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アフターコロナの世界

世界が一変した今年。これまで当たり前だったことが当たり前では無くなった。

右肩上がりの経済、タワーマンションに住み、高級車に乗り、ミシュランの星付きのレストランで食事をし、ブランド物の服を纏い、高級時計を求め、旅行と言えば海外旅行。まああまりにもプロトタイプな所謂富裕層の生活を、「ほら素敵でしょ?みんなこうなりたいでしょ?」と持て囃してきた訳です。

それが良いのか悪いのかは私には分かりません。価値観は人それぞれなのですから。しかし、社会人としてこれまで経済活動の一端を担って来て、ふとコロナ禍で立ち止まった時に如何にこれまで無理をして来たのかという事に気付いたのです。実需の伴わない押し込み案件を無理矢理積み上げて。砂上の楼閣ってやつですね。

実は結構前からそう思ってはいたのです。いたのですが、見て見ぬ振りをして来たのだと思います。終身雇用、メンバーシップ型人事制度、年功序列、定年退職、退職金。これは紛れもなく既得権益でした。今となってはそうはっきりと言い切れます。そして私達の世代はその全てを享受する事は難しいでしょう。

私達の世代はそうやってフェードアウトしていった人々を見てきました。心のどこかで「いつか自分もああなるのだ」とも思っていたのだと思います。しかし長引くデフレで日本の国力は確実に削がれてゆき、最早先進国の端くれに過ぎないこの国を、少子高齢化に歯止めは掛からず、そして相次ぐ天災や新興国の勃興を横目にひたすらに心地よい幻想「日本は世界の一流国家なのだ、素晴らしい国なのだ」と言い聞かせてきました。

実際日本はまだ先進国の端くれなのでしょう。だけれどその立ち位置から降りないといけない時が来るのは時間の問題だと思います。それを受け入れないとこれからどう生きるのか、子供に何をしてあげられるのかを考えることも出来ないと思うのです。

口で言うのは簡単です。我々はこれまで右肩上がりの成長しか経験して来ていません。経済的に豊かではなくなる事、それを受け入れることが出来るのかどうか。私にも自信はありません。

冒頭の「豊かな生活」を基準とするならば「貧しく」なるのでしょう。しかしその豊かな生活を豊かと定義するのかどうか、という事だと思います。働き方も人それぞれになると良いのですが、これは社会全体の価値観が変わらないと難しいのかもしれませんね。

子供達はどう思うのでしょうか。どんな未来を生きるのでしょうか。私達が出来ることは結局経済的な事が大半なのでしょうけれど、多様な価値観を教えてあげられれば良いな、とも思うのです。まあ私自身が未だ飽食の徒な訳ですが。

このコロナ禍が世界の転換点となるかどうか。後世の人のみぞ知るってやつですかね。

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