独り言、ジェンダーの話(2)
私がジェンダーに悩んだきっかけは、人を好きになったことだった。
でも、その好きは恋愛感情だと思っていなかった。その人と一緒にいたかったし、ただ特別な何かでいたかった。その感覚はあるけれど、恋というような情熱的なものはなかったように思う。色々なことを考えたけれど、どう考えても男性として好きという確信が持てなかった。ずっとすれ違っている何かを感じていた。
異性として好きという確信が持てなかった。
「異性として」
この言葉を使われるとすべてわからなくなってしまった。
すごく大切にしたかったし、大切にして欲しかったのだろう。色々なことを話したかったし、色々なこと聞いて欲しかった。本当は触れなくてもいいからそこにいて欲しかった。そこにいることが確信できれば私はなんだってできた。私にとって、その人は明らかに拠り所だったのだろうと思う。
でも、その状況を人に言わせると「恋」と呼ぶのだと聞いた。だから告白して恋人になれと言われた。
私には、それが理解できない。ただそのままの関係でいることはできないのか。大事な人と並び立っているだけではいけないのか。たまに寄りかかって、でも歩いて行ける力を得たら勝手に歩き出せる関係ではいけないのか。もしくは、それすら「恋」という言葉で括られてしまうものなのか。
できれば、そこにいて幸せになってくれればいいのだ。私がなにかしたからではなく、自分の力や周りの協力で幸せになっていてほしいだけだ。私がその幸せに手伝えたら嬉しい。でも、私がいる必要はないと思うんだ。
しかし、私はずっと言われ続けた。
それは恋だ。それは好きだ。それは男女の関係だ。怖がっていないで告白しなさい。付き合いなさい。そんな関係理解できないわ。そんな関係がありうるわけがない。男女には恋愛しかないのよ。
だから、これを恋だと決めてしまうことにした。この感情が恋だと決めてしまうことにした。私は抵抗を諦めてしまっていた。そうしても、そうしたとしてもただつらさが残るばかりだった。これが恋だと言うことにしよう。そう決めたとしても違和感が拭えはしなかった。無理に付き合おうともしてみたが、やはり無理だった。無理なことでしかなかった。
そのうち、その人は居なくなってしまった。頼って寄りかかりすぎて、倒してしまったのだ。
拒絶されればそのまま消えるほかない。友達なんて大嘘で、情けない私はもう顔を出せないとすら思った。
でも、それらの感情はすべて消えてしまった。消えるまでにかかった時間は、半年。半年もかかってしまうほどに大切だったとも考える一方、たった半年程度の大切さだったんだとも思い知らされた。
その人が側にいなくなったことで、私は女性でいる必要がなくなったと感じた。だから長かった髪を切った。可愛い洋服は適当に使うようになり、化粧の頻度も下がった。
その人に合わせていた部分を消すと、私の「女性性」はほとんど残らなかった。わずかに、身体的に女性だというものが残る程度だ。そして、その人にリソースを割かなくて良くなったおかげで、自分を見つめ直し始めた。
その結果、「女でも男でもいたくない」という結論になるとは思っても見なかったが。
そして、私にとって好きな人は性別で括られたものではないようだ。
私が好きになった人が私の好きな人であって、そこの判断理由に性差は考えていなかった。そして、美醜も含まれない。ただし、極端な美人と極端なブサイクはダメかもしれない。極端なブサイクにあったことがないのでこちらは未定だ。
しかし、性的関係を持ちたいかで言えば、強くNOだ。ついでにいえば、1年は親しく一緒にいないと触れられるたびに嫌悪感が凄まじい。
こんな自分に恋愛は出来るのだろうか。好きになっても、きっと友達付き合いと変わりはしないだろう。それならする意味もないのではないか。
告白されるたびに感じる絶望。それは、相手の献身に何も返すことができないであろう自分への嫌悪だ。きっとどうしようもないものだ。
私は、自分の性別が不詳で、好きになる人がどんな性でも気にしない。ただし、物理接触ができない。
そのような人間だったようだ。
それに気がついてからたくさんのものが変わった。服や化粧はそのままに、行動が男性よりになった。女の子には紳士的に対応してしまうようになり始めている。男性には、遊び仲間として楽しく接している。
ただ、両者と接する時に共通して、好意を表に出し始めているという変化があるようだ。
男性に勘違いされやすくなり、告白もされる。女性にかっこいいと言われることも増えている。でも楽しく変化していと考えている。
ただし、恋人が欲しいかはまだわからない。ゆっくりと答えを見つけていけたらいいのだが。