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人工死産の記録④人工死産 当日
この記録は12w4dでの人工死産の様子をリアルタイムに更新したものをそのまま記載しています。
語調が変わったり、思考が飛んだりしていますが、そのままにしております。読みにくい点、ご了承ください。
3:50
目が覚めてしまった。
22時には寝たので十分かもしれない。
noteを公開したり、他の人の体験談を読んだりして時間をつぶす。
上司から産後休暇の手続きの連絡が来ていて少し涙が出てしまった。
6:00
いつもの起床時間なので起きて身じたくをする。顔を洗ってスッキリした。水が飲めないが歯磨きをしたらかなり気が紛れた。
7:00
点滴をいれ、手術着に着替えた。
T字帯にオムツくらい大きいナプキンをセットした。
一通り準備をしてベッドに寝転がると、便意のような腹痛がおそってきた。といっても、よくお腹を壊す私にとってはそんなに違和感はないが、昨日は2回も排便しているので、もしかしたら子宮の収縮か?と思っている。子宮口を広げただけなのでまだなにもないとは思うが…。
陣痛を促す薬は8時に開始なので覚悟する。みんなどうやって耐えるんだろう。
8:00 ラミナリア抜去と膣剤1回目
ラミナリアを抜いて膣錠をいれました。アドレナリンなのか何なのか処置に恐怖はあるものの痛みはあまりありませんでした。
処置が終わって、先生に「ラミナリア5本しか入れられなかったのですが、期待通りに子宮口開いてますかね」と聞いたら「今目視で1センチは開いてそう。じゃあ見ようか」と言われて再度処置台が上がりました。
痛いからねと前置きされながらいわゆる内診グリグリをされて「1〜1.5かな」と言われ、「意外と痛くない…」と言ったら「あ!ほんと!?じゃあもうちょっとしっかり見ても良い?」と言われさらにグリグリされました。
それもそんなに痛くない。どうなってんだ私の痛覚。
結局1〜1.5センチ子宮口はあいていたようです。胎児の頭が2センチなのでここから先は促進剤で広がることになるのでしょうか。
陣痛きたら夫に会いたくなるかな、どうだろう。怖いな。
9:00
ちょっと痛くなってきた。
ひどい時の生理痛並み。寝転んでいても気になる程度。お腹が減ったのか薬の影響か胃が何となく不快感がある。
全部綺麗に出したい…。
9:30
抗生剤の点滴を開始。
ゴロゴロしていたが、動いた方が早く進むこともあるらしい。でも今までもずっとそうだが筋トレも運動も嫌いなのでしたくない。いつもみたいに犬の散歩に行けたら良いのにな…と思いました。
つわり中に体調が悪くてもほぼ欠かさず行っていた犬の散歩は私にとって心の拠り所です。犬とコミュニケーションしながら歩くのが本当に好きでコロナで39度の熱があっても行ってたくらいでした。
言われて素直に部屋をぐるぐるしたり、スクワットしてみたり、立ってストレッチしてみたりしたら、薬が回ってきたのがさらにキュッと痛くなってきました。これ11時の促進剤いれたらもっと強くなるのか…。そりゃ中身出そうとするわけだからそうだよなあ…。
はやく終わりたい、綺麗に娩出できてほしい。
傷口をほじくるようだが、もしも産まれていたらの想像をしてみた。寝不足で、家にベビーカーがあって、犬が赤子に興味を持つのを止められなくて、夫が赤子を抱いてる姿を想像して……。号泣してしまった。
未来のことを考えないようにしていたけど、急に普段しないたられば思考が頭をもたげてきて、ちょっと考えただけで泣いてしまった。
もうそんな未来はこの子にはない。今私が処置を止めようがやめまいが、心臓が止まる。来年の6月の予定日にまた考えてしまうのかもしれない。
安産祈願のお守りを握りしめて、無事に終わりますように、また妊娠できますように、元気な子を迎えられますように、と祈った。私は無宗教なので神様は「神様」でしかないし、普段全てのことは自分でかなえてきたけれど、妊娠においては本当に無力だった。
感情の振れ幅が大きい、昨日までは前向きだったのに、また泣いている。
