To put yourself in someone's shoes 誰かの立場になって考えること
誰かの立場になってみることを、英語ではto put yourself in someone's shoesという。
インハーシューズというキャメロンディアス主演の映画があったけれど、それもこの表現から来ていると思う。
病気や障害についても、当事者や周りの人以外よく知らないと言うことは多い。
そうすると、その人たちの立場になって考えるのはやはり至難の業なのだろうか。その人たちの価値観を、To put yourself in someone's shoes を使うなら、誰かの靴を履いてみることは難しいのか。
他人の靴を履くのもだが、自分の靴についても理解しないといけない。現実、靴屋さんに行くときも、自分のほしい靴のイメージ、サイズ、自分の足の幅や値段など、自分にフィットするものを求めると考えることはたくさんある。私の場合の今の自分の靴は、まだ履きならしている途中だ。でも前よりは履きにくくない。
それは、HSP(Highly Sensitive Person)と言う概念に出会ったから。私はそれで自分の特徴にかなり説明がついて救われた。それ以前はどうやって生活していたのか、思い出せない。とりあえず生きづらかったし、うつ病とか精神疾患なのではないかと思っていた。発達障害の本も読んでみたけれど、どうも当てはまらなくて、そうして調べているうちに一冊の本に出会った。それからまだ1年経っていない。
まあ自分語りはこれくらいにして、この体験と同時に気づいたことがある。
それは、HSPではない人たちがHSPという名前に出会う確率は、HSPの人より少なそうだと言うこと。
どう考えても、HSPの特徴を持っていて生きづらいと思っている人がネットや書籍、その他イベントなどで出会う機会の方が多そうである。あとはHSCの子どもを持つ親。HSPは病気や障害としては扱われないが、その他価値観の違いに関しても言えることだと思うのが、他人の靴をはいてみる、と考えると面白いということ。
他の人の靴を履く機会なんて、現実ではそうそうない。そうして歩いてみるというのは難しいだろう。きつすぎてもぶかぶかすぎても歩きにくいし、人間は自分に合う靴を履くのになれているから、わざわざ違う人のを溜めそうとはなかなかしない。理由もなく靴を交換することを思いつけるのなんて、小学生くらいまでじゃないか。
でも私は試してみたい。現実ではしなくても、英語の表現の通り、違う人の考え方を知ることができるよう、「他の人の靴を履いて」みたい。できる限り試すようにしている、つもり。
私の足の大きさや形を変えられるわけではないから、他の人の靴を履いても、靴の持ち主と同じようには感じられないとは思う。でもそうしてみることに、他の人の価値観や立場を考えてみようとすることに、やっぱり意味はあるんじゃないか。それにそうすることで、自分により合う靴を見つけられるかもしれない。そんなことを考えている。