人と話すのがまだ怖い -死産から火葬までの心情観察日記②
お金の話
母子手帳と同時にもらった育児支援券について、50,000のうち半分を現金に、半分をAmazonギフト券にした。
Amazonギフト券を使おうとして気づいたのだが、用途指定されていて、ベビーカーやら抱っこ紐にしか使えないらしい。盲点だった……。
期限が分からないのでおそらくしばらく使えるだろう、として放置しておこう。全部現金にしておけばよかった。悔やまれる。
(後から調べたら10年期限らしい。次使いたい。)
人とどう関わるか
1人でいるとき、夫と話している時はかなり気持ちが落ち着いているが、人と会うのが心配なことに気づいた。特に私が妊娠して人工死産をしたことを知らない人に会うのが憂鬱である。
いま、傷ついた心が回復傾向にあるのは間違いないが、もともとあった多少の悪意やマイナス感情を跳ね除ける壁のようなものはなくなっているから、相手の反応や状態を慮りながらやりとりをするのが重荷に感じる。
SNSの匿名コミュニケーションにしろ、顔を見たコミュニケーションにしろ、とにかく人とやり取りするのは莫大なエネルギーを必要とする。ハイリスクハイリターンなので、先生と会話した時のように気持ちが急激に前向きになれたこともあるだろうけれど、話した結果傷ついて終わることもある気がする。
これは元来の性質で、人と会うのにエネルギーを使うタイプだったので、会える人に会いつつリハビリしていくしかないと思う。
心配しているのは来年結婚式に呼ばれている。産後休暇明けなので良いタイミングかもしれないが状況が怖い。
同じテーブルに友人がいて、2組とも今年出産した赤子を抱えてくる予定である。とても良い友人たちではあるけれど、自分がどんな反応をするか想像がつかない。
1人で参加ならまだしも、夫も一緒なので私はどんな反応になるのだろう。
産院で新生児を抱えた夫婦を見た時のような、切ない羨望感だけで済めば良い方で、目の前でお世話を見たり、お世話の悩みを聞くのはキツいかもしれない。
かといって、私の前で子どもの話をしないで、のような拒絶は結婚式のような主役がいるお祝いの場にあまりにそぐわない。私の話を聞いてもらう場としてもそぐわない。幸せな話とお祝いで埋め尽くしたい。
昔は、不妊治療中の方のアカウントが「子ども連れと会うのが辛い」という旨を共有していた時は、あまり共感はしなかった。でも今同じような不安がある中で、心が傷つきすぎて耐えられないんだ、と理解できた。
招待状の返答日が迫る中で、何が1番最適なのかを悩んでいる。
新婦に報告して相談するか…。
胎児のこと
グロい話をする。
胎児にあった時の最初の感想は「小さい」だったけれど、その後もずっと頭の中をぐるぐるして離れないイメージがあって、胎児を飲み込むことだった。
見た目は真っ赤でツヤツヤでどう見ても人間になりかけのカタチで、当たり前だが美味しそうなわけではないことは断っておく。
このイメージの出どころは分からないけれど、直感的に自分の体の一部にすべきだと思ったのだろうか。
「食べたい」「食べるべきだ」と実際の行動に移したい感情ではない、衝動でもない。ただ、頭の中に胎児を飲み込むイメージが浮かんだだけである。全然食べたくはない。
本能なのだろうか。よくわからない。
「子どもがいる家族がマジョリティ」という日常に馴染むには
年末に向けて家中を大掃除しようとしていて、収納をどうしよう?と悩んで検索すると、「お子さんの書類を整理するのに便利」だとか「作品を保管するのに最適」だとかのオススメ文句が溢れている。
やすりで肌を削ってしまったような、血は出ないし傷は軽いのに確かに痛くて、居心地の悪い気持ちになる。
言葉そのものではなく、そうであると期待していた未来が損なわれたことに気づいて少し傷つく。
関連して、自分以外の人が(私から見たら)順調に未来を手に入れていることに羨ましい気持ちが湧く。
コウノドリで、母児死亡のケースに直面した鴻鳥先生は「児が亡くなるのは未来が失われること、母体が亡くなるのは現在が失われること」と語っていた。
私たちは未来を失った。
また前に進みたくて焦る気持ちはあるけれど、今はまだ悪露も止まらず、火葬も終わっておらず、退院後の病院も終わっていないのだから、現在を大切にして進むしかない。
コウノドリをまた読もうかな。妊娠前から号泣していた私にはまだ刺激が強すぎるかな。
コウノドリを読む
もともと2周くらい読んでいて、私の人生にとって大切な漫画だった。
起き上がっているのは辛いが寝ていてもやることがない状況だったので、Kindleでまた読み始めてしまった。
■TRACK5 無脳症
状態としてはこの話の妊婦さんに私は限りなく近かった。無脳症はそれだけで致死的ですが、私の場合は嚢胞性ヒグローマ・胎児水腫(全身浮腫、胸水、腹水)・三尖弁の逆流が12wの時点で見受けられ、いずれ子宮内胎児死亡になります、と宣告されました。嚢胞性ヒグローマや三尖弁の異常は原因もしくは重症度によっては無事産まれることもあるようですが、慎重な発言を行うのが一般的な産科の先生から「いずれ心臓が止まる」と言われるほどの致命的な状況だったわけです。
こんなに致命的な状態と理解しているのに、心臓が止まる前に命を止めたことで、ついもしもを考えることはあります。これはどんな形で子を失っても付きまとう思考でしょう。
作品の中で、無脳症と宣告され辛い中絶を行い、次の妊娠の時には「(前回の中絶が辛くて今回の妊娠をやめたいほどだったのに)やっぱり赤ちゃんが欲しいです」と泣きながら笑う妊婦さんの顔に、自己投影して涙がでた。
人類の叡智の結晶である医療の前でさえ、妊娠出産は奇跡なんだ。なんて無力なんだろう。
他の人がどうかは分からないですが、私は体験談や漫画を読むことで反芻して悲しみの消化を助けています。抉るような痛みはなく、不思議と癒えるような感覚がします。
日常には戻ったけれど、まだ悲しみの中に浸っていたいのかもしれません。
体調の話
死産当日を0日とすると今日は3日目です。子宮収縮の薬を飲んで、出血は2-3日目の量からはあまり減っていません。増えてもいないので回復傾向かと思います。塊は処置後に少し出たのみであとは生理のような血がほとんどです。
収縮で痛みは感じるものの、痛み止めは必須ではないかな…という程度です。波があって痛い時は動きたくない。
ただ、ちょっと大袈裟な動き(家の中ではしゃぐ犬を捕まえようとする)とか、寝ている状態から起きるとしばらく頭がぐらぐらしてしまいます。貧血の数値ではありませんでしたが、血液量の問題かもしれません。
また、泣きすぎで浮腫んでいるのか、風邪をひいてしまっただけか、これまた血液量の問題なのか、鼻詰まりがひどいです。夫が風邪をひいたのでそれをもらっただけかもしれませんが、鼻詰まりで睡眠が妨害されています。
じゃあ鼻詰まりがなければ夜眠れるのか?ですが、目の前が流れる感覚(めまいに近い?)があってこれも不快です。
精神的なものと体調的なものが合わさって、導入剤なしに眠るのはまだ難しいです。
三日くらいは安静にして徐々に家事とか買い物とか日常に戻ってねとのことだったので、明日からは犬の散歩も再開してみようと思います。
妊娠中も散歩中は休み休みだったのに、今度はしゃがんで休みながらになりそうです。犬に付き合ってもらうしかない。
気持ちに波がありますが、一歩ずつ進んでいこうと思います。