いまこの時を乗り越えていくしかない、これもまた人生だから。
10:30
トイレに立った後から少し血が出始めた。生理っぽいドロっとした血がでてきたので、頚管ではなく子宮からだと思う。
ちょっと進んだのかと思うと嬉しさがある。
11:00
2回目の促進剤。
入れるまでは廊下を歩き回っていたが、徐々に差し込む痛さになってきた。ただ、規則性はないのでただ痛いだけ…しかもこれはまだ耐えられるやつ。日常なら薬飲んで寝るけど、痛いのがわかってるから耐えられる。
その後は個室に戻って米津玄師の「さよーなら!またいつか!」を聴きながら号泣しつつ円を描いて歩いていました。
やるせなさ、悔しさなども含むけど前向きな曲で、この場で聞く前からこの事態に直面してからは何度か頭に過っていました。
看護師さんに「臍帯はどうしますか?」と言われて「燃やします」と答えたら聞き返されました。「火葬します」と言い直しました。(燃やすって回答するとちょっと物騒か…)
私は記録をしっかり残すけど、形あるものとして残す必要はなく、また、形がないからといって供養できないとはおもっていません。手を合わさなくても、関係した物がなくても、ただ思い出しているだけで充分に供養になると思います。私の気持ちもそれで十分救われます。
それに臍の緒は私のものじゃなく、胎児のものだとおもいます。病院で処理することになるだけなら、別にそれでも構いません。
処置の後も血が出てきて、ふと「私の股から胎児が出るのか」と思うと少し怖くなりました。このまま早く娩出を終わらせたい。
12:00
ここまでできるだけ座ったり歩き回ったりしていたのですが、かなり重めの生理痛の痛みになってきて横になってしまいました。
ただ、やっぱり歩いたり起きたりしているほうが進みが早いのは本当にそう思うのでできれば起きていたいです。
かたまりが出てくるなどはまだないけど、動くのが億劫な程度に痛い…。これ序章なんだろうな、たぶん10%なんだろうなと思うと陣痛がどれだけ痛いのか。人間の体は一体どうなっているんだ。他の動物もこうなの?なんで妊娠なんかしようと思えるんだろう。自分もそうだけれども!!
つぎが14時と考えると今日中に終わらせられるのかお医者さんの見立てを聞いてみたいと思います。子宮口は開いているので陣痛が始まりさえすればいけると思っているがどうだろう。(分娩なんて分からないことだらけだろうけれども)
12:30
だんだん痛みが強くなってきて、ベッドの上で顔を枕に埋めて丸まってオールナイトニッポンを聴き始めました。
しばらくすると収縮痛が強くやや規則的になってきて、うんちみたいな感覚も現れ、これはどこまで強くなるんだろう…まだ10%だよな…と耐えていました。
ほんとに耐え始めて5分か10分くらいで、「ポコっ」という音がして腰を上げると、膣から水が大量に出てきて、あ、これ破水じゃないか、と思いました。
ナースコールで看護師さんを呼ぶと急いで走ってきてくれて、「破水ですね」といわれました。
「破水した後もつづくんですかね…?」と聞くと「陣痛が遠のく人もいます」と答えられました。
「本当は破水せずに卵膜が丸ごと出てくれるのが良いんですけどね」と言われてそうなのか…と思いました。仕方ない。
「まだ痛いですか?」の問いにはよく分からず、「ちょっと分からないかもしれません」と回答していると、先生もきてくれました。
ベッドの上で処置台と同じポーズをとってクスコで内診されると、しばらくして「赤ちゃん出てきました」と言われました。
何と回答したかハッキリは覚えていないのですが、ほんとですか!?だかなんだか声を出した記憶です。
まだ10%だと思っていたのでびっくりしました。
その後ヌルっと股の間から出てくる感覚があったのでそれが胎児だったのだと思われます。
夫には破水と同時に「破水した、こっからいつ出るかは不明」と連絡したのに、2分後に「出たわ」と連絡していました。
そのあとは処置室まで運ばれて、出かかっていた胎盤を抜き取られ、子宮の中を掻き出す処置を受けました。これは麻酔が欲しいと言っていた処置ですが、先生が言っていたとおり、そこまで痛くなく、いつもの内臓を触られる感覚をいつもより長くて我慢したら終わりました。何度されても慣れない感覚…。
