絵でも漫画でも、文章でも。作り手に読んでほしい「かくかくしかじか」
「海月姫」や「東京タラレバ娘」の原作者として知られる東村アキコさんのコミック「かくかくしかじか」を読んだので、今回はそのレビューを書くぞ。
彼女はどうやって漫画家になったのか
「かくかくしかじか」は、東村アキコさんの高校時代から現在までを綴った自伝的なコミックエッセイ。彼女が高校生の頃に通っていた絵画教室の恩師、日高健三先生との関係を中心に、高校、大学、社会人と少女漫画家になるまでの日々が描かれている。
あの日から早20年かくかくしかじかこういう理由で私は今 漫画を描いています
冒頭の1話の、最後の1節。ときに現在の視点を交えつつ、高校生だった作者と先生との出会いから物語は進んでいく。
この漫画を買うことを決めた言葉
そもそもわたしがこの漫画を読んだきっかけは、まさにコンテンツの「作り手」でもあるウェブ編集者がおすすめしていたからだった。
CINRAが開催しているイベント『NEW TOWN』の企画のひとつに、BuzzFeedの鳴海さんとAbema Timesの恩納さんによる編集者・ライター向けのトークイベントがあった。そこで鳴海さんが紹介していたのが、この漫画だった。
イベント終わり間際、駆け足での説明だったから、詳しくは覚えてない。
ただ、
「ものづくりをしている人はぜひ読んでほしいです」
という言葉が耳に残った。気になったら止まらず、あらすじを読んで、すぐにAmazonで買うことを決めた。届いた日に、いっき読みした。
読みながら、「ものづくりをしている人に読んでほしい」と鳴海さんと恩納さんが話されていた意味がよくわかった。
それは、作中で『先生』が連発する言葉につきる。
「描け」
作り手に読んでほしい理由
作中に出てくる日高絵画教室の『先生』は、とにかくスパルタ。相手が女子生徒だろうが竹刀をふりかざし、おじいちゃんでも容赦無くひたすらティッシュの箱を描かせ、さらには教室に通う子どもまで泣かせたりする。本当は優しくて生徒思いだったり、人間味溢れるところも描かれているのだけど、指導では一切妥協しない。
その先生が怒鳴るようにして何度も口にするのが、
「描け描け描けーッ!!」
という言葉だ。
東村アキコさんが、金沢の美術大学に入ってからスランプに陥り、絵が描けなくなってしまう場面がある。夏休み、宮崎の実家で描こうとキャンバスや画材を持ってくるも、どうしても手が止まってしまい、部屋で大泣きする東村さん。
彼女のもとに駆けつけた先生がかけた言葉も「描けッ」だった。先生は泣いている彼女にも容赦無く、自画像を描けと言う。
「そのまんま描け 見たまんま描けーーーッ」「うわああああん」「泣くなボケェェ」
この厳しさである……。でもその結果、東村さんはキャンパスに向かうことができ、美大の合評会で「いいじゃない」というコメントをもらったのだった。
「かくかくしかじか」はこんな風に、東村さんが描くことと向き合ったり、向き合えなかったり、ときに遠回りしながら漫画家になるまでを追っていく。
たとえ美大出身じゃなくても、芸術作家を目指していなくても、漫画家になりたい訳じゃなくても、ものづくりをしている人には、先生の「描け」はどこか刺さるものがある。
なにかを作る人は、きっと何かしらの壁にぶつかるものなんじゃないかと思う。それはスランプだったり、追い込まれないとできない性格ゆえだったり、色々だけど。悩みながらでももがきながらでも、ひたすら手を動かすしかないんだと、当たり前のことに気づかせてくれる。
物語の終盤、「漫画家になりたい」と話す男の子が東村さんに相談をするシーンもそう。
「どうやったらなれると?」「オレ漫画家なれると思う?」
絵でも漫画でも、文章でも。「どうしたらなれる?」「自分でもなれる?」って聞く人を見てきたし、わたし自身そんな時期があった。
でも、ここまでわたしの文章を読んでくれた人なら、わかるかな。答えは、最終巻の5巻につまっている。
もし興味を持って読んでくれるなら、最後の最後、先生が絵画教室の生徒たちに残した言葉まで見届けてほしい。
編集:円さん