
【日記】子供から教わる
『子供から教わる』ことが多いとはよく聞く話だが、本当にその通りだと思う。
子供のふとした発言から「そういう見方もあるのか」と気付かされたり、「なんで?」とか「どうして?」と問われて返答に窮したり。
大人になり当たり前だと感じていたことも、当たり前ではないことに気付かされたり。
多方面において教わること、気付かされることが本当に多いと思う。
その中でも私が思った以上に苦戦しているのが、あるものについて説明をすること。
子供からの質問でいうと、「あれはなに?」、「○○ってなに?」に対する答えである。
辞書に書いてある様に端的に答えることでさえ難しいのに、幼い子に分かるように伝えるというのはもっと難しい。
なぜなら、今現在知っている言葉の数が少ないのだから。
さらに、長々と説明を書いていられるほど集中もしていないし、説明している間にまた興味関心が別のものへ移ることもよくあることだ。
私が幼い頃は、よく「なんで?」と聞いては母を困らせていたらしく、うちの母曰く『なんでなんで攻撃』と名付けていたほどだったらしい。
うちの子供達はそこまで連発して聞くことはないのだが、聞いたら即刻聞いたことをすぐ忘れるくらいの集中力の無さが問題になっている。
こちらが「えっとね…」と言葉を探す数秒の間に、もう違うことに目が移ってしまっている。
せっかく興味を示して聞いてくれたのだから、その熱が冷めるうちに、分かるように伝えて、少しでも語彙を増やしてあげたいのだけれど…。
コレがこんなに難しいことだとは知らなかった。自分の語彙力・表現力・比喩力など、ありとあらゆる力を総動員して、分かりやすく、かつ猛スピードで答えを導き出さなければいけない。
上の子には通じるが、下の子には通じない比喩表現もあれば、その逆も然りで…。
一度成功した例がそのまま通用するとも限らないのがまた難しいところだ。
しかし、このことは子供に限ったことばかりでもなく、大人達の間でも同じような現象があると思う。
それは、専門的な知識を要する事柄を、その知識を持たない人に伝える時だ。
学校や会社にも一人は居たのではないだろうか。
それなりに地位や名誉のある人でも、それらしい言葉をたくさん並べて長々と語っているが、全く他の人に響いていないような人が。
その道に長けている人でも、教えることも上手いとは限らない。
知識があることと、伝えることや教えることは全く別の能力なのだ。
基礎知識がある人達にその分野の難しい事柄を伝えるなら良いのかもしれないが、そうでない人にも分かってもらいたいのなら、やはり、伝え方は考えなければならない。
言葉は選ばなければならない。
自分の当たり前は他人の当たり前ではないかもしれない。
知っていて当然…本当にそうだろうか?
その辺りも一度疑ってみる必要がありそうだ。
今回のことで、自分の無知・未熟さを突きつけられたことはもちろん、誰かに何かを伝える時の姿勢・言葉についても今一度考えるキッカケになった。
今は日記として思ったことを書き連ねているが、これを『伝える』こと「目標」にして書き始めた時、今一度考えたいと思う。