私と遊戯王

小学生の頃にハマったのがきっかけで、今でも2011年3月環境のゲートボールをたまにプレイしています。
私は遊戯王を引退と再開を繰り返していて、小学生〜中学生時代、高校生時代〜資格試験の勉強開始、ゲートボールやマスターデュエルを始めた2022年以降の3つに分類しています。

小学生時代

小学生の低学年のときに周りの流れで遊戯王を始めました。当時はスターターデッキを購入するようなまとまったお金はなかったので、ブルーアイズホワイトドラゴンのような高価なカードは使えず全然勝てなかったのを覚えています。
転機は2002年の小学校の6年生のときに引っ越したことで、越谷駅の近くの頻繁に大会が開催されるカードショップに徒歩で行けるようになったことだと思います。
そのカードショップで私よりも歳上の中学生、高校生の試合を見てどんなカードが強いのか、ゲームに勝つためのポイントはなんなのかをなんとなく理解することが出来ました。
当時の私にとってウルトラレアのブラッドヴォルスやヂェミナイエルフ、ニュート、キラースネークのようなカードは高価で手に入らなかったので、比較的安価で手に入る強力なカードを探したところ、キラートマトやピラミッドタートルのようなリクルーターに目をつけ、リクルーターを中心としたデッキを組むことにしました。魂を削る死霊や首領ザルーグ、ニュードリュア、ダークジェロイドも加えて最終的にはトマハンのようなデッキを使っていたと思います。
デッキのコンセプトは戦闘でアドバンテージを失わないこと、リクルーター+強制転移でカードアドバンテージを取ることでした。アドバンテージさえとってゲームの主導権を握ればライフは後から簡単にとれるものだと考えていました。
高価なカードは全然持っていませんでしたが、同級生は高打点のバニラモンスターを主体としたデッキを使っていて、リクルーターで流してながら強制転移や魂を削る死霊などでどこかでアドバンテージを取りに行って勝つプレイをしていて、負けることはほとんどありませんでした。対戦相手が苦労して出した攻撃力の高いモンスターを奪いながらアドバンテージを広げていくのは爽快でした。

中学生時代

中学生になると、近隣の草加や春日部あたりの公認大会に出るようにもなり、デッキも混沌帝龍-終焉の使者やカオスソルジャー開闢の使者が入ったグッドスタッフになりました。
小学生のときにカードアドバンテージをとってゲームの主導権を握ることを学んでいたので、公認大会でもカードを変えて同じことをやるだけでした。私よりも歳上の大学生くらいのプレイヤーも簡単にアドバンテージを取らせてくれたので、勝てるようになるまでに時間はかかりませんでした。
中学2年生になると、選考会に出ようと更にたくさんの公認大会に出るようになり、2004年の選考会に出場することが出来ました。中学生で暇でたくさんの公認大会に出ていたことに加えて、勝率も高かったのもあって集計期間のランキングは5位でした。
はじめての選考会の一回戦はシードで、二回戦は翌年2005年に日本代表となったTAROさんで、マッチを通して第六感を3回くらい発動したものの、すべて外してスト負けしたのを覚えています。公認大会レベルであれば第六感をすべて外しても勝てましたが、選考会は甘くはないなと思いました。
その後、選考会で知り合った方々を中心にチームフルーツが結成され、リアルでよりレベルの高い調整環境を得ることが出来ました。
2005年3月環境も選考会シーズンの途中までは公認大会にたくさん出ていて、当時変異カオスが流行っていたので、ソフトロックへの移行、溜め込み中の行動、溜め込みを解放してゲームエンドに向かうタイミングなどにスキルの差が出るのがとても面白かったと記憶しています。2005年も選考会に出て日本代表を取るつもりでしたが、途中で高校受験のために遊戯王を中断しました。
受験が終わってからも、中学校での生活が楽しくなっていたことや高校に入学してからも高校生活が楽しかったので、しばらく遊戯王をやることはありませんでした。

