受験という名の18才の別れ道
3月に入って、1週間が経ちました。そろそろ国公立大学の前期の合格発表の時期です。
私も4年前の3月9日、震えながらスマホを握っていました。アクセスが集中していて、15分以上繋がらず、更新ボタンを押す度に息が切れたのを思い出します。
そしてやっと繋がった先に、私の番号はありませんでした。
へえ、そうなんや。そっか。そうやよな。うん。
何も考えられなかったです。悲しみも怒りも湧かず、ただ心の糸がプツンと一本切れた音だけを聴きました。
何年間もの努力がたった6時間の試験でジャッジされた事、2週間前には同じ会場にいたのに今はもう全然違うという事。現実だと思いたくなくて、受け入れられなくて、必死に真顔を作っていました。
無事合格した方、おめでとうございます。これから理想通りではないかもしれないけれど、それすらもアリだと思える日々が待っているはずです。楽しんでください。
落ちた人。浪人するか、滑り止めの大学に行くか、人それぞれ身の振り方は違うと思います。ですが、その方向は目的地と反対ではないです。ただの回り道でしょう。
私も浪人という名のフリーターが決まった時は、劣等感や罪悪感しか見えませんでした。過去の自分を憎んで、嘲笑って、自分の事が大っ嫌いになりました。
だけど、時間が経つにつれて、自分が嫌いな自分すらも嫌いになっていきました。そろそろ許してやれよ、もう一回やってみようよ、って声を出せるようになったのです。焦って口走っちゃいけません。私は大体3ヶ月かかりました。そんなもんです。
そこからは前の自分に戻れて、頑張る事ができました。
人生の道のりには全て意味があると思います。私の場合は浪人生活を通して、絹豆腐メンタルが木綿豆腐くらいになりました。ちょっと強くなれたんです。この人将来心配だなー、って神様がチェックポイントを設けてくれたのでしょう。
1年遅れたくらいで、どうってことない!むしろチャンスかもよ!
4年前の私にそんなメッセージを伝えたかったです。