもいい話題というか
悩みというかテーマだと思ってる
そう思ってるから
そのドラマに興味がそそられなくて
見ない理由でもあったんだけど。
というのは
そもそもこの話題の行き着く先は
成立するかしないかに
ハッキリとした意見があるわけでもなく
大体の場合
「そんなのは人による、人それぞれだよね」
っていうのが結論になるのだから
←ドラマではそういう結論になったみたい
議論すること自体
全くもって無駄っていうことがあるんだけど
わたしが言いたいのは
それだけの話ではなくて
人の持つアイという感覚が生みだす
関係性に
気持ちに恋愛とか友情とか
具体的に区別して
名前をつける必要なんてなくない?
って思ってるからで
もっと言うと
恋愛の相手を男だとか
女だとかで分類することすら
もはや
どうでもよくないか❓
って心底思っているからなんですわ
それはわたしがエックスジェンダーで
男女ともに
恋愛対象になりえるタイプの人間だから
そう思うのかもしれないけど
結構、女の子たちと話していると
自分も過去に
女性に憧れとも恋ともつかない
淡くて甘い感情を抱いたことがある
っていう人は
とっても多くて
わたしってレズビアンなのかな❓
って思ったことがある人も少なくないみたい。
だけど、肉体が女だから
性的な本能は男性と結ばれることを
自然なことと感じるから
やっぱり自分はノーマルだな
って結論に辿り着いてるパターンが
多いみたいなんだけど
あくまで
それはわたしからしたら
脳の仕組みによって起こる感情であって
女性の場合は
脳の中で恋(本能の欲求)と
愛という感情を感じる場所が近くにあるから
本能の欲望が刺激されると
愛という感情が反応してしまった結果として
男の人に対して本能を感じると
そのまま愛のスイッチが連動して
その男性のことを愛してしまう
ってことなんだと思う
逆パターンもしかり!
だから
女性が感じる友情と愛情は
結構似たような感情であることも多くて
その違いは
本能が混ざっているか
いないかの違いでしかないから
女性同士でも
恋を感じることは難しくないし
逆に男性との友情でも
それを愛と混合しやすかったりするのです
つまり、
女性は心に抱いた
愛の種類がなんであっても
恋と似た感覚になりやすいってこと
女性的な男女の友情は
成立しない理由はそこかなと思います。
逆にいうと
男性は脳の構造的に
性的本能の欲求を感じる場所と
愛を感じる場所が離れてるから
本能と愛は別物
っていう事例が普通に起こる。
それでいて
本能が強い衝動を持っているから
相手が女性っていうだけで
よっぽど恋愛対象から外れる場合を除いては
本能的欲望が発生しやすいし
友情があっても
スイッチ入っちゃったらセックス出来るし
セックスしたとしても
それは愛ではない
ってことが起こりえるけど
男にとっての友情は
本能のスイッチが入ってない状態が
友情だから
女って存在が
目の前でいるだけで
本能スイッチ入りがちな男からしたら
男女の友情は成立しない
ってことが言えるのですね
(ちなみに、
ちょっと話脱線するけど
男性から女性として愛される
っていうことは
この本能と、愛の感情のスイッチを
両方入れないといけないってこと‼️
だったりします
ゲイの人がノーマルの人を落とすには
このスイッチが
男同士でも入る状態を作ればいいらしい!
これは
女性が男性を落としたい時にも
同じ話なので
落としたい男性がいる方は
そこんとこ覚えておこうね💕)
でもさ
わたしがすごく思うのは
友情でムラムラしたらなんでいけなくて、
逆に言えば、
別にムラムラしない愛情が
あってもいいんじゃないですか?
