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出生図の太陽は人生の灯台みたいなもの

近年、夏の暑さは度を増すばかりである。この間、うちのベランダでは『夏はほとんど砂漠状態こと地中海気候』の土地から来た植物、ローズマリーの葉先がちょっと焼けた。鉢に向かってごめんよと頭を下げ、今は室内で育成灯の下にいる。ジャングルの木陰出身であるポトスたちが直射日光に弱いのは分かっていたけれど、まさか、地中海の日なた出身であるローズマリーが日焼けしてしまうとは思わなかった。ほんとごめん。

獅子座の季節、日本の夏はそれくらい暴力的な日差しが注ぐようになったのだが、いくらぼやいてみたところで自然現象には到底勝てない。日焼け止めを顔と首と腕に塗りたくり、鞄には折りたたみ日傘を突っ込みながら、「ドミサイル太陽……」などと思ってしまうのは、自分の出生図の太陽が天秤座でFallだからだろうか(各種チャートでデグニティをどういう形で適用すべきかという話もちょっと頭を過るけれども)。

イヤでも太陽を気にせざるを得ない時節だから、という訳でもないのだろうが、最近鑑定で『この案件、ネイタル太陽だな……』というものが連続している。なるほどなあ、と思うことがいくつかあったので、備忘録も兼ねて以下、出生図の太陽について書いておくことにした。

そういう考え方もあるんだな、くらいに受け止めてもらえれば幸いだ。

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