高校卒業〜受験勉強まで

最初にCSに出たのはシンクロアンデが強かった2008年9月環境でインフレにとにかく驚いたのを覚えています。
最初に結果を出したのが2009年3月環境の墓守猫環境で墓守猫を使って8-0で準優勝したのを今でも覚えています。決勝はJ-SPEEDさん、それまでの成績はお互い7-0でした。チームは残念ながら負けてしまったけど、墓守猫の第一人者に勝てたのは嬉しかった。
選考会後に流行った猫剣は馴染まず、最後まで墓守猫を信じればよかったと今となれば思います。
2010年3月環境は氷結界の龍トリシューラが登場したことでインフェルニティを握りました。
先攻でトリシューラが3体並ぶことがあるので、騒がれていた印象がありますが、先攻展開に向かう場合、インフェルニティインフェルノを使った墓地肥やしができないため、墓地に送れるインフェルティモンスターが限られてくることから、D.D.クロウをケアできないこともあるため、先攻展開に向かうことはそんなに多くなかったと思います。
中期以降旋風BFに押され気味でしたが、選考会もインフェルニティを握りました。ミラーの2戦目以降がD.D.クロウや転生の予言、異次元の隙間をケアしてがライオウなども入れたビートダウンになるのが面白かった。
(リソース使って墓地を肥やしてインフェルニティガンを使った攻めに向かうと異次元からの隙間や転生の予言で負けるためにリソースを残しながら攻めることになる)
カエル帝が出てきてからはカエル帝にインフェルニティが有利なのもあって少し追い風になった印象はあります。
その後の2010年9月環境は調律がリリースされたことで、DOで密かに調整していたクイックシンクロン+ヴォルカニックバレットをCSに持ち込んで8-0で優勝したことが特に印象に残っています。決勝戦でもすととの対戦でETに入り、相手ターンにライトロードハンターライコウでダンディライオンを落とし、ラストターンレインボーライフ発動してトークンで自爆特攻して勝ったときはめちゃくちゃ盛り上がったと思う。ほぼ唯一の勝ち筋だったと思います。

そんなクイックダンディですが、最初はあまり知られていないこともあってダンディライオンのトークンを生成しながらドリルウォリアーでイージーウィンが出来ましたが、デッキが知られてからは旋風BFに全然勝てませんでした。
特にBF黒槍のブラスト、BFアームズウイングの貫通ダメージが厳しく、よく調整していたワイルドマンには全然勝てませんでした。
Tokyoデブリで登場してからも不利であることに変わりがなく、また六武衆に有利を取れるデッキでもないため、肩身の狭い環境であったと思います。
旋風BFがいなくなった2011年3月環境でジャンド使いたかったな…笑

2年くらい散々遊んで好き放題させて貰いましたが、安定してお金を稼ぎたいという思いがあったことから、公認会計士勉強のために2010年9月環境で遊戯王を引退しました。越谷勢とたまに行くご飯がいい息抜きになりましたが、基本的には勉強に不要なことは捨てて勉強に全振りしていました。結果的にに1年半で論文式試験まで合格しましたが、学生生活を楽しみたかったので、本腰を入れて遊戯王に取り組むことはありませんでした。
ノリでキム、ワイルドマンの3人で2013年9月環境で征竜を使ってCSに出て優勝したのはいい思い出です。
予選で征竜以外に当たって2-2でボロボロでしたが、決勝トーナメントで必要なところ勝って優勝したので、チーム戦の醍醐味を味わえたのも含めて楽しかったです。
今では恥ずかしくてできないけど、深夜にガストで調整したのもいい思い出です。

現在

マスターデュエルをノリでやったのが最初のきっかけで、2011年3月環境のゲートボールを主にやっています。
旋風BFがいない環境であり、勝ちやすいのもあってジャンドを好んで使っています。
私はプレイのベースは小学生や中学生時代に形作られていて、基本的にはアドバンテージを取ってゲームの主導権を握り、ライフをゆっくり詰めるというスタイルです。このスタイルに最も合っているのがジャンドだと思います。
昔はお金がなくカードのレアリティを上げることは出来ず、デッキも1、2個しか持っていませんでしたが、今はある程度余裕ができて日本語最高レアリティのジャンドを組んだりするなどレアリティにこだわることができるようになり、楽しみが増えました。
これまで遊戯王をやっていて安定して好成績を残すことは出来なかったですが、調整環境に恵まれ、向上心を持って楽しくプレイすることが出来ました。
遊戯王が楽しいのは一緒にプレイしてきた仲間のおかげだと思います。みんなありがとう。

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