っていう話なんですね
というのも
わたしの場合は
肉体が女だからということで
過度に女扱いされることに
違和感を覚え続けてきたし
女としてみられることに
何処となく不便性を感じてきた人間だから
余計にそう思うんだよね
男の人っていうのは
基本的に女子に対しては
本能スイッチが入るからこそ優しくて
女だから恋愛対象として見られることで
すごく得することもあるし
わたしが女だからこそ
男性に与えてあげられる喜びがある
ということも
それはそれでおもしろいことで
普段、女としての肉体を
フルに活用してもいるから
人生に不満はないし
男がわたしを
恋愛対象として見てくることに
特に否定はないんだけど
だからって
どんなに女として愛されても
わたしが女であることで
わたし個人が曇ってしまうのは
寂しくてやるせないことで
1番、ツラいのは
男女の友情は成立しない
と思ってる男性の中には
恋愛対象にならない女性を
最初から
人間関係を密に築く対象
から外して
スルーしてくるタイプがいることなんだよね
わたしは
基本的に人間のみなさんとは
よっぽどのことがない限り
仲良くしていきたいと思っているタイプの
ポケモンなので
恋愛対象にならないから
って価値がない存在として
扱われることは非常に不愉快だし
ガッカリするし
そうじゃなくても
わたしは思考が男性なので
男性といる方が共感しあえたりすることが
多いのだけど
性別が女性だっていうだけで
仲間というグループに
入れてもらえないこともあって
すごく遺憾で寂しい想いを
したこともあったのね
このことってむしろ
男女とは恋愛をする対象
っていう常識があるのが
いけないのではないかと思う
ていうか
恋してたり愛してる相手とだけ
結婚して家庭を作って
出産子育てをしなきゃいけない
っていう文化も本当に必要なのだろうか❓
いちあきは個人的に
そのシステムは
あんまり人を
幸せにしないんじゃないか?
と思っているのだよね
わたしは
女同士で愛しあうことがあってもいいと思うし、(もちろん男同士でも!)
友情関係で家庭を
育んでもいいんじゃないかと思うし
じぶん達とは血が繋がってない
子どもを育てても
全然いいんじゃないかな
と思うんだよね
鳥のカッコウというものが
托卵という生存戦略を取ることが
成立するように
本当の自然の中では
自分の子どもかどうか
ってわからないことって普通だし
親子を親子たらしめてるのは
お互いが親子である
っていう認識だけだと思うのよね
愛には本当にたくさんの種類があって
そこに明確な差をつけることなんて
本当はできないんじゃないかと思う
そして、
血の繋がりってものは
血の繋がりを大事にしてる文化があるから
大事に感じるだけなんじゃないかっていうのが
わたしの意見
世の中の人は
○性の対象に見られること
と
○そこに家族愛的な愛が生まれること
と
○恋情的なモノがあること
をごっちゃにしすぎだし
それを同じ人から
全部受け取ることこそが
愛されること
って思っているけど
本当のところ
それは全然別で問題ないはずなのですよね
それぞれ
向いてることを
やればいいだけの話で
それぞれの感情の相性がいい人から
受け取って育んでいけばいい話
愛する人はたった1人
っていうのは
自分が使っていいガソリンスタンドが
そこにいけば
全部無料で受け取れるけど
世界にひとつしかない
っていうのと同じことだと思うのです
それってめっちゃ不便じゃない❓
しかも、愛の場合は
無料で受け取り続けると
大抵枯渇して破綻するし。
本当なら
男女にだけ友情が成立するかどうか
の議論をする時代は
早く終わらせて
女性同士でも家庭や
コミュニティを育んでいく愛が
成立してもいい
っていう方向で
議論が進んでいけばいってほしいし
ジェンダー問わずに
性愛を至高と考えるのをやめて
セックスなんて
ただの本能と生命の営みで
その愛が命を育んでいけるのなら
友情でも恋情でも
変わらず尊言って視点が世界に広がって
愛の種類を限定しないでも
いられる世界
になっていったら
いいんじゃないかなと思うのです💕
そのためにも
こうして毎日記事を書いていきたいと
思うし
これからも
わたし自身の愛の冒険を恐れずに貫いて
いきたいと思うよ💕