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さいはてのキャバレー、その後

能登半島の先端にある珠洲市。かつてそこに「さいはてのキャバレー」があった。古くは船の待合所として使われていた建物だが、定期船は1978年に廃止。その後「奥能登国際芸術祭2017年」を機にキャバレーとして生まれ変わった。

かつての「さいはてのキャバレー」

芸術祭開催期間中は予約が取れないほどの人気を集めていたが、2024年1月1日の地震と津波で全壊。使用することはできなくなった。
この場所で「さいはてのキャバレー」を催すことは不可能になったが、踊り子たちは珠洲に再びエンタメの灯りを点すことを諦めていない。バーレスクダンサー・アヤ.マーメイドさんと、合同会社kanazawazaの代表でありベリーダンサーの澤田雅美さんは、「さいはてのキャバレー」のその後の物語を紡ぎはじめている。

珠洲の人魚と金沢のジプシー

アヤさんは珠洲市出身のバーレスクダンサーだ。鮮やかな赤い髪がトレードマークで、現在はバンド「柳家睦とラットボーンズ」で踊り子として活躍するほか、全国各地でセクシーで観客を元気にするパフォーマンスを披露している。

澤田さんは金沢出身。ベリーダンサーでありながら「文化をエンターテイメントに」をコンセプトに、地域文化を軸にした地域創生のためのプロジェクトを複数走らせている。

2人はともにダンサーとして「さいはてのキャバレー」で複数回パフォーマンスを行い、ステージを盛り上げていた。

能登のために、珠洲のために

珠洲市鵜飼周辺の様子

2024年1月1日に能登半島地震が発生すると、2人はそれぞれの方法で能登半島の復興に携わるようになる。
アヤさんは、被害が甚大だった地元・珠洲の再建のためになんと重機を取り扱うための資格を取得。自らブルドーザーに乗り、瓦礫を撤去した。倒壊した家屋の片付けを手伝いながら、各地でステージにも立ち、能登の復興支援を訴え続けた。

澤田さんはボランティアとして被災地に入り自ら炊き出しなどを企画したほか、現地の生活が落ち着いた後の地域の再興へ向けて思いを巡らせた。
能登の人々のために何ができるのか、頭と身体を動かし続けながら出した答えの一つが「まずは全てを忘れて楽しんでもらう場を作ること」だった。
こうして「さいはてのキャバレー」のその後の道筋が浮かび上がる。

とはいえ、ショーを開催できる場所は限られている。2人は熟考の末、移動式のエンターテインメントイベント「キャバレーテント」を主宰することに決めた。

かつてモーテルだった場所で

「惚惚」の上は宿泊施設になっている

「キャバレーテント」では、ゲストダンサーを呼び毎回多様なスタイルのパフォーマンスを披露することを決めた。最初のステージは2025年1月16日(木)、珠洲市上戸町にあるカフェ・バー「惚惚(ほれぼれ)」だった。
「惚惚」は石川県の青年海外協力隊・畠山陸さんが運営していたカフェで、なんとモーテルを改装した建物だ。海の向こうに立山連峰を望める風光明媚な場所にあり、かつての姿を思い浮かべにくいほどどこか温かみがある。多くの人の交流拠点になっている場所なのに、地域の人に「惚惚」のことを話すと「ああ、あのラブホテルね!」と返ってくるのがなんだかおかしい。

「キャバレーテント」は第1回から大盛況となった。地元の人はチャージ料が無料。販売しているドリンクやフードは各々で購入し、ゆったりと味わいながらショーを楽しめる。復興支援に携わる人々も大勢集まった。

きらびやかで妖艶、そしてど肝を抜くパフォーマンス

クロエ ザ クレイジーハートの圧巻のパフォーマンス

「キャバレーテント」は継続させることで知名度を上げ、地域の人々が楽しみにできるイベントにしようと決めていた2人は、第2回も「惚惚」で「キャバレーテント」を実施する。2024年2月15日(日)のことだ。この日はゲストダンサーとしてクロエ ザ クレイジーハートを招聘。刺激的なパフォーマンスを提供した。

観客を巻き込んだダンスタイムもあり、きらびやかで妖艶、そしてちょっとおバカで底抜けに明るい楽しい時間が過ぎていった。

観客とパフォーマーが一体となってダンスを楽しむ

珠洲のリアルに出会う場所

参加者同士の交流が進むように、自己紹介の時間も

「キャバレーテント」は地域の交流の場としても機能している。お酒を飲みながら昔話に花を咲かせる人もいれば、外部からやってきた筆者に被災したときに感じたこと、支援しているときの思いなどを話してくれる人もいた。

