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母との確執 -死産から火葬までの心情観察日記④


その日感じたことのまとめです。項目ごとに関連はありません。
今日は死産に関連づけて思い出された母との記憶が辛すぎてしんどいです。

妊娠によって起きていたことが解消された

たった数ヶ月の妊娠でも体が変わっていたようで、妊娠が終わった途端に色々変化があった。
妊娠が長くなればもっと色々あったんだろうな。
・頭痛
もともと週に2-3日は鎮痛薬を飲むほどの頭痛持ちだったのが、妊娠中はほぼ頭痛がなかった。そして今はめちゃくちゃ頭が痛い。妊娠によって体調が良くなる面もあるらしい。
鼻水も止まらないので、風邪をひいてしまったのだろうか…。
・疲れやすさ
犬の散歩中も半ばで毎回休憩していたが、疲れやすさは無くなった。
・肌荒れが治った
背中やら生え際やら、ニキビだらけになっていたが、すでに元に戻った。特に生え際は明らかに荒れていたのになくなった。
・腰の痛み
寝方が悪いのか?などと思っていたが、妊娠で腰が痛かったんだなと分かった。
・偏食
つわりは軽い食べづわり→軽い吐きづわりで軽快傾向にあったものの、偏食はずっと続いていた。食べたいものが少ないのにすぐ嗜好が変わって、家に食材が溜まっていたが、なんでも食べられるようになった。

次妊娠できたら、またつわりからか…と少し憂鬱です。私はつわりは軽いほう(8-9wがピークで10wまでは週2-3回吐いた程度)ではあったのでその点は大丈夫かなあ。また仕事で迷惑かけちゃうなあ。

女という性別を突きつけられる

妊娠によって大きく体調が変わった時に、「ああだから女は寿退社が一般的だったのか」と思った。
つわりで気持ち悪い、つわりが明けたらお腹が大きくなる、産んだら育てないといけない。
ピルを飲んで生理による不調を消し飛ばして男みたいに働いていたけれど、実際は体が変わること、そして今回の死産で立ち止まることになってしまった。
また、体調だけじゃなくて、私はそもそも「いつ子供を産むか」のプライオリティを上げてキャリアを築いてきたけれど、男はその項目はランクインしないことに気づいた。
何を旗とするかで山の登り方が違う。私は、ここ最近は仕事に旗を置いていなかったなと思った。
妊娠するまで、私はわりと本気で「男女平等」を信じていた。少なくとも、私がみている・働いている世界では男女は平等だったし、性別で能力が劣ることはないと思っていた。
そして今も思っている、あくまで個人の能力差によるものが大きい。役員とか部長のように昼夜問わずの対応を求められる経営層に近い立場は男性が多いようには見えるが…。

性的な役割の差分で大きく人生の捉え方は変わると思った。捉え方が変われば行動が変わる。男と女で見える世界が違うんだろうな、とやっと分かった。
それでも、女だからと仕事に制限をされたくないし、性別に関わらず誰かよりも高く評価されたいという気持ちはある。
この先、子どもが生まれたら、仕事と生活のバランスの考え方も変わるんだろう。仕事も子どもも諦めずに生きたいと思っている。

大好きなストリーマーイベントが始まって助かった

VCR GTAというストリーマーが集うイベントの配信が始まった。
YouTubeを見ながら作業することが多いし、何かを見ていたら別のことを考えなくてよいのでめちゃくちゃ助かる。
でもアニメとか映画はドラマチックすぎるものがあってたまにダメージを喰らう。ダンダダンを見ていたら、シングルマザー自身が苦難のうちに子と死別して生まれた悪魔が出てきて回想でボロ泣きしてしまった。

何も考えずに楽しめるエンターテイメントが1番健康に良い。心身が弱っている時は、毒も何もないエンターテイメントが染み渡る。

先週の今頃は泣きながら人工死産の同意書を書いていた

先週の今頃は「この子はいずれ子宮の中で亡くなる」と言われ、入院を決めて準備をしていた。
現実であると冷静な頭で分かっているのに、「なんでこんなものを書いているんだ」と号泣しながら、人工死産の同意書を書いていた。

胎児が生きられないことももちろん悲しかったが、中期中絶の処置がひたすらに怖かった。子宮口を器具で開き、薬で陣痛を起こす分娩である恐怖が強かった。
早期は胎盤が剥がれにくいため掻き出す可能性や、その処置を行った時に子宮に傷をつけるかもなど、リスクの説明もされた。未知の痛みと、痛みに耐えてもリスクしかない事実に恐怖した。
「なんでこんなに未来のないことを耐えなくてはいけないんだ」とやるせなさに泣いた。

終わった今となっては、子宮口を開く処置は耐え難いものの噂に聞くほどは痛くなかったし、陣痛は酷い生理痛に収縮痛が加わっただけだったし、促進剤2回で破水と同時に綺麗に娩出できたし、胎盤は綺麗に剥がれ出血もごく少量で済んだ。最後に子宮を綺麗にする処置もこれまた耐え難かったが、痛みはほぼなかった。
結果的に、入院後28時間程度で分娩の恐怖から解放され安堵した。

