肉欲に溺れるな、恋愛をするな、異性と肉体関係を持つなという教理に違和感
聖書を学ぶことはとても楽しいし、大事な教訓などもたくさんあり素晴らしい書物だと思います。しかし、大学1年の時出会った摂理において学んだことや教えられたことのなかにいくつか疑問を持った点がありました。少し綴らせていただきます。
・家族や友達などには見聞きしたり学んだりしたりすることを話してはならない。怪しまれるからと言われていた。
→いかがわしいことがなければ堂々と話しても問題がないはずだと思い、少し疑問に思ってしまいました。
・ネットやテレビ、人のいう情報に流されてはいけないと言われた。
→摂理はカルトであり異端であるとネットなどの情報にあるが、それは嘘で信じてはならないと言われましたが、「火のないところに煙は立たない」とあるように、そのようなカルトであるという情報が嘘であるという証拠はどこにもないと思いました。最初は普通に聖書を学んでいるだけだと思っていましたが、時代の再臨主を悟らせられたときには、異端ではないかという疑いが生じてきました。
・平日の日中なのに、社会人(30歳くらい)である先輩でzoomでみことばのレクチャーをする人がいること
→もしかして摂理を教えることを職としているのではないかと思ってしまい、怖くなってしまいました。
・入会していた人は男女いたが、異性との関わりは一切なく交流もしなかった。
→一般的な大学生のサークルなどでは男女和気藹々とした感じですが、ここはちょっと違います。信者も男女いるけれど話を聞いたり活動をしたりするときは別々だったです。なぜなら、異性の交流は望ましくないと教えられていたからだと思います。
・上の件にも関係してるが、所属している先輩(年齢が結構上の社会人もたくさんいた)皆独身だった。30代の方たちも彼氏を持たず結婚をしない人がたくさんいた。信者たち(女性)でシェアハウスをしている人もいた。同じ大学生の子も彼氏を持っている人などは一人もいなかった。
→恋愛はよくないと教えられていたからだと思います。
摂理の教えを学んでいく中で(バイブルスタディと呼ばれた)「今の時代は神様と人間は新郎新婦の関係だから、神様が夫であり彼氏であるようなもので、神様を差し置いて、勝手に異性の人間と付き合ってはいけない」「神様は人間を愛し合うために作ったから、まずその目的をなす必要があり、アダムとエバのような堕落を犯してはいけない(婚前の性交渉をしてはいけない)」と説かれました。
ここを深く話すと、アダムとエバが罪を犯してあの楽園から追放されたのは、蛇の誘惑により実を食べたからだという説がありますが、ここは比喩で、アダムとエバが肉体関係を持った(性交渉をした)ために裏切られた神様が悲しくなって追放したというのが真理だと教えられました。
つまり、同じ過ちを繰り返さないためにも今、結婚する前に異性との肉体関係を持ってはいけないということを言っていました。また、処女を破ることも罪であり、神様との関係が切れてしまうからよくないと言われました。クリスマスなどの行事で「世の中は浮かれている。今の人間どもは浮かれている。好き放題異性と付き合ったりしていて神様を忘れている」と吐露していました。
そのように肉欲に溺れて異性と関係を持つなと禁じられ教えられていましたが、私はここの部分には少し疑問を感じてしまいました。
たしかに、愛し合ったが浮気などで裏切られて得る悲しみなど、一概に恋愛は良いものだとは言えない面もあります。それに、肉体関係を安易に持ってしまうことでのちに体や心が傷ついてしまうこともあります。
しかし、それは結果論であって、恋をしていく中で自分を成長させたり、相手と喜びや悲しみを分かち合ったり、ときには切ない思いをしたり、良い面も悪い面も含めたその過程に恋愛の醍醐味があって、別にしてはいけない理由なんてないのではないかと私は疑問に思ってしまいました。
それに、本来の宗教とはもっとあまねくどんな人も救うものであると思うのに、神様と人間を新郎新婦として固く成立させることには束縛がありすぎる気がしていました。
口悪いし性格悪い言い方になってしまいますが…正直、摂理に入っている女性の先輩で恋愛をしている人は誰もいないしみんな独身を貫いているということが私には恐怖で、このまま私もここに居続けたらこの人たちのように結婚できないかもと思ってしまいました。
(続く)
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ここで綴っている内容はあくまでも私の個人的な意見であり、絶対的なものではありません。最近、#このように書いているけれどもこれは私独自の意見であって、もし摂理を本当に自分から快く楽しんで信仰している人からしたら傷つくのではないかと思ってしまうようになりました。そのように一定数信仰する方もいるから、傷つけるつもりはないのですが、そのような方々はわたしの一個人の意見として流してくださると幸いです。キリスト教や聖書については悪くは思ってはいません。むしろ、聖書のお話自体は楽しいし学びがあるし教養としてもとても優れた書物です。だから、聖書やキリスト教自体が悪だということでは全くありません。脱退した今も私も聖書をたまに読みます。解釈違いを起こしてしまったり、不快に思わせてしまったら誠に申し訳ございません。ただの一個人の体験記としてお楽しみください。