5年前に、tap×drawingというプロジェクトを始めていた
"パフォーマンスの時間/空間芸術を、どう絵画作品として昇華できるのか(残せるものになるか)"という発想から、タップパフォーマンスの痕跡(行為や音、空間)を素材に、ドローイング作品にする実験的プロジェクトを始めたころ。
ここから数年間どんどん作品を増やしていってtap×drawingの作品展示やドローイングライブパフォーマンス(公開制作)も、いろんなところで行なった。
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まずスタジオ色々やってみる、面白い?、停滞期、外行こう、面白い!、色々行こう、これグラフティアート/ストリートアート?じゃない?、展示やる、公開制作もしてみる、とか。純粋なパフォーマンスライブ(所謂観客と表現者の関係)とは異なる、ドローイング制作に向けた目的を持ちながら、タップを踏むことについて考えた。この場合、何に(目的に)向けてタップを踏むことが純粋で、向き合うことになるのだろうかと、未知に向けて、あーでもない、こーでもないを、菜々子さんスタジオや野外での制作さまざま経て、異なる表現者として一緒に考えてながらひとつの作品に付き合い、得られる感覚や経験は大きかったと思うし、振り返ると、すごい面白いことやってたな、と思う。
意味あるかわかんないけど、思いついちゃったから(やろう)。
ゴールのみえない試み(制作)を、他者と一緒にやることは容易ではないけども、自分にとっては菜々子さんがやろうと言ってくれたは大きくて、だから一緒にやってみたいと思った。
単に、私(タップ)がモデルで、菜々子さん(画家)がそれを絵を描くということではなく、2人の行為によって描かれた作品であるということを大事にしてくれていた。互いにそれぞれの表現の領分がありながらもセパレートするのではなく、ひとつの画面のなかに2人が共存することが、ひとつの表現作品になることであることを目指していた思う。
そうした視点で、画家が自分と関わろうとしてくれたが嬉しかったし、そもそも私は絵画に関して無知過ぎて、絵について一緒に考えても良いんだなということで、自分にとっても新しい視野と表現を考えるきっかけになった。
↓記事の意味あるかないかは、2人の作品が社会が価値を見出すかということの意味で、社会にとっての価値ではなく自分たちの表現の可能性への興味や経験としての意味があることは確かだったし、(まず)売れるものを考えようではない、可能性への試みから始められる人を信用できるなとも思っていたから、正解は全くわからなかったけど、楽しく続けられていた。
2020年3月には、3331arts chiyodaで展示とパフォーマンスする機会も頂けて今のところ最後の機会になってるけど、また新しい気持ちでやりたいなと思っている。
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