ダサさ
最近、パソコンのカーソルがうまく動かなくて
(私が吹っ飛ばしたり落としたりしてたせいで画面にヒビが入っているのが原因なのだけれど)
スマホで書くようになった。
まあ不便不便、と思ってたけど、スマホの方が打つの早いかも。
ただLINEやらtwitterやら目移りするものが多くて、気づいたらもう夜も明けるという、、、
さて。前置きも終わったところで。
最近、「自分の着たい服を自分でデザインできたらなーー」っていう願望がある。
いや、私は別に、いわゆる「オシャレ」な人間ではない。客観的にみても。
というか客観的にみたらダサい。
どことなく垢抜けてないし、髪は傷み、地味な服装、喪女感、下手な化粧......
ダサい部分を挙げたらキリがない。
化粧し始めたのはハタチ過ぎてからだし、田舎のヤンキーみたいな格好でコンビニに行くし、渋谷や原宿をジャージで平気で歩く。
ダサい。
...自分のダサさ自慢をするためにnoteを書いてわけじゃないので本題に移ります。
そもそもなんでそのダサい私が、自分の着たい服を自分でデザインしたいと思うようになったかというと、、、
やっぱりファッションって大事な自己表現のひとつだと思う!!から!!
(ここ主張したいとこなんだけど、なんかすごい意識の高い俺様系発言みたいなので太字にしないでおきます)
どんな服装をしてるか、どんなバッグを持ってるか、どんなメイクをしてるかで、「この人ってこういうのが好きなんだな」って分かってしまう。正確にいうと、思わせてしまう力がある。
たまに都内の駅で見かける、フリフリのワンピースを着たおばあちゃん、
超絶田舎の田んぼ道でゴスロリとか着て歩いてる女の子、
...............。
好きだ!!!!
とっっても好きだ!!!!
周りから見たら、なんか異色で、「何あのかっこう(笑)クソダサ(笑)」と言われかねないファッション。
それを頭では自覚しつつも、やはり自分の欲求が抑えきれず、外に出てしまう。
そういうファッションが、切なくて、愛おしくて、好きになってしまう。
無難なファッションがきらいと言ってる訳じゃない。
それはそれで好きな人がいるだろうし、着たい服が幸い世の中の「オシャレ」と一致している人もいる。
でも!!!
「着たい服より『似合う服』!」
「年齢に合わせたファッションを!」
「この組み合わせはNG!?コーデの基本!」
ア"ア"ーーーーーー!!!!!
めがいたい
みみがいたい
私は他者の意見に対してある程度寛容であるという自負があるけれども、他者の意見に不寛容な意見には不寛容になってしまう。
よくわからない文になったけどまあいいや。
周りの目がどうであれ、着たい服を着ればいい
服を選ぶ時に、なんで年齢を考慮する必要がある
おばさんになってもショーパンやミニスカを履けばいいと思うし
ツインテールをしても
推しのTシャツを着ても
男の人だってスカートやハイヒールを履けばいいと思う
私が、「いやどうせ似合わんし」と思ってオシャレをせず、
「化粧しても『スッピンのブス』から『がんばってるブス』に変わるだけや」と思って化粧してこなかったせいで
自分のしたいファッションをしてる人たちを過度に尊敬しているのかもしれないけど、
「周りの目に合わせて自分のファッションを規定する」という人がいることが、悲しい。
いや、今の時点では私もそうなんだろうけど。
自己表現の大事な一部なんだから、外に気を使う前に、自分の内面に正直であってほしい。
自分の内面と向き合った結果、「周りの人が良いと思ってくれる服が私の着たい服である」という結論に至ったならばそれでも構わない。
とにもかくにも、自己表現をしてほしい、無難なファッションは印象に残らない。
たまに、服を見にショッピングモールに行っても、自分の着たい服が見つからない。
トレンドを追った媚びたような服か、敢えて奇をてらって人目を引きつけるような、そんな服しか見つからない。(安物ばかり見てるからかしら)
自分で作りたい。
イメージがなかなか具現化しなくて困っているのだけれども。
言いたいことは、ダサいのは「好き」を求めた『イタい』ファッションじゃなく、周りの目に怯えた媚びたような見せかけのオシャレファッションであること。
さらにダサいのは、そんな見せかけオシャレを「カッコいい」「かわいい」と思い込んで疑わず、見せかけオシャレから逸脱した人間を「ダサい」と見下すこと。とてもきもちわるい。
口が悪くなってしまった。反省。はしないけど。
もうすぐ朝の6時だけど、私は深夜のテンションです。それを前提に読んでもらえたら。
カーテンの向こうが白くなってますが、私は寝ます。
とても眠いので読み返すこともしないまま、ただ徒然に書いたことを投稿してしまいます。
あとで読み返して「やっぱこれはないな」と思ったらそっと編集しとこう。
おやすみなさい!!!