子宮の中には胎盤はもう残っておらず、無事検査に回しましたと報告をもらいました。
次に向けて子宮の状態が気になっていたので安心して涙が出ました。
そのあと、歩いて部屋まで戻り、ベッドに倒れて夫の到着を待ちました。
この時は何も言葉が浮かばず涙が止まらず、ただ、ずっと夫が早くきてくれないかとばかり考えていました。
13:00
夫が着いたのが13時ごろだったので、本当に陣痛から娩出まであっという間だったのが分かります。
あっという間でした。
夫の到着までは迷走神経反射的な吐き気や子宮の収縮が続いており、かなり辛かったです。
夫が到着してからはしばらくずっと泣きながら話していたのですが、2時間ほどいろんな話をしているうちに気持ちが上向くのを感じました。
産後のホルモン的な何かなのかは分かりませんが、夫と今までのことを振り返ったり、未来の話をしたりして気持ちが明るくなりました。
14:45
動いて良いと許可をもらい、看護師さん立ち会いのもとで着替えました。
寝転がっている間ずっと、いま血が流れているな〜という感覚がなん度もあって、やはり手術着は背中まで血だらけになっていました。
しかしそれをみても看護師さんは何も言わなかったので、こういうものなのだと思われます。
背中を拭くのを手伝ってもらい、無事いつもの服に着替えられました。
まだ悪露は続いていますがいくぶんスッキリしました。
15:30
夫が帰宅し、いまこれを12:30の破水まで遡って書いています。
夫とたくさん話をできてよかったです。
出産後は胎児には会っていません。会えないと断りました。
やはり私も夫も、「命になろうとしていたもの」という感覚が強く、”会おう”という気持ちにはなれませんでした。
レポで、母親になれた、赤ちゃんが愛おしいという感覚をが生まれたというのを見てどうだろう…と思っていましたが、残念ながらそのような気持ちは湧きませんでした。
罪悪感も湧かなかったです。
ただ、分娩前は「胎児に手紙を書くとして何を書けるだろう…感謝かな、何もないな…」と思っていましたが、いまはひとつはっきりと「ありがとう」と言えそうです。
おそらく、いまは終わった安堵感で気持ちが前向きになっているだけで、日常生活に戻るとまた泣いてしまう時もあると思います。
でも、いまこの前向きな気持ちを忘れずにいたいと思います。
火葬するまでが私たちの責任だと思っているので、また後日心境を綴ろうと思います。
このあとは、まずは晩御飯が楽しみです。
16:20
看護師さんから、母子手帳を返してもらい、お願いしていた手形足形をもらいました。
性別もわからなくて、9センチしかない胎児でした。
手形足形も難しかったといわれましたが、右足だけはっきり足形でした。
足形だと分かった瞬間、涙が止まりませんでした。
これから育って行こうとしていた命なんだ、命だったんだ、と思いました。
はじめて、胎児にごめんね、という感情が湧きました。少しだけ会いたくなりました。会わないと後悔するかな、と思いましたが、わたしは場面記憶が強いタイプなので会ったらもう2度と忘れられないと思います。何かにつけて思い出して苦しむと思います。
だから、会わないという選択肢を許して欲しい。ずっと背負って生きていくから。
17:30
回診はないと聞いていたのに、入院時の説明や最初のラミナリアを入れてくれた先生がきてくれました。
先生と胎児のことについて色々話を聞きました。
詳細はわたしの心に留めたいので書けないのですが、先生との会話のおかげで悲しさが消化された感じがしました。(会話している間は号泣でしたけれど)
最後に会わないか確認されました。めちゃくちゃ迷いましたが、やっぱり会えないと思いました。これ以上、事実を目の当たりにして抱えられる気がしませんでした。会えなかった、会う勇気がなかった事実も一緒に抱えて生きていきます。
これが後悔になっても、それもまた抱えて生きます。
(これしばらくしたら気持ち変わるかな、どうだろうね)