今回のことを死産と呼ぶ -死産から火葬までの心情観察日記③
その日思ったことをまとめただけの悪文です。項目ごとにまとまりはないです。しょうもないことも書いてます。
今回のことを私は死産と呼ぶ
私は今回の事象は「人工死産」として呼んでいる。胎児が生まれる前に死ぬのには行為や状態によって色々名称がある。以下私調べ。
死産:法律には12週以降に妊娠が終わること(死産届が必要になる)。医学的には22週以降の救命可能な時期に児を産んだが亡くなってしまうこと。
流産:法律的には12週より前に妊娠が終わること。医学的には22週より前に妊娠が終わること。
中絶:妊娠期間の22週までに可能な、妊娠を終了させる処置。12週未満は初期中絶(手術)、12週以降は中期中絶(分娩)である。
今回は、いずれ子宮内胎児死亡になると宣告を受け、私たちが「中絶」を選び、人工死産となった。胎児は分娩中に亡くなっているので、流産ではなく「死産」と私は呼びたい。
私が意思を持って命を終わらせる分娩をしたのだ、という責任である。
私の不在期間によって犬の警戒心が増した
犬の警戒心がいままでより強くなった。通り過ぎる人をいままでは興味深く観察するだけだったのに、今は注意深く警戒するようになった。
私が1週間ほど散歩に行けなかったことから何かを察したのかは分からないが、私を何者かから守ろうとしているのかもしれない。
犬はよっぽど人間の機微に敏感である。
人類と宗教について思うこと
努力では抗えない事象を経験したことで、自分が今まで「全てのものをコントロールできる」ような錯覚をしていたことに気づいた。
私はただの矮小な生物でしかないのに、他に大きく影響させたり、動かしたりできると思い込んで生活していた。
仕事柄、「人を動かす」ことばかり考えていたから、自覚はないが神様気分だったのかもしれはい。
ブッダの言葉を読んだり、陣痛促進剤を入れた時にお守りを握って神に願ったり、自分の中で宗教の近さを感じた。
(といっても私は無宗教で、ブッダの教えも一種の哲学と捉えているが)
死産の経験で、大昔から、天災、死、老い、病、説明不可能な現象を神の怒りなどとして理解してきた理由がなんとなく分かった。
人間は合理的な生き物なので、何かが起きたら理由を探すけれど、理由がないものの方が多い。かと言って、起きたことの理由がないとして扱うよりも、超常的な何かが存在して、それが理由であるとしたほうが座りが良いのだと思った。
説明不可能な事象の説明として神や教えや祟りが存在する。
神社にもお寺にもお参りに行くけど、すべての事象は自己責任だ、と思っていた私には頭を殴られたような衝撃だった。
宗教の発生については本などでぜひ読んでみたい。
家の中の片付けがはかどる
仕事をしていると長期休暇といっても長くて10日間くらいで、仕事の疲れを癒して遊んで遊びの疲れを癒すだけでおしまいだった。
それが8週間(56日)もあると思うと、心の余裕が違う。行動に制限がかかることは何もない。なんでもできる気がする。
何かをしてさえいれば前に進んでいる感覚がある。眠い時やお腹が痛い時はゴロゴロして、起きている間は勉強したり、家の片付けをすることで前に進める。
脳みそに仕事をさせないと、ずーっと「人になんて言おうかな」「誰にまで言おうかな、私はどうしたいんだろう」とか意味のないことばっかり考えている。なんでこんなことになったんだ、を考えなくなっただけ立ち直れているのかも。
次の妊娠について
退院後の病院にもまだ行っていない段階だけれど、やはりつい調べてしまう。
死産後に1年以内に妊娠する割合は63%と一般的で、また前回の死産によって何かリスクが上がることはないらしい。
https://pmc.carenet.com/sp/detail.php?type=detail&id=7967602&keyword=30827781
また、6ヶ月以内の妊娠は37%とそれなりの確率だった。この調査は22週以降での死産に限るので私はまた条件が違うけれども、安心材料にはなった。
結局、どんな確率であろうと、起きるか・起きないかだけだと十分身に染みているのに、つい確率を見て安心しようと思ってしまう。
来年の今頃は笑えているといいなあ。