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「真の共感」の感覚

しばらく前のこと、”インサイド・ストーリー・
プロジェクト”というのがあることを知った。
犯罪者として扱われ拘束されている人たちが、
その子どもたちに物語を書いたり絵本を送ることで
親子の絆を保ち続けられるようにと、彼らと
アーティストをマッチングするプロジェクト。

その記事を読んだとき、ふと心に浮かんだのは
ポーランド出身のある女の子のことだった。
彼女のお父さんは刑務所にいる。彼の窃盗を通報
したのは13歳の頃の彼女。彼女のお母さんへの
DVもあったらしい。その後彼女とお母さんは
オランダに移り住み、彼女は今大学生。きれいで
強くて、輝く笑顔の持ち主。仲のいいパートナーが
いて、お母さんも今は別のパートナーや動物たちと
平和に暮らしている。

彼女が親しんできた様々なスポーツの中に
格闘技も含まれているのは、家庭の過去と関係が
あるかもしれない。多感な時期にオランダに移る
ことで、言葉や文化や学校になじめず辛い思いを
してきたことも多々あると思う。

でもその日そのとき彼女のことを想いながら、私は
とても静かな心境だった。一言で表現するなら
「共感」だったのだけれど、誰かの話を聞きながら
自分の同じような経験・感情を思い出し再体験しての
「その気持ちわかる!」というような共感や、同情、
哀れみ、痛みがそこには全く混じっていなかった。

しんと静まった心境で、ある特定の周波数帯に
チューニングが合っているような感覚だった。

その感覚の中で、彼女と彼女のお母さんの幸せを
祈り、クリアリング。

そしてその感覚が続くまま、その感覚の中で、
かつて苦手だと感じた人たちのことも想い、祈った。

ひとしきりそういう時間を過ごし、この感覚が
ACIM (=A Course In Miracles, 奇跡講座) に
書かれていた『真の共感』かも、と
該当箇所を読み直したのだった。

共感するとは、苦しみを共にするという意味ではない。そのように理解することは、あなたが拒否しなければならないことである。それは共感についての自我による解釈であり、常に特別な関係を結ぶために使われ、そこでは苦しみが共有される。共感する能力は、あなたがその使い方を聖霊に任せる限り、聖霊にとっては非常に役立つものである。そのやり方はかなり異なっている。聖霊は苦しみを理解しない。そして、それが理解不可能なものだということを、あなたに教えさせようとする。聖霊があなたを通して関わるとき、あなたの自我を通して他者の自我に関わることはしない。聖霊が苦痛を共にすることはない。苦痛の中に入って妄想を共有することで苦痛を軽減しようとするような妄想的試みによって、苦痛の癒しは達成されないと、理解しているからである。
      ( 『奇跡講座』(中央アート出版社)/ACIM T-16.I.1 )

共感するということが何を意味するのか、あなたは知らない。だが、次のことについては確信してよい。あなたがただじっと静観し、聖霊があなたを通して関わるに任せるなら、あなたは強さに共感することになり、弱さではなく強さを増すことになる。
          ( 『奇跡講座』(中央アート出版社)/ACIM T-16.I.2:6-7 )


〜Kyoko🇳🇱オランダ在住HSPヒーラー
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