思っていたよりも苦痛が少なく、何よりも次に向けて子宮に傷もつかずに終わったことが私の立ち直りのスピードにつながっている気がする。
信頼できる病院に通っていてよかった。
先生からも「本当にいい子だったね、次もきっといい子だよ」と言われ、終わった後は涙が止まらなかった。

「出産は結果」と鴻鳥先生(漫画コウノドリ)が言っていた。
人工死産の選択が目の前にきたとき、「なぜもっと早期に流産しなかったんだろう」「あの時受精しなければこんなことにはならなかったかな」「何かまずいことをしたっけ、私のせいかな…」など色んな後悔がよぎった。
でも、結果として、12週で死産となったことで少しだけ分娩の経験ができて、子どもを迎える前に夫と会話する時間を作れた上に、体への負担は少ない時期なのに私には長すぎる強制休暇が発生した。
本当にいい子だったね、と少し前向きに捉えられるようになった。
試練を与えるために私たちのもとにきたんだ、という因果論的なものは私は一切考えないが、起きた事象をどう解釈するか、という観点では前向きに捉えられている。
これはあくまで”結果”の話だけれど。


母との確執を思い出して傷を抉りすぎた

机に向かって勉強していると、たまに思考があっちこっちに飛んでしまう時がある。
今日は頭の中で「弟のところは順調そうで羨ましい、ずるい」という言葉が出てきた。
昨年結婚して来年出産予定で、私が陽性が出た頃に妊娠の報告を受けた。
弟は弟で人生を生きているだけで別にズルくもないのに、なぜこんな不満を感じるのか自分なりに深掘りしてみると、母親との確執が思い当たった。

母親との関係の問題は現在進行形で存在していて、なんなら死産のことよりもよっぽど整理できていない。子どもを迎えるにあたって向き合った方が良い問題だと自分でも思っていた。

弟に対して「ずるい」というのは、子どものからずっと存在する感情だった。

母は否定しそうだが、私はずっと「お母さんは弟のほうが可愛いんだろうな」と思って生きてきた。
弟は、習い事をサボっても怒られない、やめたいといったら辞めさせてもらえる、晩ごはんに呼ばれているのにゲームをしても怒られない、大学の進路は「私学でもよい」と言われる、留学の費用を出そうかと言われる。
全部、私はそうじゃなかったのに、弟はズルいと思っていた。
母は娘の私に対して特に自他境界が曖昧で、高校生になってもゴミ箱を漁られ、携帯も日記も机の引き出しも覗かれていた。
中学の途中までは自我があまりなく気にしていなかったが、中3くらいの頃には苦痛に感じ、高校の頃には感情的な母に対して論理的にボロを突くようになった。
自分がコントロール下に置くべき娘とソリが合わず、口答えされるようになったことで、母はかなり苛立つようになった。決定的な言葉は言われなかったが、「あー!嫌い!嫌いや!!」なと色んな否定的な言葉を投げかけられた。

大学は母が満足する国立大に入って、過干渉は一気に和らいだ。
ふと思い出したが、この大学に関しても、「O大学なんて女の子が行ってたら賢すぎるからなあ、K大学がいいやろ」と言ってきたのを忘れない。私が行ったK大学も十分な国立である。思い出して頭に血が昇ってきた……。

社会人になって4/1から家を飛び出し一人暮らしを始めた。転職を機に地元を出て私は東京に来た。
東京で結婚し、東京で家を買った。
子どもを産んでも里帰りは絶対しないし、親には学生の頃から「介護はしない、金は出すけど」と伝えている。たまに友人の結婚式のための帰省で1泊するだけである。
たまに用事でLINEをするだけのゆるい絶縁状態である。

社会人になって、母に昔されたことが嫌だったことを軽く話したが、今の母は丸くなり、私の意見に反論せず(尊重ではなく反論しないだけ)、「そんなつもりはなかった」と言われた。
「あんたのためを思って」を免罪符に好き勝手されて、私の自尊心はめちゃくちゃになったのに、恨みたい相手は悪者として扱うにはもう弱くなりすぎた。

弟への「ズルい」の感情から、されて嫌だったことをノートに書き出し始めたら止まらず、記憶の蓋をあけてまで傷を抉ってしまった。
カウンセリングで禁忌である思い返す行為だけをして、すっかり忘れてご飯を食べて外に出かけたら、心臓のあたりがしんどすぎて、母親から受けた傷を書きっぱなしで出かけたことに気づいて今ここに整理している。

今こうしてまとめても、私はどうしたいか分からない。何をしたら傷が癒えるんだろう。母に抱きしめられた記憶のない過去の自分を、今の私が慰めてあげられたら1番いいのに。
死産という辛い経験をしたのに、泣き言の一つも母に言えなかった。言いたくなかった。

カウンセリングなど第三者の手を借りるのか、自分でワークをしてみるのか、このタイミングで向き合ってみようと思う。
距離も連絡もずっと逃げてきたから、消化した上で「このまま逃げよう」と思いたい。

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