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ふと思い出したこと

長いことご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
先日、iPhoneのお気に入りを見ていたら昔のアメブロのリンクが出てきました。
そのアメブロでは雑記と飲食レポートを中心に記事が書かれていました。このノートも最初は旅行系のなにかと考えていましたが、テーマを決めて論説ノート!にするよりは、雑記を中心とした「なんでも帳」「 寄せ鍋」の方がいいかもな……と思うので、今後も適当に書いていきます。
改めまして出張で郊外にいってきたとろま……このノートではアマザケです。こんにちわ、あるいはこんばんわ。

東京圏や大阪圏、もしかしたら博多圏もそうかも知れませんが、中心部のあたりに走っている電車は大抵新しい列車で、郊外に行くと都会からのお下がりの少し古い電車が走っているものだとおもいます。
今日行ってきた静岡県のJRもご多分に漏れず都会……名古屋からのお下がりの電車が走っています。
名古屋のJRと東京のJRは今でこそ会社は違いますが、昭和の昔は同じ会社であったそうなので、東京にむかしいた同じ形式の列車のマイナーチェンジ版になるそうです。
なので電車の赤いシートを見ていると、とても懐かしい気持ちになります。床はこんなに華やかだっけ?とも思いますが、昔の京浜東北線もそうだったので、気になりません。何気に昔の雰囲気を残しているのがJR東海さんというイメージが私の中にあったりします。

この昔ながらの電車を見て、ふと思い出したことがありました。
まだ小学校の時だったかと思いますが、小田原か東京に行く用があり向かった川崎駅のホームで話しかけてきたおばあさん。どのような経緯かは忘れましたが、立川のSという施設から岐阜の自分の家まで鈍行で帰るという話と実際見せてくれた切符が何故か記憶に残っています。
当時は東京口の東海道線は遠くに行って静岡まで、ほとんどの列車が小田原、熱海、沼津までの時代。
東海道で岐阜まで乗り継げば行けるんだ!
線路は続くよどこまでも、ではないけれど、なんだか不思議な気持ちになったことを覚えています。

立川のSといえば大きな宗教施設。多摩モノレールから見えるところ。当時はもうモノレールがあったのかしら?なかったとしたら立川からバス?と考えると、かなり大変。なにか切実なすがる気持ちを持ってわざわざ岐阜から立川に出てらしたのかな?と今更ながら考えると、単純に凄いな……と思います。熱心な人には当たり前なのかもしれませんが、距離を越えてお参りしたいとおもえるから行くんだろうし。その意味でなかなかかっこいいおばあちゃんだったなぁ、と思うのです。
わたしはその手の宗教と関わり合いは持ちませんが、自分の大切ななにかのために時間や距離を越えて動けるようになりたいな、と思います。
三島駅からのった懐かしい電車に揺られながら、でも大切ってなんだろう?と考え込みました。
電車が揺れるだけでなく、思考が揺れてしまったようです。

ー未完ー

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