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涙は枯れたか止まったか -死産から火葬までの心情観察日記①

死産当日に人生で1番泣いてから、それ以降涙は少ししか出ていない。

また乖離しているのかな?と思ったけれど、俯瞰して見てもたぶんそうではなさそう。自分なりに今回の出来事を咀嚼できたのかもしれない。もちろん消化はまだまだできていなくて、産休を計算した跡があるカレンダーを見て「新しいカレンダーを買いに行こう」とか、「6月になったらまた落ち込んでしまうかな」と過ったりとか、子どもを見て「大体の人は無事に子どもが産まれるんだよな」とか考えたりもする。

でも、1枚だけ撮った胎児の写真をコンビニで印刷したり、母子手帳やエコー写真のアルバムなど今回の妊娠にまつわるものを整理したりする元気はあるので逃避フェーズは終わったらしい。
ほんとうにそうだとしたら、あまりのメンタルの強さに、自分でも若干疑いを持っている。本当に大丈夫?もう立ち直りはじめてるってことでいいのか?
「仕事の復帰の時は、”紆余曲折あって子どものいない産後休暇をいただいていました”って言おうかな。ビックリさせるかもしれないけれど、また体調崩すとかの心配かけるの嫌だしなあ」とかまで考えている。

退院日、寝つきが悪くてKindleでブッダの言葉を買って読んでいた。
「執着が悲しみを生み出す」と書いてあって、確かにそうだと思った。だから執着を捨てなさい、ということかなと勝手に理解したけれど、それは人間な限り無理だなとも思う。(ブッダは超人だし)
執着は悲しみも生むけれど、愛も生み出すと思う。だから、これからも人間らしい執着は大事にしたい。

そして「今を生きなさい」とも書いてあった。これは大切にしたい。
今は深い悲しみは一時的に去ったように見えるけれど、自分でも分からなくて、これからまた辛くなったらどうしようと思っていた。
でも、少なくとも今は、自分なりの解釈ができているのだからその気持ちを大事にしようと思った。

また、妊活についての心境の変化もあった。今回のことで「子どもは授かり物」という言葉を真の意味で理解した。
妊活を始める決意をした時は、「子どもを早く作るんだ!」という気負いで突っ走った。結果的にすぐに子どもを授かれた(そして今回の結末になった)けれど、この時の私の気持ちには、どこかで妊娠さえも管理可能な事象として捉えていたように思う。
妊娠後も胎嚢サイズを調べて一喜一憂したり、Twitterで検索しまくったり、”安定期迎えるまでは、どころか生むまでわからない…人に言いたくない…”とメンタル面もあまり良くなかったと思う。

医療の手を借りようが、自然の営みで授かろうが、子どもは私たちでは関与しようのない自然な巡りなのだと気づけた。
今回のように、その時は順調でも、どうなるかわからない。どんなに心配して色んなことを想像していても、悲しみの大きさは変わらなかった。いま、目の前にある生活を大事にしたいし、また授かれた時には、その時々を大切にして大いに喜ぼうと思う。

死産を経験したことで、子どもに対するイメージも変化した。
逆説的だが、妊娠中は自分が赤子を抱えているイメージが全くつかなかったのに、今はイメージがつくようになった。
重さは比にならないとはいえ分娩を経験したこと、先生と話せたこと、胎児に会ったことで、結果的に次に前向きなイメージを持てたのだと思う。本当におかしな話である。
子宮の収縮痛も良く分かった。子宮が拡張している時の痛みとは全然違ったから、次の妊娠の時は判断がつきそう。
血についても何がまずい出血なのかよく分かった。促進剤の後に、おしるしのような血がでたので、子宮から出る血ってこういうことかあ〜、前に心配で受診した出血は問題なかったわそりゃ、などと1人合点していた。

翌日にここまで考えている心理状態を自分で心配している。
とりあえず火葬の日までは、自分の心の動きを残しておきたい。

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