白や黒だけではなく、たくさんの色を選べるように
昔から曲がったことが嫌いで、ズルや不正をする人に対しても許せない気持ちが強かった。
人に対してはもちろん、自分に対してもこの感情は向く。
ちょっとした嘘をつくことにも罪悪感があったし、誠実でない自分に嫌気がさすこともあった。
他の人が何気なくしていることも、自分にとっては耐え難く、きっと変に真面目に見えていたと思う。
年齢を重ねるごとにこの白黒はっきりつけたいという思考が、どんどん自分を苦しめる。
相手に対しても誠実さを求めてしまうし、その気持ちが返ってこないと勝手に悲しくなる。
勝手に期待して、勝手に落ち込む自分の身勝手さにも辟易として、なにがなんだか分からない時もある。
期待と自己嫌悪を繰り返して、人間関係に疲弊して、一人になったこともあった。
この白黒つけたい思考は「0-100思考」とも呼ばれているが、どうしても物事を極端に考えすぎるところがある。
0でも100でもない50を選べないし、白と黒が混ざったグレーという色を見つけられない。
そんな中、社会に揉まれ、色々な人と触れ合ったり経験を積んでいくことで、少しずつ選択肢を増やしていけるようになった。
最初は難しかった。
思考のクセというものは、何日単位で変わるものではなく、根気強くアプローチしていかないといけなかった。
すぐに「白」や「黒」と決めつけたがる自分を、一度押しとどめて「グレー」という選択肢を頭に浮かべる。
慣れないうちは、気持ち悪い。
曖昧な答えは、居心地が悪かった。
おそらく、世の中というのはほとんど「グレー」なのだと思う。
白や黒とはっきり言えないことが多く、その中で人はその色に染まり、時には「白っぽいグレー」とか「黒っぽいグレー」を選んでいるのではないだろうか。
グレーだらけの世界で、白や黒を探そうとするのだから、それは生きづらいだろうなと自分でも思う。
とはいえ、今すぐにグレーに順応することもできない。
いつか、グレーだらけの世界が居心地が良いと思えるようになりたいなとも思う。
それとは逆に、グレーに染まりたくないと思う自分もいる。
白も黒も捨てないまま、新しく色んなグレーを増やしていくことが、自分にとっては良い方法なのかもしれない。
歳を重ねるごとに選べる色を増やしていきたい。
きっとその中に、居心地の良い色があると思いながら。