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【日記】ダジャレ・親父ギャグ

今やもう絶滅危惧種と言えるほどに希少な生き物かもしれない。

あなたの周りには、ダジャレや親父ギャグを連発するハートの強い人は居ますか?

私が子供の頃は、その質やレベルに差はあれど、少なくとも3人は身近に居ました。

ちなみに、ダジャレと親父ギャグの違いについては以下のように書いてあるものもありました。

「親父ギャグ」は「中年男性が若い人と話しを合わせようとして口にする不快なギャグ」

「ダジャレ」は、「似た様な言葉を掛け合わせるギャグのことで、周囲を不快にしないもの」

https://meaning-difference.com/?p=8666#toc7

…何だか痛くて可哀想になってきてしまいました。

確かに私の経験からも、おじ様と言われる年代の男性が言葉を連発し、そこに居た人が皆、目を背けてしまうような何とも言えない雰囲気になっていた記憶があります…。

しかし、そのいたたまれない雰囲気はさておき、私はそれほど親父ギャグに『不快』という拒絶のイメージは持っていません。

確かに反応には困ってしまいますが…それは単に、相手との関係が、ツッコめるほど近い関係ではなかったからだと考えます。
相手は近いと思っている、または近づこうとしているという意味では、引用の解説と合う部分がありますが、こちらサイドとの心の距離があっただけで(誰も突っ込めない、本人も引くに引けないいたたまれない空気が流れるだけで)、その言葉自体に嫌悪のような不快な空気は感じないのです。

だって、要は親父ギャグもダジャレも言葉遊びではないですか?
私はこの言葉遊び、モノによってはカナリ高度なものだと思うのです。
しかも私の記憶の中のおじ様達は、降り注ぐ光のように、次から次へと絶え間なく連発することさえありました。

今で言えば、ラップで韻を踏んでいるようなものでしょうか?
ラップも言葉選びの達人の成せる技ですね。(ラップは音楽という芸術作品だと思うので、言葉遊びではなく言葉選びと表現させていただきます)

ラップはカッコいいと言われるけれど、残念ながら親父ギャグはそうはいかない…。
一緒にすると猛反発を喰らいそうですが…似ている言葉を探し出しているという部分では同じです。

その差は、
・上手く人の心を突けたかどうか
・リズムが良いかどうか
・言葉を発した人のイメージ
…などの違いが、そのカッコ良さやら、快・不快を分けているのではないかと考えています。

他人に向けた言葉の中でも、自分本位か相手を想って言った言葉かの違いがあるかという点、
リズムについては、会話や流れを乱さないという意味と、収まりの良さという点で違いが出ると思います。
そして、とても残念な事実だとは思いますが、中年男性のおじ様達はどこか可哀想な立ち位置で、若くてスラッとしたテレビに出るような男性が、同じようなことをしたとしても、全く同じイメージを抱いてもらえる可能性は低いでしょう。

私の身近に居たおじ様の中には、親父ギャグは連発するけれど、人気の高い方が居らっしゃいました。
その方と私は、歳は大きく違えど、色んなことを本音で語れる師弟のような、お友達のような不思議な間柄でした。
その方が親父ギャグを連発しても、みんなクスッとしたり、また言ってる〜と言われたりしながらも温かい雰囲気が流れていました。

その人が、子ども相手でも一人の人としてぶつかってくれる人で、いつも真っ直ぐに受け止めてくれるからでしょうか?

同じ言葉でも、人のイメージによって受け取られ方が嫌悪や不快になってしまうのは悲しいことだと思います。
かと言って、本当の自分を偽り、イメージを良く保つのではなく、いつでも相手のことを思いながらも、心に正直な言葉を発せられる人でありたいものです。

時には言葉で遊ぶ余裕や、それを考えつけるだけの語彙力と別分野との言葉をリンクさせる力、発した言葉を肯定的に受け止めてくれる温かい人間関係が持てたら、それは大変幸せで豊かな時間になるだろうなと思います。

私はもともとひょうきんな人物です。
周りからはたいてい真面目だと思われているので、ダジャレなんて言ったら驚かれて、それこそいたたまれない雰囲気が流れてしまうと思いますが笑
身近な人だけでも誰かが笑顔になってくれたら嬉しいです。
そしてたまにダジャレではなく、真面目な言葉で、自分の言葉に心動かされてくれたり、私の言葉で誰かが少しでも暗い気持ちが前向きになれたと言ってくれたらこれ以上に嬉しいことはないのです。

これが、私が『言葉』を好きな理由。
きっと、このnoteを続けられている理由でもあると思います。

どうか嫌いにならないであげてくださいね、親父ギャグと親父ギャグを言う方を。
「へぇ、そうきたか」とか「このいたたまれない雰囲気を、今日はどう持っていく?」とか、「自分なら掛け合わせる言葉はコレにするね!」とか「心の距離がまだ遠いんだな」とか「もしかして誰かクスッときてるやついるんじゃ…?」とか…
そういう視点で見てみると、ちょっと少し違う受け止め方が出来るかもしれません。

ダジャレを思い付くのって意外と難しいです。
それに、心の距離を近づけようと実際に行動を起こすことも。その結果、温かい雰囲気にすることも。
時代が時代ですが、相手との距離を縮めようと努力することが、そんなに悪いこととは、私は思いたくありません。
方法は別のものをお願いしたいところだけれど、その心意気をもハナから煙たがるのは、人として少し悲しいかなと思います。

人との距離が難しい今、時代によって淘汰されるものはあったとしても、他人がどうあれ、自分のものさしで、良し悪しを判断したいものだなぁと思う今日この頃です。

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