強迫性障害(OCD)と自己肯定感
仕事が終わって帰宅後、体が怠い。
たちまち「コロナの全身倦怠感だろうか、そうでなくても体調を崩したのだろうか」という恐怖が始まる。
日中に何をしたか思い返してみる。
出張に行って苦手な相手方との会議に出席し、戻って記憶が新しいうちに報告書を作って上司にデータを送り、本社からのメールが何通か来ていたから順序立てて作業し、打ち合わせに出ている先輩が担当している仕事の問い合わせの電話が来て調べて代わりに回答した。
うん、疲労によるものではないな、と脳が一瞬で否定する。
それぐらい誰でもやっていることだし、疲れるほど頑張ったはずがないからである。
つまり私は自己肯定感が低い。
何をどれだけしても自分を「頑張った」と認められない。
頑張ったはずがないから疲れるはずがない、つまり体が怠いのは病気だ、という結論になって毎回恐怖を覚える。
しかし別な記事でも書いたが、買い物や散歩をしただけで「疲れて体調を崩すかもしれない」という恐怖を覚えることがある。
一見すると矛盾した感覚のような気もするが、これもまた「出来損ないの私はなにもできない」という低い自己肯定感によるものである。
このように強迫性障害は自分に対する適切な自己肯定も不可能にしていく。
頑張りを度外視するこの病気に、ただただ怒りが収まらない。