「友達ガチャ」がない理由
生まれてくる家庭は選べないけれど、友達は選べる。
そんな、手垢のついた文句が頭に浮かんだ。
ありきたりな言葉だけど、本当にそうだと思った。
友達と会うと、電話すると、「そうだ、私にはこんなにも、私の話を聞いてくれて、励ましてくれる友達がいたんだよな」と思う。
まだ20余年しか生きていないけれど、「この人たちとは、環境が変わっても、時間が経っても、友達なんだろうな。」と思う人が複数いる。
それって幸せなことだよな。
私はどうしても、過去の嫌なことを強く記憶に残してしまうし、現状もネガティブにとらえてしまう。
幸せの見つけ下手である。そういえば、小さいころに、四葉のクローバーを自力で見つけられた記憶がない。
「四つ葉のクローバー見つけ職人」みたいな子もいたのに。
そういう子は、幸せも見つけ上手なのかもしれない、なんてぼんやり考えている土曜の夜である。
「親ガチャ」という言葉は流布しても、「友達ガチャ」は生まれることはないだろう。
だって、誰を「友達」とするか、その人とどんな関係を作るかは、自分次第だから。