なかでも観客の一人であるBさんの話は印象的だった。
Bさんは珠洲市の祖母の家で被災。実家のある金沢に戻れなくなった。インフラを断たれ、物資も足りず絶望感に打ちひしがれていた1月3日、支援物資を過積載にした1台のミニバンが到着した。運転していたのは愛知から来たという高齢男性だった。道が寸断され、公的な支援すら一切届いていないなかでその男性がどのようにして珠洲までたどり着いたのかは未だ不明であるが、ともかく男性はたった一人で珠洲の住民を助けにやってきた。Bさんは男性に後光が差して見えたという。
「こんな人がいるんだ。こんな風に人を助けることができるんだ」
Bさんのなかで「支援」の姿が具体化された。

それまでのBさんは金沢でフリーター生活を送っていた。大学を卒業したものの決められたルートに嵌まってしまうことに抵抗を感じ、就職することを拒絶。未来へのヴィジョンが思い浮かばないまま、漫然と過ごしていた。
しかし、助けにきた男性の出会いを機に自らも被災地支援に取り組むようになる。まずはボランティアの力を借りながら祖母の家を修復。自分の生活拠点を整え、それから珠洲の建設会社でアルバイトを始めた。今は珠洲の家々を修繕して回る毎日だ。
Bさんは珠洲の復興に対してこう語る。
「もともと珠洲は超高齢化していた街。だからこれからみんな新たに家を建てたいかどうかはどうかはわからない。けれど、今この現状はなんとかしなくちゃいけない。雨漏りし続けている家や歪んだ窓枠から風が吹き込み続けている家に住み続けている人がいる。こんな暮らしはおかしいでしょう。普通じゃないでしょう。先のことはともかく、まずはこの暮らしを普通に戻さなくちゃ」

アルバイトがないときはボランティアをして回っているという。「疲れないのか」と問うと意外な答えが返ってきた。
「妙な言い方になってしまうけれど、毎日が充実している。ここにいると全国から集ういろいろな人に会って話を聞くことができる。ボランティアにも多様な種類があるのでさまざまな役割を全うしながら暮らすことができている」

復興支援が生き方の一つになっているのだ。Bさんは翌日も珠洲の魅力を感じられる場所へとアテンドをしてくれた。

語り合えるキャバレー

幡ヶ谷再生大学・復興再生部のメンバーの話も頼もしい。
「ハイリスクノーリターンの『偽善事業』をやっています」と笑う通称バカビリーさんは、能登に限らず、全国各地で危険を伴うボランティア活動に従事。能登では倒壊した建物から家財を運び出したり、土砂を掻き出したりするなど危険な作業を続けている。
このような活動を続ける理由についてバカビリーさんは「こういうふうに人生を全うできるのであれば、死んだっていい」と話す。
「変なやつだって思われるだろうね。だけどそれで誰かを助けられるなら、笑ってくれる人がいるならそれでいいんだ」と言う。

「どんなところなのか気になって」と地元の高校生も両親とともに訪れた。
彼女は高校に通いながら「あみだ湯」でアルバイトをしている。「あみだ湯」は珠洲市内にある銭湯で、震災前から地域の重要な交流拠点であった。未だ上下水道の修繕が済んでいない地域の住人が無料で使える入浴施設として行政に指定されており、休憩所の一部を宿泊所として提供することもある。
アーティストの活動拠点にもなっているため、あみだ湯にいることで多様な価値観を持つ人から刺激を受けることができるのだという。

キャバレーではあちこちで会話の花が咲き、閉店時間を大幅に延長しての盛り上がりとなった。

エンターテインメントで能登に灯りを点したい

来場者一人ひとりを見送ったアヤ.マーメイドさん

澤田さんは「災害自体は痛ましいことではあるけれど、それまでイメージされることすら少なかった地域にスポットライトが当たるタイミングにはなる。多くの若者が駆けつけてくれた機会に人を惹きつけられれば、その後の地域の発展につながる」と話す。

「このさいはての地に桃源郷をつくってみたい。バーレスクを続けることで、その足がかりをつくれたら」

妖艶で美しく、そして明るく人々を照らす、さいはての地の「キャバレーテント」の灯り。ぜひ現地を訪れ、能登の人々とともに楽しいひとときを過ごしてみてほしい。

キャバレーテント 第3回

https://vafra.my.canva.site/cabaret
日時:2025年3月4日(火) OPEN 18:00~ START 19:00~
開催場所:Cafe & salon Anarchy
公式サイト:https://vafra.my.canva.site/cabaret

3月4日の「キャバレーテント」開催地となるCafe & salon Anarchy 

※「キャバレーテント」は、キャバレーテントおよびkanazaWAZA研究所が主宰しているイベントであり、奥能登国際芸術祭および「さいはてのキャバレー」の運営とは関係がありません。


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