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私の子育てについて 母に強く執着してこない理由?


親の数だけ愛情表現や躾があります。それは皆違って、しかし皆子供を一生懸命育てています。私の子育てが正しかったのか、もしかしたら誤っていたのか、それは未来の我が子にしかわかりません。

我が子は比較的育て易い方だと思います。不安で過度に育児書やネットなどを読み漁るような事はありませんでした。
後追いや人見知りがなく、いやいや期や反抗期もあれど育児の全てが想定内のレベル。
頭と身体の成長も同年代より少し早いように見えます。今のところは。
それとも子供が苦手だった私が、実は育児に向いていたのかも…?
(2歳半までの夜泣きには堪えましたが)

もしかしたら、私のこの行動は子供に良い結果を与えたのかな?と思うことを一つお話したいと思います。

・子供の視界からいなくなる前に、必ず自分の居場所を伝える。
生まれてからずっと声をかけていました。
赤ちゃんは賢いから、もしかしたら話せなくても母の言っていることがわかっているかもしれませんから。
「トイレ行くね」「洗濯物取ってくるね」
「手洗ってくるね」「隣の部屋掃除機してくるね」
と。
子供が少し大きくなってきて言う事を聞かず、親子喧嘩をしても
「お母さんこっちの部屋いるから仲直りしたくなったら迎えに来て!」と言ってから部屋を出ます。
どうしようもないときもありますからね。お互いこれで落ち着きます。

赤ちゃん〜幼児期の子供は遊びに集中したり、泣いている時は周りが見えていないようです。
ふとした時にお母さんがいないと不安になると思い、
黙って離れる事はしませんでした。
そのおかげか赤ちゃんの時からお母さんから離れる事を、全く嫌がらない子でした。「バイバイ」とあっさり私から離れます。
迎えに来たら喜ぶものの、まだ帰りたくないとくずる程。


そんな子供がしっかり自我を持ち受け答えができるようになった頃に聞いてみました。
「お母さんと離れるとき悲しくない?淋しくない?もしお母さんが戻ってこなかったら?」と。
きょとんとした顔で「悲しくないし淋しくない。お母さんは戻ってこないの?」との返事。
母がいなくなるなど考えたこともない、物心ついたときには絶対的な安心感がこの子にはあり、不安に思うことがきっとなかったのだろうと思いました。


そして小さな子供は教えないとまだ「予測」が出来ない。
体験した現実しか知らないから、すぐに不安になるし怖くなる。
でも教えるとどんどん覚えていく。だから普段から
「電車やバスに乗れば止まることも遅れる事もあるし、お母さんがうっかり時計を見忘れる事もある。もしかしたらスマホの充電が切れたり、壊れたりして連絡できないかも。遅れても何とかして絶対に迎えに行くから、安心して待っていて」
こういった可能性をもしもの為によく伝えています。自分のせいで子供が悲しむ顔は見たくないですからね。

子育ては仕事と少し共通するところがあります。
数多の可能性を考えて行動し、「最悪」を予測し対策する…これは割と順調です。成果も見えます。
しかし、どう言えば子供は納得するか。思うように行動してくれるか。
何を見て何を考えているのか。
これは仕事なんか比べものにならない位難しいです。
まだまだ小さい我が子、これからも頑張らねば。

始めての育児記事です。
長く仕事をしているからか、どうも子育てにおいても「こうなのか」「いや、こうなのか」「これだと成功するのでは」「次こそは」と仕事目線になる所があります。それがもしかしたら冷静に考えられる理由かもしれません。

親しいママ友0、近場に知人0、親親族に頼らず孤独に子育て。何かズレているかも…?
ご意見をいただけると、とても有り難いです。

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