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とりわけ眼鏡に「ほかの子」と隔絶させられていた話
私は近眼になるのが早く、小学6年生のときに眼鏡を作るために連れられた眼科で「右0.3、左0.06です。かなり度が進んでいます。」と告げられた。
当時はまだ眼鏡が高かったのでレンズを薄くするための料金やレンズとフレームの強度を上げる(ドッジボール対策)ための料金などで数万円したと親が話していた。
そのためデザインが限られてしまい、しかも授業中だけでなく一日中眼鏡をかけていなければならない視力だった。
ほかにも何人か眼鏡をかけている子がいたが、みんな綺麗な水色のフレームだったりレンズが小さかったりしていたし、授業が終わった後のわずか10分の休み時間には外していた。
読んでいた漫画の登場人物たちもお洒落な眼鏡をかけたり外したりしていた。
外せない眼鏡のレンズ越しに、隔絶されたほかの子たちの世界を見ていた。
やがて高校生になり、コンタクトレンズを着ける恐怖より「ほかの子たちに近付きたい」の気持ちがようやく打ち勝った。
何年も付けられていた枷がなくなり、やっとほかの子のようになれたと嬉しかった。
更に時間が流れて社会人になり、ショッピングモールの中に入っていたJINSがふと目に留まった。
数千円から作れるらしかった。
昔とゼロが1つ違っていて、しかももう大人だから強度を上げる必要もなく、好きなデザインを選べる。
私は自分で稼いだお金で眼鏡を二本買った。
それはもう枷ではなく、ほかの子と何も変わらないものだった。