わたしは母親に向いていなかったという話
先日出産し、生後1ヶ月になった。
私自身は子どもを産むことは望んでいなかったし、それは夫も知っていた。
夫は交際時代から「子どもを産まない(「産めない」を除く)のであれば、結婚をする意味はない」と明言していた。
この人は私が子どもを産むつもりがないという理由だけでは別れを切り出したりせず、ずっと交際は続けてくれるだろう。
けれど私は結婚をしたかった。
寂しくて仕方なかった。
簡単には離れられなくなりたかった。
そうして私は子どもを持つ決意をした。
当初から恐怖だった悪阻は幸いにも軽く、一度も嘔吐はなかった。
だから妊娠中は「これで夫に肩身の狭い思いをしないで済む」と、ただただ気楽に過ごすことができた。
私自身も胎動に愛おしさを感じることができた。
コロナに感染してしまったときはお腹の子が心配で仕方なかった。
周りから「幸せいっぱいだね」と言われたときは曖昧に微笑んでいた。
そうして陣痛を迎えたものの、軟産道強靭で緊急帝王切開で出産した。
人生で一番の痛みだった。
人生そのものが終わってしまうのかもしれないと思った。
なぜ夫は私にこんな思いをさせてでも子どもが欲しかったのだろう?と思った。
入院中の母子同室時、何をしても赤ちゃんが泣き止まないことがあった。
「一緒にいたいのに何をしてほしいか分からなくてごめん」と、赤ちゃんと一緒に大泣きした。
泣きながら、私もちゃんと母親としての感情を持ち合わせていたことに安心していた。
退院して家族3人での生活が始まり、それまでの日常生活が終わった。
ベビーベッドや買い置きのおむつ、夫と夜間も交替で赤ちゃんを見るためにリビングに持ち込まれた仮眠用の布団によって、全然違う家になった感覚がした。
赤ちゃんの世話も、私が最も苦手とする分野だった。
ミルクの飲みにムラがある、ミルクを飲みながら手足をバタつかせる、泣いている理由がわからない、それら全てが赤ちゃんの不調に見え、次第に赤ちゃんの存在が怖くなった。
泣いていても鷹揚にしている夫や遊びに来ている義父母の感覚が理解できなかった。
なぜテレビを見ながらあやせるのだろう。なぜ会話をしながらあやせるのだろう。
私は赤ちゃんが泣いたら、泣き止むまで頭が真っ白になりながら必死の形相であやす。
夜中に夫が赤ちゃんを見てくれたあとの朝、泣き声で起きる度に人生のどん底に叩き落とされた。
そんな感覚なので赤ちゃんがいる生活はあっという間に苦痛になった。
あまりにも苦痛であるため、「夫も苦痛であるに違いない」と思い込んでしまった。
一人で赤ちゃんを見ていてもらうのは申し訳ない。
トイレもお風呂も申し訳なくなりながら急いで済ませた。
休止していた心療内科への通院も、保健センターとの面談で産後うつを指摘されて再開となったが、それすらも「一人で外出して申し訳ない」と思った。
夫には「世話は大変だけど、苦痛とは思わないな」ときょとんとされた。
私は顔の肌荒れなんてケアしてあげるだけの心の余裕がない中、夫はせっせと保湿していた。
私は赤ちゃんがグズっていなければ余計な刺激を与えるのが面倒である中、夫は赤ちゃんにちょっかいを出していた。
私が産後ケアで行った先の助産師さんからの授乳指導が赤ちゃんに合わず苦しそうに吐き戻しがあり、夫は激怒した。
私は夫ほどは赤ちゃんを大切にできていなかった。
夫が赤ちゃんを「かわいい」と言う度に「それはよかった」と答えた。
夫は今の生活を幸せだと言った。
「寂しい」と訴えた。
「一人増えたのに?」と言われた。
「たまには二人の時間が欲しい」と訴えた。
「(夫も育休中なので)今までで一番一緒にいるじゃない」と言われた。
次いで、「二人が嫌というわけじゃないけど、三人がいい。赤ちゃんは家族だから」と言われた。
出産とともに、私の役割は終わりのような気分になった。
けれど赤ちゃんの世話は残っている。
昨日の深夜、夫が赤ちゃんを見ていたので突発的に高速に乗って往復100km車を走らせた。
音楽を爆音で流しながら歌い、次第に涙が出て、最後には赤ちゃんと同じ「あー!うあああー!!」と泣き叫んだ。
あまりにも帰りが遅かったので夫から安否確認の電話があった。
たしかに赤ちゃんの世話は一人では大変だろうからと、急いで家に戻った。
玄関を開けて「この1ヶ月の生活が全て悪い夢だったらよかったのに」と思った。
夢はいつまでも現実だった。
それなのに、赤ちゃんがどこかに引き取られるところを想像すると涙が溢れる。
何もかもが中途半端なままで母親になってしまった。